第一篇:《お金から坊ちゃんの恩情観を見る》中文版
お金から坊ちゃんの恩情観を見る
夏目漱石的中篇小說《少爺》敘述的是一個不諳世故、憨直忠厚的青年在四國一所鄉(xiāng)村中學(xué)短暫的教書期間,目睹教育界邪惡勢力橫行,并與之進(jìn)行堅(jiān)決斗爭,最后憤然辭職,返回東京的經(jīng)歷。文中多次描寫到和錢有關(guān)的情景,皆表現(xiàn)了“我”的性格特征。其中有關(guān)少爺對欠女傭阿清的錢和欠“豪豬”掘田的態(tài)度尤為引人注目。為什么會有這樣的態(tài)度呢?本文將對此稍作分析。
相關(guān)情節(jié)為:學(xué)校里,正直不阿的豪豬和詭計(jì)多端的紅襯衫針鋒相對。起初少爺不知內(nèi)情,受到赤衣狂的挑撥后開始懷疑他曾經(jīng)頗為信任的豪豬,并想起過去豪豬曾經(jīng)請他喝過一杯一分五厘錢的冰水。于是他執(zhí)意要把那一分五厘錢還給豪豬。他認(rèn)為“被這位人前一套、人後一套的兩面人請喝冰水,實(shí)在是一種恥辱。我只喝了一杯,算是欠他一分五厘的人倩,接受這種詐欺似的恩情,我一輩子都不會舒坦”。了解真相后,他又毅然站到了豪豬那一邊,并把一分五厘錢收回,后來還和豪豬一起教訓(xùn)赤衣狂。
看起來小小的一分五厘錢,對少爺來說,卻是他和豪豬之間的關(guān)系的象征和紐帶。他認(rèn)為“若接受別人施恩,即使只是一杯冰水或甜茶,不急著回報(bào)對方,是把對方當(dāng)成值得結(jié)交的朋友一般尊重的意思,否則我大可自己付自己的份,不欠任何人情。就因?yàn)槲乙环菹Ь壷猓沤邮苁┯璧?,這種作風(fēng)不是金錢買得到的回報(bào)。即使沒名沒氣,也是個堂正獨(dú)立自主的人,這種人愿向人低頭領(lǐng)情,才真的是萬金難買的珍貴呢!”
少爺具有剛正不阿、不計(jì)個人厲害得失的品性,對弱者、受害者很同情,對偽善、奸猾、邪惡的行為嫉惡如仇,對自身的錯誤能坦蕩面對。所以當(dāng)他以為豪豬表里不如一時(shí),他感受到了最敏感的“背叛”問題,認(rèn)為豪豬已經(jīng)不值得他尊敬了,從而有了激烈的還錢反應(yīng)。但當(dāng)解開誤會以后,他發(fā)現(xiàn)豪豬性格好爽、為人正派、同情弱者、好打抱不平,和自己其實(shí)是同一類人,屬于正義的一派,便正式把他當(dāng)成了值得結(jié)交的朋友,不再還那一分五厘錢。期間,少爺還想到“以前我向阿清借三塊錢,到五年後的今天還沒還,不是還不起而是不想還,根本沒想到有一天要還她,她也從沒指望我賺錢還她,我也不會像個外人一樣向她保證:‘有一天,我一定還給你?!绻覟槟侨龎K錢而耿耿于懷的話,等於糟踏阿清那高潔善良的靈魂。不還阿清錢不是瞧不起她,而是將阿清視為我今生今世的伙伴?!?/p>
少爺從小就是一個不受父母寵愛的孩子,“父親一點(diǎn)也不喜歡我,母親則只寵愛哥哥”,可是女傭阿清卻對他傾入了深厚的感情。因?yàn)橛H情的冷漠,起先他也對阿清的無緣無故的寵愛感到懷疑。但隨著時(shí)間的累積,阿清取得了少爺?shù)男湃魏妥鹁矗蔀樗劣H至愛的人。所以她的三塊錢也是理所當(dāng)然不用還的。
筆者認(rèn)為,少爺?shù)倪@種“恩情”態(tài)度究其原因有兩點(diǎn)。
一是作者夏目漱石的意識的反映。
夏目漱石自小就被送人作養(yǎng)子,經(jīng)歷了“出生——送人——回家——又送人——又回家”的生活軌跡,不受親生父母的寵愛,對親情既渴望又懷疑。這直接反映在了他的作品中,使他筆下的少爺與女傭阿清之間形成了一種特殊的關(guān)系。養(yǎng)父母對年幼的他傾注了深情,他受到了嚴(yán)格的漢文化教育,有很高的漢文化修養(yǎng)。所以他對養(yǎng)父母的恩情有著深刻體會。但隨著養(yǎng)父母的失和與爭吵,他的生活還是充滿了陰影。這些經(jīng)歷使得他對“恩情”異常敏感。另外,夏目漱石所處的明治--大正時(shí)期,雖然武士階層的社會地位已大幅度下降,“武士”已成為一個轉(zhuǎn)身而去的歷史背影,但是武士人格、武士精神、武士道已經(jīng)融進(jìn)了日本民族的血液中。夏目漱石筆下的少爺“以前也是個旗本,旗本從前是清和源氏,是多田的滿仲之后裔”(旗本是江戶時(shí)代武士的一個階級,家祿一為石以下、五百石以上,有資格晉見德川幕府將軍),他的恩義觀、他的個性,皆有著武士精神的影子。
