第一篇:日語初級測試卷
日語測試卷
本試卷考試時間90分鐘,共5頁,共三大題。
分值:滿分100分,第一大題四十個單詞,每個0.5分,共20分。第二大題三十個單項選擇題,每個1分,共30分。第三大題閱讀理解共20個選項,每項2.5分,共50分。第一大題
(1)請將下列漢字寫成假名
夜 中
夏 休み
電 車
帰る
卵
手 紙
動 物 園
窓
野 菜
運 転
上 手
緑 茶
最近
風
駐 車 禁 止
水 筒
建 築 家
間 違い 申 込 書 乗る
(2)請將下列假名寫成漢字
こうこく
かたち
さいふ
えき
せいと
でんわ
きぎょう
きょうじゅ
でむかえ
せんげつ
(3)請寫出下列外來語語義
ノート
ハンカチ
ビデオ
アパート
コンサート
ボールペン
スプーン
ニュース
シーズン ハンサム
第二大題:日語知識運用——從A,B,C,D4個選項中選出最佳選項。
(1)暑いので
をあけてください
A へや
B なつ
C かぜ
D まど(2)今日は
です、明日はみっかです。
A ふつか B はつか C よっか D ついたち
(3)弟は部屋
掃除をしました。
A が
B を
C に
D の
(4)あなたは毎日何
會社へ行きますか。
A に
B で C へ D から(5)リンゴ
イチゴを買いました
A が
B や
C は
D へ(6)ごはんを食べた後は「______?!工趣いい蓼埂?/p>
A ごちそうさま
B いただきます
C しつれいします
D おねがいします(7)昨日___へいきました。
A スプーン
B ストーブ
C デパート
D ニュース(8)ここからホテルまで___ですから、あるいていきましょう.
A ちかい
B ながい
C とおい
D みじかい
(9)_____えいがをみにいきませんか。
A.ゆうべ B.きのう C.あした D.おととい(10)わたしはいつも_____を聞きながらべんきょうします。A.ぺん B.ラジオ C.テープル D.ストーブ(11)學生は教室で山田先生に日本語を_____います。
A.ならって B.つくって C.おぼえて D.べんきょうして(12)わたしたちは 駅まで バス____ 行きましょう。
A.を B.に C.が D.で(13)「あなたのかばんはどれですか?!埂袱铯郡筏韦肖螭悉ⅳ韦恧ぃ撸撸撸撙扦埂!?/p>
A.の B.に C.か D.と(14)郵便局____どこですか。
A.で B.に C.は D.を
(15)わたしはきのう公園____寫真をとりました。
A.に B.へ C.が D.で(16)あの 人は どこ___ 來ましたか。
A.だけ B.など C.から D.でも(17)「にほんごは ___ですか。」
「とても難しいです?!?/p>
A.どう B.なん C.どこ D.だれ(18)なのかの次は_____です。
A.とおか B.ようか C.むいか D.よっか(19)私のうちに貓が_____います。
A.二つ B.二人 C.二臺 D.二匹(20)さかながかわを_____います。
A.およいで B.はしって C.あるいて D.とんで(21)わたしは昨日おとうと___テニスをしました。
A.と B.や C.を D.か(22)このテストは ___。
A.むずかしいないです B.むずかしいではないで C.むずかしくないです D.むずかしくなくです
(23)ここではタバコを ___はいけません。
A.すわないで B.すって C.すわない D.すわなく(24)
かばんが欲しいですか。
A.どこ B.どちら C.どれ D.どんな(25)きょうは友達は ____ 來ませんでした。
A.どんな B.いくつ C.だれも D.いつも(26)それはとても_____問題です。
A.たいせつな B.いろいろな C.じょうぶな D.にぎやかな(27)きのうは、朝から晩まで掃除や洗濯で_____です。
A.たかかった B.あぶなかった C.おもかった D.いそがしかった(28)來週京都へりょこう____ 行きます。
A.と B.が C.を D.に(29)「___しごとをやすみましたか?!?「びょうきだったからです?!?/p>
A.どこの B.どなたが C.どうして D.どのぐらい(30)A「おにいさんはおげんきですか?!?B「____。」
A.はい、おかげさまで B.あ、どういたしまして C.いいえ、ありがとう D.ええ、すみません
第三大題:閱讀理解——閱讀下列短文,從A,B,C,D4個選項中選出符合文章內(nèi)容的最佳選項,填在括號內(nèi)。
先週、新しいアパートに入りました。私の部屋は2回です。隣には、今誰も住んでいません。1階には、おばあさんと男の大學生が住んでいます。
問1 2階に誰が住んでいますか。
()
A だれも住んでいません。
B 「わたし」が住んでいます
C おばあさんがすんでいます
D 男の大學生が住んでいます
サングラスというのは普通夏の天気のいい日にかけるめがねだが、わたしは冬によく使う。日本では冬に風が強いから。
問2 この人が冬にサングラスをかけるのはどうしてですか。
()
A 風が強いからです。
B 寒いからです。
C 天気がいいからです。
D 厚いからです。
