第一篇:日本語教授法を理解する本(歴史と理論編)解說と演習(xí)
はじめに
本書は日本語教育史と外國語教授法(日本語教授法を含む)について書いたものです。內(nèi)容は、日本語能力試験で要求される両分野の知識に対応するようにしてあります。日本語教師やこれから日本語教師になろうとする人にとって外國語教授法を?qū)Wぶというのは、それを通して、言語や言語コミュニケーションまた言語の學(xué)習(xí)や習(xí)得についていろいろな面から考えて、そういった事柄に関する専門的な教養(yǎng)を高めること、そして、コースデザインや教材や學(xué)習(xí)指導(dǎo)の方法の選択肢を豊かにすることだと思います。そのような知識と教養(yǎng)は、學(xué)習(xí)者の狀況に合わせて柔軟な教育を行なっていくうえでも、教育課程の中で適切な意思決定を行なっていく上でも、また教師の將來にわたる成長を保障するためにも、ぜひとも必要なものだと思います。ところが、現(xiàn)在のところそのような観點から書かれた日本語教師のための教授法の本はなく、そのような本を機會があればぜひ書いてみたいと思っていました。そうしたところに、本書の話が飛び込んできたわけです。さて、読者に何らかの事柄について一定量の知識を提供しようとする場合、基本的に二つの知識の提示方法が可能です。1つは知識の全體を細(xì)かく分割して他の部分と関連付けない形で提示し、それぞれの小部分をとにかく覚えてもらうという方法です。もう1つの方法は、ある程度のまとまりで全體を部分に分割しながらも、全體を1つの物語風(fēng)な読み物として提示し、読み進(jìn)む中でそれぞれの部分を理解してもらい、最終的に読み物全體とその部分を知ってもらうという方法です。受験対策本の類では通常は前者の読者に丸暗記を要求する方法をとりますが、本書では後者の方法をとりました。その方は同じ量の文京でより多くの情報を伝えることができ、かつ知識を習(xí)得するという所期の目的を、楽しくかつ効率的に達(dá)成できると考えたからです。
日本語教育能力試験のために勉強している方は、本書で勉強した上で、過去の問題等で試験の要領(lǐng)に慣れてください。また、本書は大學(xué)の日本語教育課程や一般の日本語教師養(yǎng)成講座のテキストとしても利用することができます。本書により多くの方が日本語教育と日本語教授法について理解と興味を深めてくださることを願ってやみません。
1995年10月1日
西口 光一
目次
はじめに
第1章 日本語教授法と外國語教授法Ⅰ 日本語教育の時代區(qū)分
Ⅱ 外國語教授法の歴史と日本語教授法
第2章 日本語教育小史Ⅰ 初期の留學(xué)生
Ⅱ 國策の中の日本語教育
第3章 パーマーのオーラル?メソッド
Ⅰ オーラル?メソッドの成立
Ⅱ パーマーの言語観
Ⅲ パーマーの言語學(xué)習(xí)観
Ⅳ オーラル?メソッドの指導(dǎo)法
第4章 伝統(tǒng)的な日本語教授法
Ⅰ 成立と言語観
Ⅱ 言語學(xué)習(xí)観
Ⅲ 教育目標(biāo)
Ⅳ 指導(dǎo)內(nèi)容
Ⅴ 指導(dǎo)法
第5章 オーディオリンガル?メソッド
Ⅰ 成立
Ⅱ 言語観
Ⅲ 言語學(xué)習(xí)観
Ⅳ 教育目標(biāo)?教育內(nèi)容
Ⅴ 指導(dǎo)法
第6章 オーディオリンガル?メソッドと日本語教授法
Ⅰ オーディオリンガル?メソッドと伝統(tǒng)的な日本語教授法の比較Ⅱ オーディオリンガル?メソッドの日本語教授法への影響
第7章 獨立系の外國語教授法とナチュラル?アプローチ
Ⅰ アッシャーのトータル?フィジカル?リスポンス
Ⅱ カーランのコミュニティ?ランゲージ?ラーニング
Ⅲ ガッテーニョのサイレント?ウェイ
Ⅳ ロザノフのサジェストペディア
Ⅴ クラシェンとテレルのナチュラル?アプローチ
第8章 コミュニケーション中心の外國語教育と日本語教育
94
Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ Ⅴ Ⅵ コミュニケーション中心の外國語教育とは何か CLT成立の背景
言語観
言語學(xué)習(xí)観と教育目標(biāo)
教育內(nèi)容
指導(dǎo)法
116
第9章 日本語教授法をめぐる議論
Ⅰ 伝統(tǒng)的アプローチから折衷主義へ
121
Ⅱ
練習(xí)問題 資料
參考文獻(xiàn) 索引
コミュニカティブ?アプローチをめぐる議論
152
コラム目次
コラム 1 メソッドと教授法コラム 2 舊満州等における直接法