二是日本人的共性。
少爺?shù)倪@種心理并非是他獨(dú)有的,而是日本人共有的一種心理:當(dāng)別人施恩于你,你向別人致謝時(shí),心中肯定有這樣的想法,日后回報(bào)。如果回報(bào)不能實(shí)現(xiàn),則要一輩子記住別人的恩。所以接受別人的恩惠未必是件快樂的事情,甚至令人有一種束縛之感。因此輕易不會接受別人的恩情。
參考文獻(xiàn):
從《哥兒》看夏目漱石的內(nèi)心世界
淺析夏目漱石在《》中的人物形象塑造
濃濃的“落語”味——《哥兒》的藝術(shù)魅力之源
一篇討伐日本教育界腐敗的文——論夏目漱石的小說《哥兒》
第二篇:日本語の男女用語から日本社會を見る
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8888 學(xué) 院
本 科 生 畢 業(yè) 論 文
論文題目: 日本語の男女用語から日本社會を見る
作
者: 99
專業(yè)班級:99
指導(dǎo)教師:
學(xué)
號: 99
2012年4月20日
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鄭重聲明
本人的畢業(yè)論文(設(shè)計(jì))是在指導(dǎo)教師馮莉的指導(dǎo)下獨(dú)立撰寫完成的。畢業(yè)論文(設(shè)計(jì))沒有剽竊、抄襲、造假等違反學(xué)術(shù)道德、學(xué)術(shù)規(guī)范的侵權(quán)行為,本人愿意承擔(dān)由此產(chǎn)生的各種后果,甚至法律責(zé)任;并可以通過網(wǎng)絡(luò)接受公眾的質(zhì)疑。特此鄭重聲明。
畢業(yè)論文作者:
2012年 4 月 20 日
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要 旨
日本語は、性別によることば違いが著しい言語であると言われる。その相違によって生み出した男ことばと女ことばの使い分けには日本語の特徴が集中的に表現(xiàn)できると考えられている。本研究は主に歴史文獻(xiàn)や調(diào)査データを基礎(chǔ)として、日本語における男女用語の歴史変遷および男女ことばの特徴を探究してみようとする。そこから、日本の社會、歴史、日本人の思想、心理変化などを分析してみたい。、本研究はまず、問題の提出、日本で男女用語についての研究現(xiàn)狀と本稿の立場を述べ、先行研究に基づいて、日本語の男女用語の歴史変遷及び差異を探究して、現(xiàn)代日本社會の各方面を分析していたのである。長期にわたる封建社會で、日本女性の社會地位が低下して、男性に対して従屬的な地位にいる。女性用語は依然として弱者層の特徴を保留する。21世紀(jì)に入って以後、西方の男女平等の思想が日本人に浸透してきた。男女用語の中性化現(xiàn)象が生まれた。日本文明が開化とともに、教育が普及している。家庭制度が衰えている、日本社會も一層平等になる。
キー?ワード:男女用語;歴史変遷;差異;日本社會
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摘 要
在世界各種語言中,日語被公認(rèn)為是一門性別差現(xiàn)象極顯著的語言。由性別差產(chǎn)生的男性語與女性語是日語特征的集中表現(xiàn)。本論文將主要以歷史文獻(xiàn)、調(diào)查數(shù)據(jù)為基礎(chǔ),探究日語男女用語的變遷以及男性用語和女性用語的特征。以此分析日本的社會、歷史、日本人的心理、思想變化。
本論文首先提出問題,簡單闡述在日本關(guān)于男女用語的研究現(xiàn)狀以及本稿的立場,在先行研究的基礎(chǔ)上,深入探討日語男女用語時(shí)代變遷以及其差異,來分析日本社會的各方面。在長期封建社會中,日本女性的社會地位低下,處于從屬于男性的次要位置,女性用語一直保留弱勢群體的特點(diǎn)。進(jìn)入二十一世紀(jì),西方男女平等思想滲透日本。男女用語中性化現(xiàn)象出現(xiàn),日本文明開化、教育普及,家庭制度衰敗,社會更加公平。
關(guān)鍵詞:男女用語;歷史變遷;差異;日本社會
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目 次