昨日、本を買って、夜3時間ぐらい読みました。250ページの本ですが、まだ100ページぐらいあります。面白い本です。
問3 この人は、何ページ読みましたか。()
A 50ページぐらい
B 150ページぐらい
C 200ページぐらい
D 250ページぐらい
昨日、友達のみどり子のうちへ行きました。場所がよくわかりませんから、出かける前に、みどり子に電話をかけました。みどり子は「電車に乗って、中川駅で降りてください。それからまっすぐ行くと、右に郵便局があります。家はその後ろのマンションの中にありますよう」といいました。
問4 その後ろは何を指しますか。
()
A 電車の後ろ
B 中川駅の後ろ
C マンションの後ろ
D 郵便局の後ろ
わたしは奈良へ言ったことがあります。奈良はきれいな町です。車や人が少なくて、靜かです。
京都と大阪は奈良から近いです。京都と奈良は古いお寺や神社がたくさんありますから、外國人も遊びに來ます。
大阪は人が多いです。とてもにぎやかです。大阪に空港が2つあります。新しい空港は海の上にあって、広くて、きれいです。
問5 奈良はどんな町ですか。
()
A 人が多くて、にぎやかです。
B お寺や神社が少ないです
C 古くて、きれいな町です。
D 外國人がとても多いです
問6 大阪はどんな町ですか。()
A 車や人が少ないです。
B お寺や神社が多いです。
C 人が多くて、にぎやかです。
D 靜かな町です
日本の街に自動販売機がたくさんあります。水やジュースを買うことができます。タバコやビールも買うことができます。
きっぷも自動販売機で買います。お金を自動販売機の中に入れると、きっぷが出ます。3
とても便利です。しかし、自動販売機が多くなると、人がさびしくなります。
問7 自動販売機で何を買うことができます。()
A 飲み物だけ買うことができます。
B 切手を買うことができます
C きっぷだけ買うことができます。
D飲み物やきっぷを買うことができます
あなたは花見をしたことがありますか。日本人は花見が好きです。桜は日本で一番有名な花です。桜のとき、日本人は桜の下で、歌を歌ったり、お酒を飲んだりします。とてもにぎやかです。
問8 「花見」はなんですか。()
A 桜を見ます。
B 歌を歌います
C お酒を飲みます
D 花を見ます。
わたしのおばあちゃんは79歳で、とても元気です。一人で田舎に住んでいます。毎日家を出て、運動します。
休みのとき、両親とわたしいつも來るまで尾バア茶に會いに行きます。おばあちゃんが好きなお菓子を買ってあげます。おばあちゃんは私たちにおいしい料理を作ってくれます。みんなで食べたり、話したりします。とても楽しいです。
問9 おばあちゃんは何が好きですか。()
A 田舎が好きです。
B お菓子が好きです。
C おいしい料理が好きです。
D スポーツが好きです。
昨日図書館へ言って本を借りました。面白い話ですが、難しいです。
今日も明日も忙しいです。読む時間がありません。あさってまた読みます。問10 いつ本を読みますか。
()
A 明日
B 今日
C あさって
D 昨日
日本の京都は古い町です。そして、とてもきれいです。特に、日本で京都の紅葉が一番すばらしいです。京都のラーメンも有名です。問11 京都はどんな町ですか。
()
A 靜かな町です。
B きれいな町です。
C 有名な町です
D 古くない町です
光君は小學生です。げつようびから金曜日まで學校へ行きます。學校は4時半までです。學校の近くに公園があります。光君はいつも友達とその公園で遊びます。5時に學校のバスで家へ帰ります。それから、晩御飯を食べます。晩御飯はいつもご飯と野菜と肉です。光君は肉が好きです。7時から宿題をします。
明日は土曜日ですから、光君は學校へ行きません。お父さんと一緒に遊園地へ遊びにいきます。
問12 光君はいつ休みますか。
()
A 水曜日と木曜日です。
B 木曜日と日曜日です。
C 土曜日と日曜日です。
D 金曜日と土曜日です。問13 光君は公園で何をしますか。
()
A 宿題をします
B 勉強します
C 遊びます。
D 肉を食べます。
太郎君のうちに犬がいます。犬の名前はポチです。ポチは毎朝太郎君と散歩に行きます。それから、家へ帰ります。九時ごろ太郎君のお母さんと買い物に行きます。午後學校へ太郎君を迎えに行きます。
週末は太郎君の學校は休みです。太郎君の家族は車で郊外へ遊びに行きます。ポチも一緒に行きます。
ポチは毎日朝から夜まで忙しいですから、とても疲れます。問14 ポチは土曜日何をしますか。()
A 太郎君のお母さんと買い物に行きます。
B 太郎君を迎えにいきます。
C 郊外へ遊びに行きます
D 何もしません
問15 ポチは學校へ何をしに行きますか。
()
A 勉強します。
B 太郎を迎えます。
C 散歩します。
D 遊びます。
今夜の11時です。今日は仕事が忙しかったです。九時に晩御飯を食べてお風呂に入りました。いつもはお風呂に入ってから7時ごろご飯を食べます
問16 正しいものはどれですか。
()
A いつもはもっと早く寢ます。
B いつもは9時ごろご飯を食べます
C いつもは7時ごろまで仕事をします
