第一篇:【翻譯經(jīng)驗(yàn)】譯界泰斗談如何成為“同傳”(日語(yǔ))
【翻譯經(jīng)驗(yàn)】譯界泰斗談如何成為“同傳”
本文作者介紹:
林國(guó)本,男,中國(guó)日語(yǔ)翻譯界權(quán)威級(jí)人物,原為在日華僑第二代,新中國(guó)建國(guó)后回到祖國(guó),歸國(guó)后曾經(jīng)在國(guó)家體委工作,1963年8月起一直在《北京周報(bào)》任職,在中譯日的崗位上實(shí)踐了30多年,其在職期間,曾經(jīng)為周恩來(lái)等數(shù)位和國(guó)家領(lǐng)導(dǎo)人擔(dān)任過翻譯。并且連續(xù)25年應(yīng)邀參加了全國(guó)人大及黨代會(huì)翻譯工作,黨和國(guó)家領(lǐng)導(dǎo)人的許多重要講稿均是由他翻譯完成,至1995年退休后仍擔(dān)任中國(guó)網(wǎng)和《北京周報(bào)》日文網(wǎng)改稿專家至今。
今中國(guó)の若者の間では、いくつかの職業(yè)がたいへん人気となっている。さまざまな切り口によって、いろいろな分類の仕方があり、一概には言えないが、テレビのキャスター、國(guó)際會(huì)議の同時(shí)通訳者、ファッションモデル、弁護(hù)士、公認(rèn)會(huì)計(jì)士などがよく若者の間で話題となっており、これらの職業(yè)につくことを目標(biāo)としている人もかなりいる。大學(xué)などで若者たちと対話する機(jī)會(huì)があると、いつも若者たちに囲まれて、「同時(shí)通訳者」になるには、どうすればよいのか、と質(zhì)問される。
私は特異なケースで、「同時(shí)通訳」は私にとっては余技のひとつで、私の本來(lái)の目標(biāo)はジャーナリストか翻訳家になることであった。ところが、ある日、私の親友、畏友に自分の所屬する新聞社と日本の新聞社が國(guó)際會(huì)議をひらくことになったので、一肌脫いで當(dāng)時(shí)通訳を手伝ってくれと言われ、この親友、畏友にはノーといえないそれまでの経緯があったので、引き受けることにした。なんとそれがまぐれ當(dāng)たりで、いっぺんに人気者となり、それ以後、余技のひとつとして楽しんできたが、本腰をいれたことはなかった。また、親切な人が、「そこまでできるのなら、それまで勤めていたマスコミ機(jī)構(gòu)をやめてフリーランサーになった方が稼ぎが多いのでは」、といってくれたが、私はあくまでもジャーナリズムの世界に踏みとどまることにした。そして余技の同時(shí)通訳で知識(shí)の幅を広げ、それをジャーナリズムの世界に生かすことにしてきた。
しかし、フリーランサーになって猛烈に頑張っている人も何人かいる。人生いろいろで、人にはそれぞれ生き方がある。これまた楽しからずやであろう。
この世界で一応認(rèn)められるには、結(jié)局、外國(guó)語(yǔ)と自國(guó)語(yǔ)を徹底的にマスターし、それは瞬時(shí)に置き換えるコツを身に著けることであろう。日本語(yǔ)をベースとする同時(shí)通訳の世界を見ると、中國(guó)では、レギュラーとして十人ぐらいいるようで、それぞれ自分に適したコツやスタイルを身に著けている。フリーランサーの場(chǎng)合、仕事が途切れないように逐語(yǔ)訳などの仕事も引き受けて、「旅がらす」のように各地を飛び回っているようだが、健康に気をつけることも大切である。私はうわべは元?dú)荬悉膜椁膜趣筏皮い毪⒂咨伽雾暏椁饯欷郅烧煞颏鼠w質(zhì)ではなかったので、セーフティーネットを構(gòu)築して、なるべく末永くジャーナリズムの世界で人生を楽しむことにしてきた。だから、同時(shí)通訳はこれまでの國(guó)際ジャーナリズムの世界での蓄積を?qū)g証する場(chǎng)としてきた。そして、「旅がらす」のような生活は自分には不向きなので、自宅をベースとした人生を目指してきた。フリーランサーとして同時(shí)通訳の世界で頑張っている人たちは、日本人好みの表現(xiàn)を使えば、「一匹オオカミ」の世界で頑張っている人たちである。この人たちはそういう意味で、私より真剣に自分の人生に立ち向かっているといえる。