はじめに…………………………………………………………………………………..1 Ⅰ.日本で男女用語についての研究現(xiàn)狀と本研究の位置づけ...……...……5 Ⅱ.日本語の男女用語の歴史変遷………………………………….…..…………6
2.1平安時(shí)代以前のことば…………………………………………………………7 2.2平安時(shí)代の男女ことば…………………………………………………………8 2.3室町時(shí)代から江戸時(shí)代以前までの男女ことば………………………………8 2.4江戸時(shí)代の男女ことば…………………………………………………………9 2.5明治時(shí)代と昭和時(shí)代の男女ことば……………………………………………10 2.5.1明治時(shí)代の男女ことば…………………………………………………10 2.5.2昭和初期の男女ことば…………………………………………………10 2.6戦後の男女ことば………………………………………………………………11 2.7まとめ……………………………………………………………………………12 Ⅲ.現(xiàn)代日本語における男女ことばの差異……………………………………12
3.1日本語の終助詞から見られる男女差…………………………………………..13.2日本語の人稱代名詞から見られる男女差……………………………………..13
3.3日本語の感嘆詞からみられる男女差…………………………………………..13.4日本語敬語からみられる男女差………………………………………………..14
Ⅳ.男女用語の変遷と差異から見る現(xiàn)代の日本社會………………………..15 おわりに…………………………………………………………………………………..15 參考文獻(xiàn)…………………………………………………………………………………..16
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はじめに
日本語を勉強(qiáng)しているうちに、日本語における女性語と男性語がたくさん出てきた。女性語と男性語が違う特徴を持っていると分かるが、実際の言語使用においてよく迷っているのに気づいた。それに、こういう男女ことばの區(qū)別と言語から社會現(xiàn)象を分析にも大きな興味を持っているのである。
「言語は社會的現(xiàn)実への道しるべ」と言語は一種の社會現(xiàn)象だと言える。言語は社會現(xiàn)象として、社會の仕組みと社會的な価値観と緊密に結(jié)びついている。皆の知られるように、日本は古くから、男性優(yōu)位社會である。女性は劣位にいる。だから、男性語と女性語が出てきて、日本社會を側(cè)面から現(xiàn)れる。本論では、まず、日本年代の順にしたがって、男女用語の変遷をたどって、それから、男女用語の差異を探求してみる。最後、この変遷や差異などから日本社會の変化を表してみよう。
なお、本論でいう男性語女性語とは実際に男性、または女性によって使用されている語という意味ではない。男性らしいと感じる語、女性らしいと感じる語という意味である。これは「使用的実相を下敷き形成される使用者のその語に対する感覚」なので主観的であり、個人差が尐なからずあると思われる。
1日本で男女用語についての研究現(xiàn)狀と本研究の位置づけ
1970年以前頃、日本における男女用語は伝統(tǒng)的な範(fàn)囲で行われていた。二十世紀(jì)の七十年代には、日本の學(xué)者は「女房詞」と「遊女語」など伝統(tǒng)的言語現(xiàn)象を重點(diǎn)として研究し、女性語は位相語と位置づけられて研究されていた。代表的な學(xué)者は真下三郎、國田百合子、田中章夫、鈴木丹士郎などである。真下三郎氏は(1949)『婦人の研究』という論文で「女房詞」の類型をまとめている。國田百合子氏(1964)は『女房詞の研究』という著作で、現(xiàn)代婦人語殘っている女房詞を「御さかな(うお)」などと挙げている。田中章夫氏(1979)は『國語語彙論』で、「語彙の面における男女の違いとして、最も注目されるのは、人稱代名詞である?!工戎刚筏皮い搿¥饯欷摔膜い?、芝元一氏によって現(xiàn)代の小説?劇曲の対話部における、自稱と対稱の人稱代名詞を?qū)澫螭摔筏菩肖铯欷空{(diào)査を分析している。さらに、語種については、「男が漢語系統(tǒng)の用語を多く使い、女は和語を用いる傾向がある?!工趣护膜幛い筏皮い?。鈴木丹士郎氏(1982)は『日本文法事典』で、位相語の一種として男 女ことばについての特徴、美化表現(xiàn)及び女房詞などを分析している。