D お風呂に入る前に、ご飯を食べました
私の趣味は寫真をとることです。休みの日はいつも公園や郊外へ言って、寫真を撮ります。時々美術館へすばらしい寫真を見に行きます。
先週の土曜日、美術館の前で、本田さんに會いました。本田さんは高校生のと時の友達です。本田さんも美術館へ寫真を見に來ました。二人で一緒に寫真を見ました。それから、近くの喫茶店へ行きました。今週の土曜日、ホンダさんと一緒に公園へ寫真を撮りに行きます。
問17 「ふたり」はだれとだれですか。
()
A 「わたし」と高校生
B 「わたし」と友達
C 本田さんと「わたし」
D 本田さんと高校生
問18 「私」は今週の土曜日、何をしますか。()
A 喫茶店へ行きます。
B 友達に會います。
C 美術館へ行きます。
D 寫真を撮ります。
夏休みに、家族とホワイへ行きました。ホワイは暑かったですが、海がとてもきれいでした。旅行の人が多かったです。
晝間は泳いだり遊んだりして、楽しかったです。夜はみんなでパーティーで歌を歌ったり、踴ったりしました。とてもにぎやかでした。そして、食べ物もおいしかったです。
國へ帰る前に、有名なデパートへお土産を買いに行きました。いろいろなものがありますが、おいしいお菓子を買いました。問19 ホワイでしなかったことは何ですか。()
A パーティをすることです。
B ダンスをすることです。
C 水泳をすることです。
D 船に乗ることです。問20 何のお土産を買いましたか。()
A 有名なお菓子
B おいしいお菓子
C いろいろなもの
D安いもの
一:よなか
なつやすみ
でんしゃ
かえる
たまご
てがみ
どうぶつえん
まど
やさい
うんてん
じょうず
りょくちゃ
さいきん
かぜ ちゅうしゃきんし
すいとう
けんちくか
まちがい
もうしこみししょ
のる
広告
形
財布
駅
生徒
電話
企業(yè)
教授
出迎え
先月 筆記本,記事本
手絹
錄像機 公寓
音樂會
圓珠筆
湯匙
新聞
季節(jié)
帥氣 二:BABDC CDABC BCCBD DCDDB 三:ABBD ACAA
BCCD
DABC ACDB
第二篇:初級日語作文
我的大學生活
種類によっての熱心な出現(xiàn)は時間に素晴しい教授で教師、思考の列車に近く學友と坐るために、歩行者がすべて妨げたそれらを座席のための一見引き出す教科書を、終日大學生命始めてしまった道の歩行者のプロローグを次第にであるずっとクラスに出席した多數(shù)、壊したキャンパスの靜けさを、すぐに、雑談していた最后の夜スポーツが一致する教室の教室の方に動かされて非常に速く浸るある恐れられていた軽いステップを置くことを可能にしたこと、ちょうど照らされた私の大學生命天候が何人かの人々陰の外國語を読むキャンパスで見る教師と上向きに飛んで、表面の古い教授は時間后に學校からの休暇に青年輝きの午后をある最も忘れられない渡している、これは行くために自分自身が割り當てる時間、割り當てられたアクセス網(wǎng)、一緒に、そしてまたそう食事した任命同時にだった各種類の活動が行なった元気づけた學生のサッカー競技場のグループの文學様式ホールからの音、送信された時間蹴る球をだったが、また何人かの何人かの若いメス學生はだったこの2 年に、住むために燃料を補給された叫ぶこと......意識不明に2 年の大學渡されて実際によかったそして、成長した育つ、自身の夢に日刊新聞の私達がすべて次第に先に行ってもいかにが生命の悪い狀態(tài)にすべてある
「私の友達」
私は積極的な性格ですから、友達がたくさんいます。しかし一番仲が良いのは你來我網(wǎng)さんという友だちです。彼女と初めて會ったのは、高校生になった時です。你來我網(wǎng)さんは私は反対に、女らしく優(yōu)しくて、すなおです。私と同じ年ですが、いつも私の悩みを聞いてくれて、私には本當のお姉さんのような人です。私が寂しい時や困ってにる時は、いつでも力になってくれました。你來我網(wǎng)さんは、今、ゲザイナーになって有名な洋服の會社につとめ、毎日いそがしいようです。私が日本へ來ているので會えませんが、暇があれば手紙を書き、電話も時時かけています。これからもずっと仲良くしていきたいと思ってにます。
「私の夢」
(日本人は理想よりも、夢と言う言葉を使っていると思いますので。)
私はまだ子供のころ、空を見上げることが大好きでした。青々と広がっている空を、ふわふわしている云が、のんきそうに漂っていくのを見て、心が愈されるような気がします。ですから、私はそのとき、「將來パイロットになりたい」と心で決めました。飛行機にのって、鳥のように、空を、云の間を縫いでいくことを、すばらしく思っていました。頭が空っぽになって、すべての悩みが忘れられるようなので。
まだちっちゃいので、パイロットになるために、どうしたらいいのかまだ考えていませんでした。その后、パイロットはみんな2.0以上の視力がなければならないと聞いて、近視眼である私はただ、空しく嘆くしか、しようがありませんでした。