コラム 3 キリスト教宣教師のための日本語教育
コラム 4 ダイレクト?メソッドとダイレクト系メソッド
コラム 5 受容と産出
コラム 6 文法訳読法
コラム 7 ソシュール
コラム 8 場面シラバス
コラム 9 媒介語
コラム 10 構(gòu)造言語學(xué)
コラム 11 行動主義の心理學(xué)あるいは行動心理學(xué)
コラム 12 オーディオリンガル?メソッドとオーラル?アプローチ
コラム 13 認(rèn)知記號學(xué)習(xí)理論
コラム 14 母語別教材について
コラム 15 中間言語と化石化
コラム 16 ‘強い’コミュニカティブ?アプローチと“弱い”コミュニカティブ?アプローチ
コラム 17 ハリデーの機能主義的言語観
コラム 18 コミュニケーション?ストラテジー
コラム 19 コースデザインとシラバスデザイン
コラム 20 Threshold Level Enlish
コラム 21 分析的アプローチと総合的アプローチ
127
第1章
日本語教授法と外國語教授法
本章では、日本語教授法と各種の外國語教授法を鳥瞰的に眺めるために、まず最初に教授法の観點から日本語教育を時代區(qū)分し、次に現(xiàn)代の外國語教育の史的流れの中に各種の外國語教授法と日本語教授法を位置づけるという作業(yè)をします。本章を読むことで、読者は第2章以降で展開される內(nèi)容のプロットとそこで紹介される各種の教授法の関連を知ることができます。
Ⅰ 日本語教育の時代區(qū)分 教授法の観點から見て、日本語教育の歴史は大きく4つの時期に分けることができます。第1の時期が戦前?戦中の日本語教育、第2の時期が戦後から1980年頃までの日本語教育、第3期が1980年頃から1990年ころまで、そして、第4期が1990年頃から現(xiàn)在までです。
Ⅰ‐1 戦前?戦中の日本語教育 第1期は、「日本語教授法の前夜」とでもいうべき時代です。この時期には、國內(nèi)?國外においてかなり広く日本語教育が行なわれるようになっていましたが、一般に認(rèn)められ広く行なわれたオーソドクスな日本語教授法というものはまだ確立していませんでした。しかし、次の第2期に成立するオーソドクスな日本語教授法の基礎(chǔ)となる教育実踐はすでに行なわれていました。
Ⅰ‐2 伝統(tǒng)的な日本語教授法の時代 教育內(nèi)容と教育方法の両面において、伝統(tǒng)的な日本語教授法が確立するのは、日本語教育の歴史の第2期になってからです。この伝統(tǒng)的な教授法は、直説法あるいは直接教授法と呼ばれ、60年代からオーディオリンガル?メソッドの影響を受けながらも、30余りにわたり日本語教授法のオーソドクシーとしての地位を保ちました。
伝統(tǒng)的日本語教授法では、日本語の運用能力を身につけるためにはその基礎(chǔ)となる知識?能力を形成することが大切であると考え、その基礎(chǔ)的な知識?能力の中心は、日本語の文を構(gòu)成する要素となる文型と文法事項というものであると考えました。そして、そのような學(xué)習(xí)言語事項を習(xí)得させる方法として、媒介語や文法説明を用いないで、絵や実物や動作などを使って設(shè)定された場面の中で學(xué)習(xí)言語事項を理解させ、同じくそのような場面の中で言語事項を使う練習(xí)をすることにより、言語事項の応用的能力を習(xí)得させる、といういわゆる直説法が採用されました(コラム1)。コラム 1 メソッドと教授法
第二篇:海外の日本語教育における日本文化の學(xué)習(xí)を促すコースと教師の役割
海外の日本語教育における日本文化の學(xué)習(xí)を促すコースと教師の役割
一、研究の目的?意義
日本文化の學(xué)習(xí)は、海外での日本語教育にとっても重要である。外國語の學(xué)習(xí)は、目標(biāo)文化の理解なくしては成り立たない?,F(xiàn)在の日本語教育の現(xiàn)場でも、日本の文化や社會に何の言及もなしに、狹義の日本語を教えることは、まずないだろう。ネウストプニーの提唱してきたJapan Literacy(1989)という考え方があるが、その中でも、社會文化能力、社會言語能力、言語能力のすべてが重要で、言語能力の習(xí)得は社會文化、社會言語能力の習(xí)得に支えられて起こるものとされている。しかし、宮崎(2000)にあるように、日本における日本社會文化、或いは、日本事情の學(xué)習(xí)と、海外におけるその學(xué)習(xí)は、異なったものとして考察される必要があると思う。