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七十年代以後、女性語の研究重點(diǎn)は現(xiàn)代女性語の表現(xiàn)の特徴に移った。學(xué)者の中でも、大きな影響を與えたのは壽丘章子、井出祥子、遠(yuǎn)藤織枝などである。日本語と女性について、初めて現(xiàn)代的な視點(diǎn)から論じたのが、壽丘章子の『日本語と女』(1979)であった。壽丘章子氏(1979)によれば、「言語は社會の特質(zhì)を反映するが、社會を規(guī)定することもある。日本語は日本社會での女の位置を見事に反映している言語であり、同時(shí)にそのような言語のありようが、女の生き方に深刻な影響を與えている?!工趣いΔ长趣扦ⅳ?。自らの調(diào)査による國語學(xué)研究に基づき、初めて社會言語學(xué)の角度から日本語と女のあり方との相互関連を考察している。同じ年に、井出祥子氏が『女のことば男のことば』を出版した。従來、女と男の二つの性を並べる際、男が先にきていたのを、その本で「女の言葉」を先に出す書名にしたことは畫期的であった。遠(yuǎn)藤織枝氏(2002)は『男性のことばの文末』という論文で、1993の東京で有職の20代~50代の男性を?qū)澫螭摔筏菩肖铯欷空{(diào)査に基づき、職場の男性は雑談でも敬體をつかうことが多く、「あら」「のよ」「わ」の使用などから、従來女性専用とされている語を使用する例があり、男性的語句の使用が減ってきていることを説明している。
以上をふまえて、本稿は歴史文獻(xiàn)や様々な調(diào)査データおよび會話例文を資料として、自分の考え、意見などを羽織り込んで、具體的に分析を展開してみよう。まず、日本年代順によって、日本語における男女ことばの起源と変遷を探求して、次に日本語における男女ことばの特徴を検討してみたいと思う。それらに限らず、男女ことばの変遷から日本社會、日本人の思想、心理の変化を検討してみたいと思われる。
2日本語の男女用語の歴史変遷
2.1平安時(shí)代以前のことば
古代日本では、女性は政治的に権利を持っていた。日本最古の書物『古事記』の中に日本の國を生み落とした男神と女神の會話のやりとりが描かれている。二人の神の會話を見ると、ことばに性差はみられないのである。日本の最初の歌集である『萬葉集』には、収められている短歌、長歌に性差も見られない。2.2平安時(shí)代の男女ことば
平安時(shí)代になり、男性は段々政治の中心となり、女性は政治の中心から離れ、政治的な権利を段々失った。この時(shí)代の日本は隋唐文化に非常に憧れていたので、遣隋 7
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使と遣唐使を大量派遣し、中國の文化を習(xí)っていた。これを契機(jī)に、漢詩や漢文學(xué)が大量に日本に伝わっていた。同時(shí)に、「男尊女卑」という思想が社會に浸透していた。統(tǒng)治中心となった貴族男性が漢語や漢文學(xué)を習(xí)っていた。宮廷の女性達(dá)は男性への尊重と敬意を表すために、できるだけ男性と同じ文字を使うのを避け、仮名を多く使うようになった。
また、平安時(shí)代は男性中心の時(shí)代、女性は言葉を慎むことを要求され始めた。この時(shí)代から、女性が使う言葉は男性と違ったところが出始まった。2.3室町時(shí)代から江戸時(shí)代以前までの男女ことば
この時(shí)代、日本社會は封建時(shí)代に入った。中國の儒教著作が伝わってきた?!改凶鹋啊工趣いθ褰趟枷毪y(tǒng)治階級に利用され、武士社會の男女地位が次第に大きくなった。男性は依然として社會の中心である。