高校に入って、私はサッカーに興味を持ち始めました。サッカー選手たちが、競い合っている姿に、私は惚れていました。あのスピード、パワー、テクニック、あれこそが、男のあるべき姿ではないかと、私は思いました。そして同時に、新たな夢が私の心に芽生えま
した。それは、「中國一のゴールキーパーになって、中國チームを世界の頂點に送るのに、私は自分の力を捧げたい」と思いました。しかし、それには、身長が必要です。1.80ちょうどの私には、中國一は無理だったのかもしれません。大學に入って、身長がほぼ固定された私の新たな夢は、無殘にも破られてしまいました。
日語
大學では、日本語を?qū)煿イ筏蓼筏?。正直、初めの頃は、夢なんて、まだ見つけていません。目の前の道をただ走るのみ、そこには私の夢とか、意志とか、ありませんでした。勉強していく中で、ちょっとした問題に気づきました。それは、必死に勉強している人ほど、成績が低く、ということでした。そのとき私はこっそり考えました。実は彼らは努力が足りないってわけではありません。努力の方なら、私なんかより、ずっとたくさんしていると思います。殘念なことに、彼らは勉強の仕組み、つまり勉強の方法を知らないだけに、こういう「空振り」の學習を繰り返しているです。そこで、私は「將來日本語の教師になって、知識だけではなく、勉強の仕組みを、御紹介させていただきたい」という、夢を持つようになり、そして今までに至っています
我的家鄉(xiāng)
私は上海に生まれました。故郷は上海だと思います。上海は中國の中では、最も都會らしい都會です。上海には名所名跡が少ないが、中國最大の商業(yè)、工業(yè)、港灣地帯として特徴づけられている。
今、上海の人口がもうすでに1250萬人を超え、世界一のマンモス都市となった。改革開放によって、上海が大きく変わりつつある。毎年上海に帰省するたびに、その発展ぷりに驚き、上海の一員として、夸りと喜ぴを持っている。
上海は長江の南側、支流の黃浦江の西側に拓かれた街だ。今世紀の初めに黃浦江西側のバンドと呼ばれる地區(qū)は、港灣設備が整備され、その周辺に各國の租界か集中されていた。上海はまた「冒険家の楽園」と呼ぱれ、このバンドは國內(nèi)だけでなく海外でもよく知られており、観光客が必ず訪れる所となっている。バンドは上海?シンポルとも言え、バンドの周辺に立ち并ぷ建物はそれぞれ風格を持ち、「萬國の建筑物」と言われる。
バンドの近くから始まり、市中心まで伸びる世界でも有名な南京路がある。東京の銀座より人がいっぱいで賑やかである。南京路にある第一百貨店は毎日20萬人ほどのお客さんを迎え、祝日になると30萬人を超えるほどだ。(你我 日語)
さらに、夜のバンドと南京路はまた格別だ。ネオンサインがまぷしいほど輝き、日本人は上海の夜景を「五つ星」と絕賛している。
誰にも故郷がある。故郷を離れれぱ離れるほど故郷が戀しくなるのが人情だと思う。上海に帰る回數(shù)が増えれぱ増えるほど戀しくなる私の大好きな上海である。
「自己紹介」
私は中國から來た「ぼくのゆめ」です。今島根にある寮に住んでいます。外國人は私一人です。ですから、はじめのころは、言葉や食事のことなどでとても苦労【くろう】しました。お風呂に入る時も恥ずかしくて嫌でした。でも、今はもうすっかり寮の生活にも慣れて、みんなと仲良くなりました。私は料理が得意なので、休みの日は、寮の友だちにごちそうします。すると、みんなとてもよろこんでくれます。私は好奇心が強く
いろいろなことを體験してみたいと、いつも思っています。それで、以前から趣味のあった日本へ來たのです。今熱中していることは生け花です。次は、お茶をやってみたいと思っています。にほんへ來る前は、病院に勤めていました。日本語の勉強が終わって帰國したら、日本語や日本で學んだことをどんどん仕事に生かしたいと思っています。
星期日(にちようび)
昨日は日曜日で、とてもいい天気でした。あんなにすばらしい天気はほんとにめずらしいです。留學生の田中さんは日本語科の趙さんと一緒に自転車で淮海路(わいかいろ)行きました。そして、淮海路のショッピングセンターで買い物をしました。趙さんは文房具や食べ物を買いました。買い物のあと、二人はレストランへ行きました。そこで、二人で食事をしました。それから、田中さんと趙さんは公園へ行きました。そこで三十分ぐらい散歩しました。そのあと、二人は映畫館でとてもおもしろい映畫を見ました。
譯文:
星期日
昨天是星期日,天氣非常好。那么好的天氣真是非常少見。留學生田中和日語系的小趙一起騎自行車去了淮海路。然后在淮海路的購物中心買了東西。小趙買了文具和食物。購物之后,兩個人去了餐廳。在那里,兩人吃了飯。然后,田中和小趙去了公園。在那里大概散步了三十分鐘。之后兩人又在電影院看了非常有趣的電影。
人生
私は一本の長い階段を設ける。一年三百六十五日たつと、一段上にのぼる階段である。その階段の六十八段目の一番上のところに私が腰を降ろしている。そして妻、二人の息子、二人の娘、その配偶者、そして孫たちというように、長い階段のところどころに、十何人かの男女が配されている。
