第一篇:高瀨舟讀后感【日語】
高瀬舟の感想文
「人は身に病があると、この病がなかったらと思う。その日その日の食がないと、食べて行かれたらと思う。萬一の時に備える蓄えがないと、少しでも蓄えがあったらと思う。蓄えがあっても、またその蓄えがもっと多かったらと思う?!?/p>
『高瀬舟』を読み終わり、一番印象的な部分はこれである。この描寫によって、作者は人間の欲望というものを生き生きと、徹底的に表してみせたからだ。私は思わず自分のことを振り返ってみた。毎年五月になると、住まいの近くにある湖のハスは盛りとなる。そこを通るたびに、「美しいなぁ」と思っていながら、ちらりと見ただけでまた急いでいく。しかし、知らず知らずのうちに増水期が訪れ、水面上にあった何もかもが水沒してしまい、あっというまにハスが消えてしまう気がする。すると、かつての美しさの感嘆が、殘念の気持ちに変わってしまう?!冈绀饯蚊坤筏丹蛭钉铯à肖瑜盲郡韦恕工人激?、落ち込んでやまない。
私はハスがずっとこのままで咲いていく、あるいは、せめてもう少し私を待ってくれるように希望していたのだ。それに、もうハスが戻れないことを知っていても、自分の気持ちが抑えられない。これは、踏み止ることを知らないということだ。なるほど、あまりの欲望に伴い、後悔も常についてくる。もっと考えてみれば、後悔どころか、嫉妬?苦痛?絶望などのマイナスな感情ももたらされ、甚だしきに至っては戦爭も勃発してしまう。
欲望は人間の生れつきであろうか、この世の中の人々は、誰でも思わず何かを追い求めている。確かに、ほしいものを適切に追い求めるのは生活の向上心と言え、當たり前とされているが、欲望の渦に巻き込まれ、一生それに駆り立てられて行くのは人間の悲劇であると思う。踏み止ることが分かり、現(xiàn)在持っているものを大切にし、幸せを味わうことこそ、人生の大事なことではないかと思っている。
第二篇:舟舟讀后感
在孩子們的嘲笑和無知者的欺凌中,胡厚培、含琴夫婦和兒子舟舟一起承受。痛苦的承受的那些日子里,舟舟將來靠什么自立于社會,成為父母心頭不能承受之重?;蛟S是父親的遺傳,舟舟對指揮有著執(zhí)著的追求和熱愛。從此,舟舟不顧刮風下雨路途遠近,都會隨著父親所在的樂團排練演出形影不離……。
時間孕育著天才,也見證著天才,終于有一天,舟舟在樂隊枯燥排練的間隙,應叔叔阿姨玩笑般的邀請,一本正經(jīng)地拿起指揮棒,用嫻熟、優(yōu)雅、準確的指揮,征服了在場所有的人。一位電視導演發(fā)現(xiàn)了舟舟的天賦,中國殘疾人藝術團向舟舟發(fā)出邀請……。從此,舟舟,這個深受人們喜愛的弱智“指揮家”的世界五彩繽紛。
舟舟的媽媽在生命的最后時刻,用捐獻眼角膜來回報社會對舟舟的關愛。作為“名人”的舟舟,全身心陶醉在音樂帶來的快樂、激動和興奮之中,用指揮棒下流淌的音樂,告訴那些還在為有著和父親一樣痛苦的家長:“愛,是可以改變命運的!”。個智障兒怎么能成就這般事業(yè),的確值得我們思考。
我覺得,首先得益于他的家庭,父母的齊心合力,如果當時不論任何一方放棄了這個孩子,他都不能取得今天的成就。我看得很感動,他有一個偉大的母親、一個偉大的父親、一個偉大的奶奶。母愛來得很原始,她對舟舟義無反顧的付出,雖感動卻也不覺得要如何贊嘆,畢竟是自己身上掉下來的肉。但作為父親,能如此體諒妻子的不易,對一個智障兒從不嫌棄并不離不棄,在現(xiàn)代社會看來卻著實不易,我們這一輩的男人,太多缺乏責任心了,稍不如意就可以輕易放下身上的責任,選擇逃避或者去婚外尋找感覺、尋找安慰,更別談受盡閑言閑語、承受莫大的壓力。也很喜歡舟舟的奶奶,一個善良而聰明的女人,沒有責備、沒有抱怨,更加鞏固了這個家庭的和諧。舟舟是不幸的卻又是幸運的,他得到了那么多的愛,他這一生過得何其幸福。所有家和萬事興說的就是這個道理。