海外の日本語教育現(xiàn)場は日本國內(nèi)での日本語教育と比較して、學(xué)習(xí)者が接觸可能な日本文化リソースがその量、バラエティーともに限定されていることである。國內(nèi)?海外という両極的な括り方は不適當(dāng)であることは承知しているが、ここではあえて海外という用語を使い、程度の差こそあれ、日本社會文化リソースが限定された現(xiàn)場を指すこととする。つまり、海外の日本語教育現(xiàn)場では、日本の社會文化に浸った國內(nèi)での日本語教育の現(xiàn)場より、さらに意識的な日本文化、日本事情の學(xué)習(xí)が目指されなければならないという點を念頭において、海外の日本語教育を取り上げて考察する必要があると考える。
海外の日本語教育現(xiàn)場では、學(xué)習(xí)者が直接日本に觸れること、日本人?社會と相互作用を持つこと、そして、自己検証していくことが、実際問題として難しい。しかし、日本文化を自らの知識として構(gòu)築していくことが真の學(xué)習(xí)であることは、海外においても同じであり、日本事情を?qū)Wぶべきであること、つまり、自律的な學(xué)習(xí)者になるべきことも、また同じである。
二、研究內(nèi)容
五つの部分に分けて、検討していきたい。1、日本文化の畫一化と多様性
この部分の中に、海外の日本語教育現(xiàn)場での日本文化の現(xiàn)狀について簡単に紹介したい。一般的に言って、教師による文化の提示は一方的な知識の伝達(dá)に終わり、學(xué)習(xí)者にとっては面白みがなく、學(xué)習(xí)効果もないことが多い。しかも、教科書、ビデオなどの教材から、または、一教師の経験から、ある事象を日本文化の表れとして提示し、それを一般化し、畫一的に扱ってしまうことが往々してある。學(xué)習(xí)者が批判なく受け入れてしまうことが考えられる?,F(xiàn)在、日本はその急変とともに様々な分野での多様化が認(rèn)められてきている。日本在住の日本語學(xué)習(xí)者はその多様性を肌で感じ、畫一的な文化の提示を受けたとしても、それに疑問を抱くきっかけがあるだろう。2、海外で得られる日本文化學(xué)習(xí)リソース
海外の日本語教育現(xiàn)場で得られる日本文化學(xué)習(xí)リソースは、その立地環(huán)境によって量、質(zhì)ともに差が大きい。ここでの日本語教師の役割は、學(xué)習(xí)者がこれらのリソースに気付くきっかけを作り、また、それを活用していけるような動機づけ、理由付けをしてやることにある。そして、例えば、學(xué)習(xí)者が、地域社會の様々な人的リソースに出會うことで、日本人日本教師だけを見て形成してきた日本人像が崩れ、學(xué)習(xí)者なりの日本人像を再構(gòu)築できろことが望ましい。3、學(xué)習(xí)者の自律
學(xué)習(xí)者が自分なりの日本人像を構(gòu)築するということ、1歩進(jìn)んで、學(xué)習(xí)者が自分なりに日本文化を理解していくことは、教師中心の一斉授業(yè)、教師からの一方的で畫一的な、しかも、腳色された日本文化、社會の提示を離れ、學(xué)習(xí)者を自律した一個の人間として認(rèn)めていくことにもつながる。4、ステレオタイプ
日本文化の意味形成はどこから始まるのか。その始まりがステレオタイプであってもよいのではないかと考えている。5、ニューサウスウェールズ大學(xué)の試み
ニューサウスウェールズ大學(xué)では、中級日本語コースで過去5年間にわたり、シドニーで入手可能なリソースを活用し、スキーマを増やして行くことによって、學(xué)習(xí)者が自分達(dá)なりにバランスよく日本を理解していけるような日本語教育活動を目指して、學(xué)生に調(diào)査研究を課している。
三、研究方法 1、2、本研究に関連する文獻(xiàn)レビューを行う。先行研究をまとめて、定義、學(xué)習(xí)者グループが小規(guī)模な調(diào)査研究を行う。分析などを參考する。
四、期待された結(jié)果
海外の日本語教育の現(xiàn)場でも、一律の教材を使うことから離れて、學(xué)習(xí)者がそれぞれ様々なリソースを持ちより、それを分かち合い検証しあうことで、できる限りバランスの取れた日本文化理解を?qū)W習(xí)者の自律性を生かしながら目指していけることを示したい。海外の日本教師は、日本にいる場合以上に教師の役割に注意を払う必要があると思われる。