下から二段目のところに、去年(昭和四十八年)生まれた幼児二人が、転がらないように紐で結び付けられている。どちらも男の子である。まだ這うこともできず、口もきけない。しかし、なんといっても、この英児二人が際立って溌剌としている。聲から何十段でも階段をのぼって行くエネルギ―を、その小さい體に詰め込み、いかなることでも、実現(xiàn)できる可能性を身內(nèi)に貯えている。まだ人生のいかなる汚れにも染まっていない。本能的に母を求め、乳を欲しがる以外、いかなる欲望も持っていない。人を羨むことも、人を憎むことも、歓心を買うことも知らない。栄譽も、金も無関係である。時時笑うが、神様が笑うことの練習をさせているとしか思わない。ただ無心に笑うだけである。
人間はみな、この英児から出発している。そんな思いが突き上げてくる。この二人の英児が私の腰をかけているところまでのぼるのは大変である。英児のいる二段目のところから上を仰ぐと、気の遠くなるような遠さであろうと思う。三十段目から四段目あたりにかけてばら撒かれている息子や娘たちは、いつか青春期をぬけて、壯年期に入ろうとしている。當然私などの知らないそれぞれの人生の哀歓を経験しているところであろうと思う。私は殘念ながら、そこへ入って行ってやることはできない。いかなる問題があろうと、それぞれ自分たちで処理してゆく他はない。父親がくるしんだように悲しまなければならないであろうと思う。そういう自分で歩き、自分で処理していかねばならぬものが、人生
というものであろうからである。
「私の一日」
私は毎朝6時半に起きます。そしてラジオの中國語の勉強を始めます。中國語の発音は大変難しいです。7時半ごろ朝ご飯を食べます。私の家は郊外にあります。會社は町のまん中にあります。家から駅まで10分あまり歩きます。そして電車で會社へ行きます。家から會社まで55分かかります。電車はいつもたいへんこみます。會社は9時に始まります。仕事はたいてい6時に終わります。どきどき駅からタクシーで帰ります。3分ぐらいです。170円かかります。私の會社は旅行會社にいます。支店は全國に八か所あります。仕事はたいへんおもしろいです。私はよく出張します。來週は九州へ行きます。しかし、出張はとても疲れます。日曜日はほんとんどの會社は休みます。しかし、わたしの會社はめったに休みません。社員は交替で休みます。休みの日は一か月に4回とどです。その日は晝ごろに起きます。あまり外出しません。家でゆっくり小説を読みます。夜はビールを少し読みます。そしてステレオで音楽を聞きます。ときどきテレビも見ます。
私の家族(我的家庭)
私の家族はたくさんの上海の家族と同じ、幸せな3人家族です。父、母とかわいい私です。
父は見るのがちょっと厳しいですが 実は日常の生活中に 時々人に笑われることをします。母はふだんにぶつぶつ言うことがありますが 私と父に対して母はいないと 生活ができない人です。
私は 幸せな家庭があって 未來 両親は私に対して 最重要な人です。
私は父と母を愛しています。
夢を葉える―今考えている『夢』と『現(xiàn)実』について―
『私は將來、なりたものはあるのか』そんなことを?qū)い亭椁欷啤氦Δ?、あるよ』と平然と答えられるような夢を、正直言うと私は持ってはいない。夢を持っていたとしても、きっと家族や身近にいる人間にも影響、迷惑、負擔をかけてしまう可能性があるからである。おそらく、という私が推測する上では、夢のことを打ち明けたとしても家族は反対するだろう。
その夢のひとつが、『小説家』。
このメビウスリングというサイトでも、私は小説を連載している。正直言うと文章構成などはかなり得意分野でもあるし、その勉強にはかなり力を入れている。自分が今、何よりもなりたい職業(yè)――夢。
だがそれを現(xiàn)実的に考えてみると、小説家という職業(yè)は売れて生活できるものである。普通のサラリーマンとは訳が違う。本業(yè)としても売れなければ、必ず家族のほうに私の生活費を負擔させてしまうだろう。私の家族は七人。祖母と祖父、両親に二人の姉がいる。
將來のことを考えてみれば、きっと姉は二人ともどこかで一人暮らしたり、新たな家族を持つことになるだろう。そうなれば、何よりも両親に負擔がかかるのだ。
それが、怖かった。
今までずっとわがままを聞いてくれていた両親に、大人になってまでも負擔をかけるなど…。
だが私はずっと、この夢をあきらめたことはない。
第三篇:日語初級自我介紹
みなさん?和憐挫。暴?わたし?は??と賦?もう?します。書定?ことし?は22嗷?さい?で
書?いま??わたしの晩云囂?にほんご?はただ兜?はじ?めてなので、酒??かんたん?な晩云囂?にほんご?しか聞?つか?えません。?ima no nihongo wa tada hajimete na no de, kantan na nihongo shika tsukaemasen?。
でも、これから適薦?どりょく?に茶膿?べんきょう?するつもりです?demo, korekara doryoku ni benkyo-suru tsumori desu?。