だいたい、ジャーナリズムの世界でも、同時(shí)通訳の世界でも、ずば抜けたレベルに達(dá)するには、持続的な努力あるのみだと思う。常識(shí)のような話になって恐縮であるが、日本語(yǔ)、母國(guó)語(yǔ)においては普通のレベルではやっていけない。
そして、日本という國(guó)の特色から、外來(lái)語(yǔ)とそのベースである英語(yǔ)、さらにはフランス語(yǔ)、ドイツ語(yǔ)などをいくらかかじっておくと便利なこともたしかだ。そして、政治、経済、文化などもろもろの勉強(qiáng)も必要だ。若い人の間では、日、英、中三カ國(guó)の同時(shí)通訳をこなす人も現(xiàn)れているが、これは喜ぶべきことだ。時(shí)代の進(jìn)歩ともいえよう?!付筏蜃筏Δ猡韦弦粌筏颏獾盲骸工趣い铯欷皮郡?、堂々と二兎を追っているのだからたいしたものだ。ヨーロッパなどでは、子供の頃から自然に三カ國(guó)語(yǔ)以上身につけるケースもあるが、中國(guó)の場(chǎng)合、子供の頃から國(guó)際學(xué)校みたいなところに入れてもらう以外そういう機(jī)會(huì)はない。
中國(guó)の國(guó)際的地位の向上により、同時(shí)通訳のニーズも増えてくることだろう。これからの若者たちにとっては、まさにチャンス到來(lái)である。いろいろの人材が現(xiàn)れてくるにちがいない。
しかし、私はあくまでも、流行を追うのではなく、基礎(chǔ)となることをしっかり勉強(qiáng)しておいた方がよいと思う。そして、日本人がよく言うように、「つぶしのきく」スタイルを構(gòu)築することが必要であろう。今度の國(guó)際金融危機(jī)が一つの教訓(xùn)である。
かっこいい同時(shí)通訳者に憧れるのはよいが、肝心な基礎(chǔ)としての勉強(qiáng)を怠らなければ、適応力も身につくし、スムーズに自分の夢(mèng)を?qū)g現(xiàn)することも可能となるのではないだろうか。
【翻譯經(jīng)驗(yàn)】成為“同傳”的秘訣是什么?
友人の特別のはからいで全國(guó)の外大や、大學(xué)の外國(guó)學(xué)院の本科生、院生たちとの対話の機(jī)會(huì)に恵まれたときに、院生たちから「同時(shí)通訳」の秘訣を教えてくださいませんか、という発言があった。
私はいつも考えているのだが、だいたいのクリエイティブな仕事とか、「職人蕓」的な仕事は、長(zhǎng)年の模索を経て、自分の感性にもっとも適したスタイルとか、パターンとかいうものを作り上げるものであり、本人としても、感覚的につかんでいるもので、マニュアルのようなものはありえない、と思っている。今、レギュラーとして、「同時(shí)通訳」の分野で活躍している十人ぐらいの人も、十人十色で、それぞれ自分のスタイルを作り上げている。なかでも、フリーの通訳として、生活がかかっている人たちは、私より真剣に取り組んでいるようであるので、今の若者たちはそういう人たちの「蕓を盜む」ことを通じて自分なりのものをつくりあげていく方が現(xiàn)実的ではないかと思っている?!甘|を盜む」という表現(xiàn)は適切でないかもしれないが、つまり、私が言いたいのは、秘訣とかコツとかいうものは、言葉ではとうてい説明しきれないものだからである。