他的成功其次取決于他自己,因為智障,他比我們普通人來得單純、純粹,他的腦子里沒有我們那么多雜念,他喜歡音樂,就好好的愛他的音樂,而普通人因為聰明,任何事都會一點卻都不太精通。指揮對他來說只是一件很好玩的事情,并不會有太多的壓力,而普通人會莫名的緊張、會因為面子而瞻前顧后、會僅僅當作一個任務去做卻不是因為興趣。很贊同從玩中去學習,沒有興趣很難學好東西。
難得糊涂,我們?nèi)绻笾壑勰菢雍恳稽c,我們又比舟舟聰明得多,那我們將會多么的幸福,舟舟不會理會身旁的閑言碎語,只開開心心的過他的日子、玩他的指揮,我們卻做不到這樣的我行我素,我反倒有點羨慕他了。。
電影《舟舟》觀后感
青羊驛鎮(zhèn)板廟小學六年級李繼剛
今天,我觀看了一部平凡而又使我記憶深刻的影片。
影片講述了由一個先天愚性兒引起的一系列感人的故事。
影片中,一個小生命在產(chǎn)室里降生了,當護士告訴那位母親,這個孩子的大腦有點問題時,這位名叫含琴的母親震驚了,雖然她并沒有在意這件事,可這件事卻像一把刀子深深地插進含琴的心里,隱隱作痛。她不敢向丈夫說起這件事,因為她知道,這就像一個巨大的災難。她預感到什么,可又不明白那是什么。他們給孩子取名為舟舟,寓意他會帶著希望,帶著平安駛向遠方。然而,命運卻安排噩耗降臨到這個幸福而又溫暖的家。
幾個月后,舟舟突然哭鬧不止,含琴趕忙抱著舟舟去了醫(yī)院,丈夫也知道了那個消息。舟舟是個傻瓜的消息傳遍了鄰里街坊。
舟舟對音樂有著獨特的偏愛,爸爸每次去演出都會帶著舟舟,漸漸地,音樂成了舟舟無法割舍的愛好。
最后,舟舟憑借自己對音樂的天賦和刻苦的訓練,成為了一名不識譜的指揮家。
影片令我感觸最深的是含琴和她丈夫?qū)χ壑鄣膱?zhí)著和堅定的信念,以及他們不愿向命運低頭的堅強,都是值得我們學習的。
電影里那句,“一個平凡的人需要尊重和理解的。而一個不平凡的人也是需要尊重和理解的?!笔悄敲醋屓烁惺苌羁?。
舟舟備受別人的歧視,別的孩子不跟他玩,而命運創(chuàng)造了這個奇跡。
只要有愛,什么都可以辦到。
第三篇:高瀬舟
高瀬舟
森 鴎外
高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小船である。徳川時代に京都の罪人が遠島を申し渡されると、本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこでいとまごいをすることを許された。それから罪人は高瀬舟に乗せられて、大阪へ回されることであった。それを護送するのは、京都町奉行の配下にいる同心で、この同心は罪人の親類のうちで、主だった一人を、大阪まで同船させることを許す慣例であった。これは上へ通ったことではないが、いわゆる大目に見るのであった、黙許であった。當時遠島を申し渡された罪人は、もちろん重い科を犯したものと認められた人ではあるが、決して盜みをするために、人を殺し火を放ったというような、獰悪な人物が多數(shù)を占めていたわけではない。高瀬舟に乗る罪人の過半は、いわゆる心得違いのために、思わぬ科を犯した人であった。有り觸れた例をあげてみれば、當時相対死といった情死を謀って、相手の女を殺して、自分だけ生き殘った男というような類である。
そういう罪人を乗せて、入相の鐘の鳴るころにこぎ出された高瀬舟は、黒ずんだ京都の町の家々を両岸に見つつ、東へ走って、加茂川を橫切って下るのであった。この船の中で、罪人とその親類の者とは夜通し身の上を語り合う。いつもいつも悔やんでも返らぬ繰り言である。護送の役をする同心は、そばでそれを聞いて罪人を出した親戚眷屬の悲慘な境遇を細かに知ることができた。しょせん町奉行所の白洲で、表向きの口供を聞いたり、役所の機の上で、口書きを読んだりする役人の夢にもうかがうことのできぬ境遇である。