そして、わたしの茶膿薦?べんきょうりょく?と癖丞?Γ┐討④?Δ蠅腓???殖┐弔茖?ぁ△修Δいψ墅釘┐犬靴鵤??孱┐癸?辰討襪?蕁■бoshite, watashi no benkyo-ryoku to tekio-ryoku ga tsuyoi, so-iu jishin ga motteru kara?。
これからお弊三?せわ?になって、どうぞよろしくお垳?ねが?いします。?korekara osewa ni natte, do-zo yoroshiku onegaishimasu?。
暴?わたし?の來鯉?せいかく?は苧?あか?るくて繁?ひと?との俊乾?せっしょく?がうまいです。夭販湖?せきにんかん?が膿?つよ?くて、この碧並?しごと?に??む?いていると房?おも?っています。
徭蛍?じぶん?が桐?きた?えの嶄?なか?で貧序?じょうしん?し、碧並?しごと?のほうもよくできるようがんばります。
第四篇:日語日記初級
2015年3月26日
木曜日
晴れ わたしは 一年間らい 日本語を 勉強しました。しかし、まだ あまり できません?今日は 日本語で 日記を書きます。少し 簡単な文法が 分かりましたが 上手ではありません。
毎朝 6時40分に 起きて、顔を洗います。いつも 7時20分頃 出ます。食堂で 朝ご飯を食べます。そのあと、教室で 本を読んで宿題をします。それから 授業(yè)を受けます
晝 半時間をかけて ご飯を食べた 後 2時間 休みます。午後 また 授業(yè)があります英語の文法が 嫌いですが 毎週 勉強しなければなりません。休みの日、私も授業(yè)を受けます楽しくないです。
夜 図書館で 勉強しに 行きません。よく 寢室で 宿題をします。大學院生に なりたいです。でも、難しいです。今、まだまだですから わたしは もっと頑張ります。
趣味は アニメを見ることです。ときどき 小説を読みます。よく 2時間くらいかかります。音楽も好きです。毎晩、寢る前に 音楽を聞きます。
いつも どこかへ 行きたいです。しかし どこへも 行著ませんでした。時間も お金も ありませんから。いつか 日本へ 行きます。日本で 日本のおいしい食べ物が ぜひ 食べたいです。アニメが 好きですから 秋葉原に 行きたいです。
毎日、頑張ります。
第五篇:初級日語作文
我的大學生活
種類によっての熱心な出現(xiàn)は時間に素晴しい教授で教師、思考の列車に近く學友と坐るために、歩行者がすべて妨げたそれらを座席のための一見引き出す教科書を、終日大學生命始めてしまった道の歩行者のプロローグを次第にであるずっとクラスに出席した多數(shù)、壊したキャンパスの靜けさを、すぐに、雑談していた最后の夜スポーツが一致する教室の教室の方に動かされて非常に速く浸るある恐れられていた軽いステップを置くことを可能にしたこと、ちょうど照らされた私の大學生命天候が何人かの人々陰の外國語を読むキャンパスで見る教師と上向きに飛んで、表面の古い教授は時間后に學校からの休暇に青年輝きの午后をある最も忘れられない渡している、これは行くために自分自身が割り當てる時間、割り當てられたアクセス網(wǎng)、一緒に、そしてまたそう食事した任命同時にだった各種類の活動が行なった元気づけた學生のサッカー競技場のグループの文學様式ホールからの音、送信された時間蹴る球をだったが、また何人かの何人かの若いメス學生はだったこの2 年に、住むために燃料を補給された叫ぶこと......意識不明に2 年の大學渡されて実際によかったそして、成長した育つ、自身の夢に日刊新聞の私達がすべて次第に先に行ってもいかにが生命の悪い狀態(tài)にすべてある
我的大學生活
天色剛亮,就可以看到校園里有人在樹陰中讀外語了,那種專注的樣子,讓行人都放輕了步子,怕打擾了他們.找個座位坐下來,掏出課本,一天的大學生活拉開了序幕.漸漸路上的行人多了,打破了校園的寧靜,快到上課的時間了,和同學邊聊著昨晚的球賽,邊走向教室.課堂上很快就沉浸到老師精彩的講課中去,思緒跟著老師在飛揚,年邁的教授臉上透著青春的光彩.下午放學后的時光是最難忘的,這是自己可以分配的時間了,可以去上網(wǎng),約會,聚餐,等等,同時也是各種活動舉辦的時間,從文體館傳來喝彩的聲音,足球場上一群學生在踢球,還有幾個小女生在喊著加油......不知不覺度過了兩年的大學生活了,這兩年中真的是酸甜苦辣都有.不管怎么樣,我們都在一天天的長大,成熟,一步一步向著自己的夢想前進著.「私の友達」
私は積極的な性格ですから、友達がたくさんいます。しかし一番仲が良いのは你來我網(wǎng)さんという友だちです。彼女と初めて會ったのは、高校生になった時です。你來我網(wǎng)さんは私は反対に、女らしく優(yōu)しくて、すなおです。私と同じ年ですが、いつも私の悩みを聞いてくれて、私には本當のお姉さんのような人です。私が寂しい時や困ってにる時は、いつでも力になってくれました。
你來我網(wǎng)さんは、今、ゲザイナーになって有名な洋服の會社につとめ、毎日いそがしいようです。私が日本へ來ているので會えませんが、暇があれば手紙を書き、電話も時時かけています。これからもずっと仲良くしていきたいと思ってにます。
「私の夢」
(日本人は理想よりも、夢と言う言葉を使っていると思いますので。)