男が以前のように、漢語を多く使う。女性は依然として男性と同じ言葉を話すのを避け、同時(shí)に「女らしさ」を求められていた。そして、當(dāng)時(shí)の宮庭や貴族女性にとって、言葉を厳しく選び、柔らかく優(yōu)雅な言葉遣いが修養(yǎng)の標(biāo)準(zhǔn)となったのである。しかし、この時(shí)期に、女性ことばの中に、「女房詞」が生まれ、貴族女性の中で発展していた。女房詞が生まれたのは女房が日常生活に深い関係のある物や行動を一般的言い方では言わなくて、別の名稱で名づけ、仲間の間で使い始めたからである。女房詞は最初に宮中の女性が作り出した隠語である。その発展とともに、次第に社會に広まっていた。
2.4江戸時(shí)代の男女ことば
江戸時(shí)代になって、武家社會が成熟した。この時(shí)代に、身分等級制度が行って、士農(nóng)工商の階級を設(shè)けた。また、中國の男尊女卑という儒教思想が日本の支配層により一層社會に広く浸透していた。江戸っ子の言葉として、有名な「??てやんでい、べらぼうめい」などが男性の言葉である。この時(shí)期、武士文化の発展が頂點(diǎn)になり、男性はよく漢語を使う。そこから、自分の身分を表した。だから、時(shí)々男性も亂暴なことばを使い、自分の力を示す。
一方、女言葉づかいへの制約を強(qiáng)く強(qiáng)化した。女の生き方、考え方を細(xì)かく規(guī)定した女訓(xùn)書がいく種も出され、弱き性、劣る性とされた女性は、女房詞を手本とした、「女らしい」美しい、上品なことばを強(qiáng)制されてゆく。そして、女房詞は段々庶民に受け継がれ、女中詞、遊里語となり、変質(zhì)した。他方から來た庶民が上流家庭の女中
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になり、花柳界出身の女性が政治家の妻になったことによって、女中詞、遊里語も上流に入るようになった。食べ物や器物名に限らず、家庭內(nèi)の日常行動に至るまで使用範(fàn)囲が広がり、制限の多い女性語の発展は全盛期に入った。
また、この時(shí)代、女訓(xùn)書、作法書がたくさん出ていて、女性の生き方や言葉づかいを規(guī)定していた。女言葉のしつけは一本化して流れこみ、明治以降の女性全體を縛りつけることになる。
2.5明治時(shí)代と昭和時(shí)代の男女ことば 2.5.1明治時(shí)代の男女ことば
この時(shí)代に、文明開化とともに導(dǎo)入された人権思想も男女平等も、富國強(qiáng)兵と軍國主義の疾風(fēng)に吹き飛ばされた時(shí)代で、女と男は教育もことばも區(qū)別された。天皇性の家庭版である家父長制に囲いこまれた女たちに、良妻賢母と「女ことば」が刷りこまれてゆく。
明治期に男性女性がどのように話していたかを直接示す資料は得られないので、當(dāng)時(shí)の小説の會話から推測してみたいと思われる。男性と女性の話しことばの差をみるために、男女の會話の場面をいくつか拾い出してみる。
坪內(nèi)逍遙の『當(dāng)世書生気質(zhì)』(1885年)、徳富蘆花の『不如帰』(1898年)、夏目漱石の『吾輩は貓である』(1905~1906年)などの作品の男女の會話から見ると、人物の個性により、尊敬語のレベルに違いはあっても、これら小説中の女性が相手男性の動作を尊敬語を使って表現(xiàn)している點(diǎn)では変わりがないとわかる。女性から尊敬語を使われ、丁寧體で話されても、男性の方は敬體を使わず、ぞんざいで、結(jié)果として見下ろした感じを與える文末表現(xiàn)に終結(jié)している。女性の言葉の中に、上品に話す言葉づかいは遊ばせことばと言われていた。この時(shí)期、國家的教育の中で女性のことばの樅をはめ、性差が確立して、女ことばが制度化して定著したと言える。2.5.2昭和初期の男女ことば
昭和前期になると、男ことばと女ことばは交わり、性差が徐々になくなってきている。この時(shí)期には遊ばせことばから性差を解消していく傾向があったことが見られる。
昭和のはじめ、「モダンガール」、「モダンボーイ」という新しい風(fēng)俗が生まれた。若い女性が男性言葉を使うのが特徴であった?!弗猊昆螗`ルの一つの特徴は、男をキミとよび、自分をボクと言ったりすることであったようだ。モダーンすなわち近代をあらわすのは、男も女も同格という平等意識の下に、女が男の言葉をつかったりし