同心を勤める人にも、いろいろの性質(zhì)があるから、このときただうるさいと思って、耳を覆いたく思う冷淡な同心があるかと思えば、またしみじみと人の哀れを身に引き受けて、役柄ゆえ気色には見せぬながら、無言のうちにひそかに胸を痛める同心もあった。場合によって非常に悲慘な境遇に陥った罪人とその親類とを、特に心弱い、涙もろい同心が宰領していくことになると、その同心は不覚の涙を禁じえぬのであった。
そこで高瀬舟の護送は、町奉行所の同心仲間で、不快な職務として嫌われていた。
いつのころであったか。たぶん江戸で白河楽王侯が政柄をとっていた寛政のころででもあっただろう。知恩院の桜が入相の鐘に散る春の夕べに、これまで類のない、珍しい罪人が高瀬舟に乗せられた。
それは名を喜助と言って、三十歳ばかりになる、住所不定の男である。もとより牢屋敷に呼び出されるような親類はないので、舟にもただ一人で乗った。
護送を命ぜられて、いっしょに舟に乗り込んだ同心羽田莊兵衛(wèi)は、ただ喜助が弟殺しの罪人だということだけを聞いていた。さて牢屋敷から桟橋まで連れてくる間、この痩せ肉の、色の青白い喜助の様子を見るに、いかにも神妙に、いかにもおとなしく自分おば公儀の役人として敬って、何事につけても逆らわぬようにしている。しかも、罪人の間に往々見受けるような、溫順を裝って権勢に媚びる態(tài)度ではない。莊兵衛(wèi)は不思議に思った。そして船に乗ってからも、単に役目にの表で見張っているばかりでなく、絶えず喜助の挙動に、細かい注意をしていた。その日は暮方から風がやんで、空一面を覆ったうすい雲(yún)が、月の輪郭をかすませ、ようよう近寄ってくる夏の暖かさが、両岸の土からも、川床の土からも、靄になって立ち上るかと思われる夜であった。下京の町を離れて、加茂川を橫切ったころからは、辺りはひっそりとして、ただ舳先に割かれる水のささやきを聞くのみである。夜舟で寢ることは、罪人にも許されているのに、喜助は橫になろうともせず、雲(yún)の濃淡に従って、光の増したり減じたりする月を仰いで、黙っている。その額は晴れやかで、目にはかすかな輝きがある。
莊兵衛(wèi)はまともには見ていぬが、始終喜助の顔から目を離さずにいる。そして不思議だ、不思議だと、心の內(nèi)で繰り返している。それは喜助の顔が縦からみても、橫から見ても、いかにも楽しそうで、もし役人に対する気兼ねがなかったなら、口笛を吹き始めるとか、鼻歌を歌い出すとかしそうに思われたからである。莊兵衛(wèi)は心の內(nèi)に思った。これまでこの高瀬舟の宰領をしたことは幾度だかしれない。しかし乗せてゆく罪人は、いつもほとんと同じように、目も當てられぬ気の毒な様子をしていた。それにこの男はどうしたのだろう。遊山船にでも、乗ったような顔をしている。罪は弟を殺したのだそうだが、よしやその弟が悪いやつで、それをどんな行き掛かりになって殺したにせよ、人の情としていい心持ちはせぬはずである。
この色の青いやせ男が、その人の情というものが全く欠けているほどの、世にもまれな悪人であろうか。どうもそうは思われない。ひょっと気でも狂っているのではあるまいか。いやいや。それにしては何一つつじつまの合わぬ言葉や挙動がない。この男はどうしたのだろう。莊兵衛(wèi)がためには喜助の態(tài)度が考えれば考えるほど分らなくなるのである。
しばらくして、莊兵衛(wèi)はこらえきれなくなって呼びかけた?!赶仓?、おまえ何を思っているのか?!?/p>
「はい?!工妊预盲妻xりを見回した喜助は、何事をかお役人に見とがめられたのではないかと気遣うらしく、居ずまいを直して莊兵衛(wèi)の気色をうかがった。
第四篇:日語讀后感
一升の涙
今朝、図書室で<一リットルの涙>という本を読んでいました。いろいろな感想ができて、人生への考え方も変わりました。