私はまだ子供のころ、空を見上げることが大好きでした。青々と広がっている空を、ふわふわしている云が、のんきそうに漂っていくのを見て、心が愈されるような気がします。
ですから、私はそのとき、「將來パイロットになりたい」と心で決めました。飛行機にのって、鳥のように、空を、云の間を縫いでいくことを、すばらしく思っていました。頭が空っぽになって、すべての悩みが忘れられるようなので。
まだちっちゃいので、パイロットになるために、どうしたらいいのかまだ考えていませんでした。その后、パイロットはみんな2.0以上の視力がなければならないと聞いて、近視眼である私はただ、空しく嘆くしか、しようがありませんでした。
高校に入って、私はサッカーに興味を持ち始めました。サッカー選手たちが、競い合っている姿に、私は惚れていました。あのスピード、パワー、テクニック、あれこそが、男のあるべき姿ではないかと、私は思いました。そして同時に、新たな夢が私の心に芽生えました。それは、「中國一のゴールキーパーになって、中國チームを世界の頂點に送るのに、私は自分の力を捧げたい」と思いました。しかし、それには、身長が必要です。1.80ちょうどの私には、中國一は無理だったのかもしれません。大學に入って、身長がほぼ固定された私の新たな夢は、無殘にも破られてしまいました。
日語
大學では、日本語を?qū)煿イ筏蓼筏?。正直、初めの頃は、夢なんて、まだ見つけていません。目の前の道をただ走るのみ、そこには私の夢とか、意志とか、ありませんでした。勉強していく中で、ちょっとした問題に気づきました。それは、必死に勉強している人ほど、成績が低く、ということでした。そのとき私はこっそり考えました。実は彼らは努力が足りないってわけではありません。努力の方なら、私なんかより、ずっとたくさんしていると思います。殘念なことに、彼らは勉強の仕組み、つまり勉強の方法を知らないだけに、こういう「空振り」の學習を繰り返しているです。そこで、私は「將來日本語の教師になって、知識だけではなく、勉強の仕組みを、御紹介させていただきたい」という、夢を持つようになり、そして今までに至っています
我的家鄉(xiāng)
私は上海に生まれました。故郷は上海だと思います。上海は中國の中では、最も都會らしい都會です。上海には名所名跡が少ないが、中國最大の商業(yè)、工業(yè)、港灣地帯として特徴づけられている。
今、上海の人口がもうすでに1250萬人を超え、世界一のマンモス都市となった。改革開放によって、上海が大きく変わりつつある。毎年上海に帰省するたびに、その発展ぷりに驚き、上海の一員として、夸りと喜ぴを持っている。
上海は長江の南側、支流の黃浦江の西側に拓かれた街だ。今世紀の初めに黃浦江西側のバンドと呼ばれる地區(qū)は、港灣設備が整備され、その周辺に各國の租界か集中されていた。上海はまた「冒険家の楽園」と呼ぱれ、このバンドは國內(nèi)だけでなく海外でもよく知られており、観光客が必ず訪れる所となっている。バンドは上海?シンポルとも言え、バンドの周辺に立ち并ぷ建物はそれぞれ風格を持ち、「萬國の建筑物」と言われる。
バンドの近くから始まり、市中心まで伸びる世界でも有名な南京路がある。東京の銀座よ
り人がいっぱいで賑やかである。南京路にある第一百貨店は毎日20萬人ほどのお客さんを迎え、祝日になると30萬人を超えるほどだ。(你我 日語)さらに、夜のバンドと南京路はまた格別だ。ネオンサインがまぷしいほど輝き、日本人は上海の夜景を「五つ星」と絕賛している。
誰にも故郷がある。故郷を離れれぱ離れるほど故郷が戀しくなるのが人情だと思う。上海に帰る回數(shù)が増えれぱ増えるほど戀しくなる私の大好きな上海である。
「自己紹介」
私は中國から來た「ぼくのゆめ」です。今島根にある寮に住んでいます。外國人は私一人です。ですから、はじめのころは、言葉や食事のことなどでとても苦労【くろう】しました。お風呂に入る時も恥ずかしくて嫌でした。
でも、今はもうすっかり寮の生活にも慣れて、みんなと仲良くなりました。私は料理が得意なので、休みの日は、寮の友だちにごちそうします。すると、みんなとてもよろこんでくれます。私は好奇心が強くいろいろなことを體験してみたいと、いつも思っています。それで、以前から趣味のあった日本へ來たのです。
今熱中していることは生け花です。次は、お茶をやってみたいと思っています。にほんへ來る前は、病院に勤めていました。日本語の勉強が終わって帰國したら、日本語や日本で學んだことをどんどん仕事に生かしたいと思っています。
星期日(にちようび)
昨日は日曜日で、とてもいい天気でした。あんなにすばらしい天気はほんとにめずらしいです。留學生の田中さんは日本語科の趙さんと一緒に自転車で淮海路(わいかいろ)行きました。そして、淮海路のショッピングセンターで買い物をしました。趙さんは文房具や食べ物を買いました。買い物のあと、二人はレストランへ行きました。そこで、二人で食事をしました。それから、田中さんと趙さんは公園へ行きました。そこで三十分ぐらい散歩しました。そのあと、二人は映畫館でとてもおもしろい映畫を見ました。