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たものであろう?!工膜蓼?、當(dāng)時(shí)の女性は自由への憧れ、自由を求めることが分かった。この時(shí)、女性の間にすでに「敬語法を吹き飛ばそうとする風(fēng)潮」があったことがわかる。
2.6戦後の男女ことば
第二世界大戦後、日本社會の民主化が進(jìn)むとともに、女性の社會地位と観念は男性との違いが段々縮まってきた。女性用語と男性用語の差別も次第に縮まっていた。以下のように表現(xiàn)された。
(1)男女通用の言葉や表現(xiàn)が増え、「男性言語女性化」と「女性言語男性化」という現(xiàn)象が生まれた。以前女性専用の言葉は男性に受けられ、例えば、男性が「お」を頻繁に使うようになり、「お酒、お茶、おなか、お水」などの言葉がほとんど中性語になった同時(shí)に、ほとんど女性に使われた「食べる、おいしい、あげる、よろしい」などの言葉も男性に多く使用されるようになる。
(2)教育の普及で、高等教育をうける女性が増えた。書面語の影響を受け、話し言葉でも、女性は前の時(shí)代より「漢語」を多く使うことになった。
(3)女性は使っている敬語の量が尐なくなった。社會民主化のため、階級意識が薄くなり、敬語は階級を表し、高い敬意を表す言葉として扱わなく、禮儀や教養(yǎng)のあることとして受けられるようになった。女性はわざと「敬語」を使って認(rèn)めてもらう必要がなくなった。
2.7まとめ
中世時(shí)代以前、日本語の男女用語の差が明らかではない。平安時(shí)代から徐々に性差の兆しが見え始めた。平安時(shí)代に、男性は漢語を使うが、女性は漢語の使用を避けて、和語を使った。また、最初の女性表現(xiàn)用語の「斎宮忌言葉」が出てきた。室町時(shí)代に男性が依然として漢語を使った。この時(shí)期に、封建社會の男尊女卑思想が社會に浸透していた。女性は言葉を厳しく選び、柔らかく優(yōu)雅な言葉を使った。そして、「女房詞もこの時(shí)期に出てきた。江戸時(shí)代に、社會等級身分制度が行った。女性の地位も低下している。そして、女性語の発展は全盛期に入った。明治時(shí)代に、伝統(tǒng)的な男尊女卑の思想を受け続いて貫かれるものでった。男性の方は敬體をつかわず、ぞんざいであるが、女性が敬語を多く使って、上品に話す言葉づかいは遊ばせことばと言われていた。この時(shí)期、性差が確立して、女ことばが制度化して定著した。ところが、昭和時(shí)代に、性差が次第に縮まって、女性が自由を求めた。戦後、民主化が進(jìn)み、男女平
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等の思想が段々社會に浸透していた。男性と女性の性差が縮まって、女性の地位が以前よりずっと高いのである?!改行哉Z女性化」と「女性語男性化」の現(xiàn)象がうまれ、言語中性化が現(xiàn)れた。
3現(xiàn)代日本語における男女ことばの差異
3.1日本語の終助詞から見られる男女差
日本語の終助詞は、人稱代名詞と共に男女差が最も現(xiàn)れるものの一つである。終助詞のうち、女性語と記述してある辭書數(shù)の多い順に並べると、「わ」「かしら」「て」「てよ」「こと」「の」「のよ」「わよ」「よ」「たら」「いとなり」同様に男性語として多い順に並べると、「ぜ」「い」「な」「よ」「ぞ」「さ」「かい」「だい」となる。典型的な女性語は「わ」「かしら」、男性語は「ぜ」「い」などである。小川早百合(2004)は 「話し言葉の男女差―定義?意識?実際―」に、1996年に首都圏の大學(xué)生127名に親しい者同士の會話を録音してそれを文字化してもらった。その中から、條件にあった51組、129名、(女性65名、男性64名)、666の発話(女性330、男性336)を採用し、終助詞を使っている文を取り出し、男女別の使用狀況を調(diào)査した。ここで使われた終助詞を使用頻度の高い順に並べると、以下のようになる。
女性の使用 ①よ95 ②の78 ③ね61 ④よね35 ⑤かな17
⑥のよ12 ⑦さ10 ⑧な5 ⑨のね4 ⑩わ3
?かね?なよ?のよね?わよ2 ?のかな?や1(回)
男性の使用 ①よ105 ②の65 ③な43 ④ね33 ⑤よな?よね17
⑦かな12 ⑧ぞ11 ⑨ぜ10 ⑩さ7 ?か4
?かよ?なよ?のかな?や?わ2 ?かい?わね1(回)