この社會ではちょっとした悩んでることで命を諦める人が多いようですが、自分が世の中で生きていることはどれほど幸せなのか一度も考えていなかったです。健康な體が幸せで、この世界で生きていることは幸せでわないだろうか。ここまで考えていると、涙が瞳から流さないでいられなかったです。命の大切さの意味があなた達はわかっているでしょうか
彼女はこの病気にかかったにもかかわらず、自分の命を諦めませんでした。せめて僅か一日しか殘っていても、大切にしていました。この病気は今でも癒すことができないです。しかも、この病気の恐ろしいところは體のバランスが崩れたり、呼吸が苦しくなったりしています。病狀がさらに悪化すると、話すらできない場合もあります。結局、徐々にこの世から立ち去ります。こんな苦しい人生と戦うと、諦めた人が多いですが、気が強い亞さんが一度も諦めるなんて考えていなかったです。相変わらず、恐ろしい悪魔と戦って行きます。14から病気に絡まれいた亜がこのままに日々頑張っていきました。病狀が悪化していっても、亜も諦めることなく日記をつけていました。どのように病気とかかっていたのかの全ての記憶を書き込みました。ずっと命の終わりまででした。將來、自分がどんな大學に合格できるのか、どんな仕事をするのか、結婚できるかどうか病気と戦っていた12年の中でずっと考えていたのです。しかし、神さんはそんなものを恵んでくれなかったです。12年の中で徐々に體が衰えていっても、どうにもならなかったです。この12年の苦しみが見られたら、胸が立たれない人がいないのではないだろうか。亜さんのような粘り強い精神を感心しなかったですか。できる人がいないだろう。
亜さんはかつて生きて生きたいけど、生きられないと言いました。なので、人間の命が非常に大切です。一度しかないですから、しっかり大切にしなければなりません。この社會で生きていることには困難や挫折がきっとありますが、頑張れば、必ず克服できるのです。亜さんのように、度重なる困難にも挫けないことにしましょう。われわれは亜さんよりずっと幸せですから。神さんがこんな幸せを恵んでくれるのを感謝しています。幸い限りです。
ただ、神さんも公平ですので、完璧な命をくれたけれども、でこぼこのような困難や挫折などばかりの道にもくれました。それと戦っていきましょう。同じように、亜さんの命が短かったですが、そばにたくさんの友達があって、身近の人からの配慮や応援などで充実な生活を送りました。それも神さんが授けた運命です。自分の運命で甲斐のある生活を送りましょう
亜さんがなくなったといっても、彼女の精神がずっと私たちの心に殘っています。
080617吳佳美
第五篇:日語高考中作文評分標準
日語高考中作文評分標準
高考日語是否能最后得到高分,一是取決于整體卷面的單項選擇得分,往往丟分最多的是在聽力和文法中。二是取決于寫作的水平,很多同學在高中階段未參加過系統(tǒng)的日語學習,特別是日語寫作的學習,對于作文題無法把握,有些同學更是生搬硬套,如此下來,使作文既空洞又毛病多多,往往使改卷老師看的一頭霧水沒有耐心再往下改,最后寫作連一半的分都拿不到(作文滿分30分)。現(xiàn)在此公開高考作文的評分檔次標準,在平時的在線作文練習中,通過多練習取得更高的得分。
檔次標準:
第六檔(26~30分)寫出會話文的全部主要內(nèi)容,語言準確流暢,句型及表達形式豐富。
第五檔(20~25分)寫出會話文的全部主要內(nèi)容,語言表達恰當。第四檔(15~19分)寫出會話文的大部分主要內(nèi)容,語言表達通順。第三檔(10~14分)寫出會話文的一部分主要內(nèi)容,語言表達基本通順。第二檔(5~9分)寫出會話文的少部分主要內(nèi)容,語言表達欠通順。第一檔(0~4分)僅寫出會話文中很少的內(nèi)容,語言表達不通順或字數(shù)少于100字。
(作者:凌教師來源于:高考日語第一站)