譯文: 星期日
昨天是星期日,天氣非常好。那么好的天氣真是非常少見。留學生田中和日語系的小趙一起騎自行車去了淮海路。然后在淮海路的購物中心買了東西。小趙買了文具和食物。購物之后,兩個人去了餐廳。在那里,兩人吃了飯。然后,田中和小趙去了公園。在那里大概散步了三十分鐘。之后兩人又在電影院看了非常有趣的電影。
人生
私は一本の長い階段を設ける。一年三百六十五日たつと、一段上にのぼる階段である。その階段の六十八段目の一番上のところに私が腰を降ろしている。そして妻、二人の息子、二人の娘、その配偶者、そして孫たちというように、長い階段のところどころに、十何人かの男女が配されている。
下から二段目のところに、去年(昭和四十八年)生まれた幼児二人が、転がらないように紐で結び付けられている。どちらも男の子である。まだ這うこともできず、口もきけ
ない。しかし、なんといっても、この英児二人が際立って溌剌としている。聲から何十段でも階段をのぼって行くエネルギ―を、その小さい體に詰め込み、いかなることでも、実現(xiàn)できる可能性を身內(nèi)に貯えている。まだ人生のいかなる汚れにも染まっていない。本能的に母を求め、乳を欲しがる以外、いかなる欲望も持っていない。人を羨むことも、人を憎むことも、歓心を買うことも知らない。栄譽も、金も無関係である。時時笑うが、神様が笑うことの練習をさせているとしか思わない。ただ無心に笑うだけである。
人間はみな、この英児から出発している。そんな思いが突き上げてくる。この二人の英児が私の腰をかけているところまでのぼるのは大変である。英児のいる二段目のところから上を仰ぐと、気の遠くなるような遠さであろうと思う。三十段目から四段目あたりにかけてばら撒かれている息子や娘たちは、いつか青春期をぬけて、壯年期に入ろうとしている。當然私などの知らないそれぞれの人生の哀歓を経験しているところであろうと思う。私は殘念ながら、そこへ入って行ってやることはできない。いかなる問題があろうと、それぞれ自分たちで処理してゆく他はない。父親がくるしんだように悲しまなければならないであろうと思う。そういう自分で歩き、自分で処理していかねばならぬものが、人生というものであろうからである。
「私の一日」
私は毎朝6時半に起きます。そしてラジオの中國語の勉強を始めます。中國語の発音は大変難しいです。7時半ごろ朝ご飯を食べます。
私の家は郊外にあります。會社は町のまん中にあります。家から駅まで10分あまり歩きます。そして電車で會社へ行きます。家から會社まで55分かかります。電車はいつもたいへんこみます。會社は9時に始まります。仕事はたいてい6時に終わります。
どきどき駅からタクシーで帰ります。3分ぐらいです。170円かかります。私の會社は旅行會社にいます。支店は全國に八か所あります。仕事はたいへんおもしろいです。私はよく出張します。來週は九州へ行きます。しかし、出張はとても疲れます。日曜日はほんとんどの會社は休みます。しかし、わたしの會社はめったに休みません。社員は交替で休みます。休みの日は一か月に4回とどです。その日は晝ごろに起きます。あまり外出しません。家でゆっくり小説を読みます。夜はビールを少し読みます。そしてステレオで音楽を聞きます。ときどきテレビも見ます。
私の家族(我的家庭)私の家族はたくさんの上海の家族と同じ、幸せな3人家族です。父、母とかわいい私です。
父は見るのがちょっと厳しいですが 実は日常の生活中に 時々人に笑われることをします。母はふだんにぶつぶつ言うことがありますが 私と父に対して母はいないと 生活ができない人です。
私は 幸せな家庭があって 未來 両親は私に対して 最重要な人です。
私は父と母を愛しています。
夢を葉える―今考えている『夢』と『現(xiàn)実』について―
『私は將來、なりたものはあるのか』そんなことを?qū)い亭椁欷啤氦Δ?、あるよ』と平然と答えられるような夢を、正直言うと私は持ってはいない。夢を持っていたとしても、きっと家族や身近にいる人間にも影響、迷惑、負擔をかけてしまう可能性があるからである。おそらく、という私が推測する上では、夢のことを打ち明けたとしても家族は反対するだろう。
その夢のひとつが、『小説家』。
このメビウスリングというサイトでも、私は小説を連載している。正直言うと文章構成などはかなり得意分野でもあるし、その勉強にはかなり力を入れている。自分が今、何よりもなりたい職業(yè)――夢。
だがそれを現(xiàn)実的に考えてみると、小説家という職業(yè)は売れて生活できるものである。普通のサラリーマンとは訳が違う。本業(yè)としても売れなければ、必ず家族のほうに私の生活費を負擔させてしまうだろう。私の家族は七人。祖母と祖父、両親に二人の姉がいる。將來のことを考えてみれば、きっと姉は二人ともどこかで一人暮らしたり、新たな家族を持つことになるだろう。そうなれば、何よりも両親に負擔がかかるのだ。
それが、怖かった。
今までずっとわがままを聞いてくれていた両親に、大人になってまでも負擔をかけるなど…。
だが私はずっと、この夢をあきらめたことはない。