辭書の説明での女性語と比較すると、一致しているものとしては「わ」「のよ」「わよ」である。辭書で説明されていた「かしら」「て」「てよ」「こと」「たら」などは、現(xiàn)代の日常の語彙とはかけ離れた存在になっているためか、女性語として意識われないようである。男性語も同様に比較すると、辭書と意識が一致するのは「ぜ」「ぞ」「な」である。またその中に、女性語としての「の」は、今、男性も使う。男性語としての「さ」「な」は、今、女性も使うのである。
上記から見ると、現(xiàn)在、男性は女性のことばを使うことがある。女性も男ことばを 11
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使うことがある。これは「男性語女性化」と「女性語男性化」の現(xiàn)象でしょう。これは男女の地位の変化と関係があると思われる。3.2日本語の人稱代名詞から見られる男女差
人稱代名詞の中には、一人稱代名詞、二人稱代名詞、三人稱代名詞があるのである。日本語の人稱代名詞は、終助詞と共に、男女差がもっとも現(xiàn)れるものの一つである。中國の研究者叔陽は「女性言語における終助詞と人稱代名詞の使用狀況考察」の中に、90年代以後のドラマ、「妹よ」、「ロングバケーション」、「あすなろ白書」と「いたずらなキス」のセリフに出てくる人稱代名詞のデータをベースとして、一人稱代名詞、二人稱代名詞、三人稱代名詞について、辭書における標(biāo)準(zhǔn)的な用法の男女差と反逆している現(xiàn)象を考察している。叔陽の結(jié)論で、「あたし」は「わたし」の変形で、下品に感じられることが多いから、あまり使われていないことがわかる。二人稱代名詞に関しては、男女とも、「君」「お前」「自分」と「そっち」を使って、相手を指す場合もある。また、三人稱代名詞に関しては、インフォーマルな、私的な場面で、男性も女性も「こいつ、あいつ、そいつ」「~やつ」という亂暴な、ぞんざいな言葉を使ったこともある。
以上から見ると、現(xiàn)代、男女の人稱代名詞の差も段々縮まってきた。女性も男性の人稱代名詞を使うのである。また、女性は男性と平等になるように、下品に感じられる詞があまり使われていない。ここから女性が平等、差別することが嫌だと分かる?,F(xiàn)代の女性の地位が上昇しているとも反映させられる。3.3日本語の感嘆詞からみられる男女差
感動詞すなわち感嘆詞は、感動や情緒を主観的未分化のままに直接に表すことばである。女性は驚いた時(shí)や感嘆する時(shí)に、「あら、ちょいと、まあ、おや、ねえ」などを使う。例えば、「あら、かわいい。」「ちょいと、おまえさん?!工饯沃?、「あら」は女性専用感嘆詞だと考えられる。この詞は終助詞の「わ」と同じ、女性の親切言語特徴を表す。他の感嘆詞は現(xiàn)代日本語の中に、男女通用である。また、男性の感嘆詞は「おい、やあ、ほう、なあ、くそ」などである。例えば、「ほう、なるほど?!埂袱?、ちょっとこい?!?/p>
また、男性は女性より感嘆詞の使用回?cái)?shù)が頻繁である。そして、男性の感嘆詞の種類がもっと多い。日本大學(xué)生の日常會話についての調(diào)査の結(jié)果は、男女各1000句の発言の中に、男性は665個の感嘆詞を使い、女性は395個を使う。そして、男
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性の方が獨(dú)特である。今、女性も男性の感嘆詞を使い、男性も女性の感嘆詞を使うのである。
3.4日本語敬語からみられる男女差
平安時(shí)代から、日本は中國の文化に深く影響された。この時(shí)代から、「男尊女卑」の思想が日本に浸透してきた。女性が優(yōu)しい言葉を使わなければならない。女性が男性に対し、敬語を使うはずである。江戸時(shí)代にいくつかの教訓(xùn)書が作り出さられ、女性の話し方、言語、生活全般に対する戒めやしつけを説いた。また江戸時(shí)代の遊女語は主なものは敬語である。戦後、民主化が進(jìn)んでいるとともに人と人の関係が変わった等のため、現(xiàn)代敬語の多くのは、人の社交性また教養(yǎng)性を表す言語である。女性も男性も使うのである。また、敬語は優(yōu)雅の感じを人にもたらすので、女性の使う頻度が男性より高い。美化語の「お」がいつも女性の口から出ている。もちろん、男性も使うのである。