私の場(chǎng)合は、長(zhǎng)年、ジャーナリズムの世界に身を置いて、「同時(shí)通訳」に必要とされるようなコンテンツを仕事のなかで、自然に頭に叩き込んできたので、宇宙飛行とかバイオテクノロジーとか、よっぽど日常生活からかけ離れたもののほかは、ほとんど毎日仕事の中で觸れてきたこととも言え、それをいかに「同時(shí)通訳」という舞臺(tái)で応用していくかという単純な組み換え作業(yè)が主だった。會(huì)社にはいろいろなデータも蓄積されており、チョモランマ登山にたとえれば前進(jìn)キャンプからすぐ頂上めざしてアタックできる狀態(tài)にあった訳だ。フリーの通訳はその點(diǎn)、かなりのものを自力で構(gòu)築していかなければならないので、ベースキャンプからの作業(yè)になりかねないわけである。
私は、たえずいつでもジャーナリズムの世界に戻るという及び腰で、余技として「同時(shí)通訳」をこなしてきたので、フリーの通訳に比べると、真剣味が足りなかったことも否めない。しかし、ジャーナリズムの世界も、真剣さが求められるものであり、それには私は真剣に取り組んできた、と胸を張っていえる。
私が若者たちに贈(zèng)りたい言葉は次ぎのようなものである。
基礎(chǔ)となる勉強(qiáng)と、それと関連のある學(xué)習(xí)を徹底的に行なうことである。魯迅がかつて言ったように、他の者がコーヒーを飲んでいるときにも、寸暇を惜しんで勉強(qiáng)することである。私はある著名なギタリストの言葉を銘記している。「一応曲が弾けるようになるには十年かかり、みんなの前で演奏できるようになるにはさらに十年、そしてCDを出したり、大ホールでの公演の聲がかかるようになるにはさらに十年かかる」。私は幼少の頃に両親にギターを買ってもらって、「ポロン、ポロン」とひいていたが、結(jié)局、途中で投げ出してしまった。つまり、私にはギタリストになる才能はなかったのだ。語(yǔ)學(xué)とか、文章力をつけるための勉強(qiáng)は、生涯をかけての持続的努力が不可欠であり、あくまで食らいついて投げ出さない決意がかかせない。しかし、「同時(shí)通訳者」になるのに、30年はかからない。そんなにかかれば若者は定年間近になってしまう。しかし、大勢(shì)のパネリスト、學(xué)者の集まる會(huì)合で、テキパキと仕事をこなしていくには、それなりの覚悟と勉強(qiáng)が不可欠である。
余談になるが、東京銀座の酒場(chǎng)のバーテンダーになり、お客様に喜ばれるカクテルがつくれるようになるにも10年の修行が必要ということを、ある文庫(kù)本で読んだことがある。つまり、何事もそれなりの苦労が必要だということである。
20代の若者は、仕事と家事、育児で、40代半ばまではたいへんであろう。よっぽど経済的に豊かな家庭に育たないかぎり、苦労は避けられないはずである。また、公務(wù)員や外資系の職員でありながら、副業(yè)の「同時(shí)通訳」をこっそりするというような甘い考えは世間で通用しない。職を失うに決まっている。フリーになれば自己責(zé)任で、高齢期への備えとしてのセーフティーネットをつくりあげなければならない。真剣味という表現(xiàn)はそういうもろもろのことを適切に処理していくことも含まれるのである。
外國(guó)語(yǔ)と母國(guó)語(yǔ)のみにしぼって考えても、少なくとも、普通の市民をはるかに、はるかに上回る知識(shí)がなければ務(wù)まらない世界である。普通のレベルでは競(jìng)爭(zhēng)からふるい落とされるだけである。
秘訣というものがあるとすれば、他のものよりはるかにすぐれたシステムを30代以前に作り上げられるか、ということの中にその答えがあるはずである。以上、あくまでも一ジャーナリストとしての私見にすぎないが、チョモランマ峰にもいろいろな登攀ルート、登り方があるように、若者たちが自分なりのユニークなノウハウを見つけることを願(yuàn)っている。