當(dāng)然、文體、文の構(gòu)造、文字使い、発音などの面においても、男女言葉が違っている。ここでは、一つ一つ詳しく考察しないことにする。
4男女用語の変遷と差異から見る現(xiàn)代の日本社會
上記から見ると、男女用語の発展歴史、変化、また男女用語の特徴差異から、日本社會の男女用語の差が縮まっていることが分かった。近代に入ると、歐米の男女平等の思想が日本に浸透してきた。新憲法の男女同権も徐々に理解された。社會民主化のため、階級意識が薄くなる。男女平等の進(jìn)めにつれて、日本の女の社會地位もだんだん高くなって、男女ことばは同言化の現(xiàn)象も出てきた?!改行哉Z女性化」と「女性語男性化」の現(xiàn)象が生まれた。女性語と男性語が中性化しつつある。古代の「男尊女卑」の思想が段々なくなる。そして教育の普及のため、高等教育を受ける女性が増えた、女性も社會の重要な一部である。また、男性の面で、亂暴な言葉じゃなくて、文雅な言葉を使うのである。だから、優(yōu)しい男性も出てき、以前の亂暴な言葉を使う男性を一変して、優(yōu)しい男性が人気がある。例えば、優(yōu)しい男性の代表―歌手と俳優(yōu)としてのSMAPは日本の女性に愛されている。そして、最近、26歳の美人議員立川明日香は日本で話題になっている。ここからは、現(xiàn)代日本の女性が政治に參加できることが分かった。これも日本女性の地位が高くなるの印である。
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おわりに
本稿では、日本の男女用語について、その変遷、及び男女用語の差異を考察しながら、現(xiàn)代日本の文化、日本人の思想も探究してみた。
古代の日本は、言葉には性差の差異が見られない。男女用語がない。平安時(shí)代に入ると、性差が見え始めた。男尊女卑の思想が中國から伝わってきた。男性は中國の漢文を使うので、女性は漢文の使用を避ける。そこから女性は男性に尊敬の意を表す。室町時(shí)代、日本は封建社會になり、女房詞の現(xiàn)出がこの時(shí)代の印である。女房詞を手本にして、江戸時(shí)代の町人の娘の女言葉が出來上がった。男性が亂暴な言葉を使うのが普通である。明治時(shí)代は國家的教育の中で女性のことばの樅をはめ、性差が確立した。戦後、女性が解放され、男性も優(yōu)雅を求め、言葉の制約がとり除かれてきた?!改行哉Z女性化」「女性語男性化」の現(xiàn)象が現(xiàn)れた。
日本語における女ことばと男ことばの違いが、終助詞、人稱代名詞、感嘆語、敬語などから表れている。終助詞の面で、女性が男性ことばの「さ」「な」も使い、男性も女性ことばの「の」を使うのである。人稱代名詞の面で、現(xiàn)代日本女性は男性と平等になるように、下品に感じられる詞があまり使われていない。また感嘆詞の面でもこの現(xiàn)象があるのである?,F(xiàn)代敬語の多くは、人の社交性また教養(yǎng)性を表す言語である。古くの上下関係また男尊女卑の表す言葉ではない。現(xiàn)代女性は平等を追求している。
この男女用語の言葉の変化から、日本の男女平等の思想が人の心の浸透していると分かった。女性が男性の付屬ではない、自立を持っている。女性の地位が段々高くなった。実は日本には男女同権が社會的に実質(zhì)に確立した。男女は中性化になっている。日本の経済は発展とともに、文化も開放になる。男女が互いに尊敬して、男性がもっとジェントルマンになる。日本の家庭制度も次第に衰えている。
日本語の男女用語についての研究を通して、日本文化は皆に更に知られるのためである。これから、日本人と深く交流できればと思われている。
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謝
辭
本論文を仕上るまでに多くの方々が力になってくださいました。記して感謝の意を表したく存じます。
指導(dǎo)教官の99先生からは、研究に臨む基本姿勢とともに言葉を研究することの楽しさを?qū)Wびました。
馮莉先生に論文についてたくさんの貴重なコメントをいただきまして、心底から感謝の意を表明します。
先生のご激勵と惜しみないご協(xié)力なくしては、本論文がこのような姿になることはありませんでした。
本當(dāng)にありがとうございました。