第一篇:日語作文-日本人と中國人の仕事観
皆さんは日本人と中國人での仕事に対する考えたかについて違うと思ったことはありませんか? 特に上司から部下に指示をするときは???。
習慣もあると思いますが、日本ではもともと上司から指示を受けたことは、それが実は自分の業(yè)務範囲でなくてもやる場合がほとんどです。反対に中國では、効率を考え、基本的に自分の業(yè)務範囲でなければ実行することはあまりありません。
學校での専門にもよりますが、日本では大學で學んだより、今後どんな仕事をやりたいかという興味から仕事を見つけます。特に文系では、経済學部を卒業(yè)したからといって、経済関係の仕事に就くことは多くはありません。反対に中國では、銀行?証券業(yè)界、財務関係の仕事に就く方が比較的多いです。このことから分かるように、日本と中國では仕事の選び方が違うので、日本人はジェネラリスト、中國人はスペシャリストを目指す傾向にあります。
學歴についてですが、日本には大學も多いので、大卒(4年制)が多いとおもいますが、中國都市部の大學で本科(4年制)はかなり狹き門で、大専(3年制)を卒業(yè)して、本科(4年制)に進む方が多いです。その後も日本人とは違って、日本や英語圏へ留學しMBAを取得したり、中國國內(nèi)で土日、夏季?冬季休みを利用し勉強したりする人が多いです。また仕事重視より、家庭重視という傾向が強い中國人は自分の時間を自分のため、家族のために使うことが多いです
日本では徐々に変化はしておりますが、まだ、長期勤務、年功序列という概念を持つ方が多いです。中國では更なるキャリアアップ(中國語では発展)を目指し、転職する方が多いです。日本では3年以內(nèi)の退職率は約3割、中國では1年以內(nèi)に3割といわれています。
ここでどちらが良い?悪いということよりも、その企業(yè)の職場の環(huán)境づくりやコミュニケーション重視しなければなりません。お互いが理解できれば考えの違いによるストレスも軽減されます。その狀況を理解して、よりうまくコミュニケーションがとれるよう試みてはいかがでしょうか。
第二篇:中國と日本の絆 演講稿 日語
中國と日本の絆
——異文化交流の大切さ
大學に入ったばかりの頃、なぜ日本語を習うかとよく聞かれた。そういう時、私はいつもあやふやな返事をしていた。何度も一體何のために日本語を選ぶかと自問したことがあった。正直に言えば、その前、いかにもこういうことはじっくり考えられていなっかたようだった。自分の將來を日本語を?qū)Wぶということに賭けて本當にいいのかという問題がずっと心に纏わり付いていた。しかし、日本語を習っているうちに、私は多分答案を見付けるようになろう。
日本語を?qū)熼Tとした前、日本というと、私は大部分の中國人のようにまず中日戦爭を思い出すかもしれない。さぞ中日戦爭を題材とするドラマや映畫なんか見ることが多いだろう。また、狹い日本は世界中に軽視されない國力を持っている。あるいは、まじめな日本人はいつもおじぎが好きだという印象だけを思い浮かべる。今思うに、なんと目が淺い。
さて、もし日本の発展歴史に溯るとしたら、日本が昔から世界の先進的な外來文化を摂取しながら、消化し、融合し、自國の文化を発展させてきたと考えられている。このうちに、中國と日本の絆が深いということを明らかに分かる。例を挙げると、最初日本語は漢字を借用して表記されてきたということをよく知られている。今になっても,漢字で表記することは日本語で動かさない地位を占めている。ここから見れば、漢字の伝來によって日本語は中國語に強く影響されているように見える。
それにしても、近代に入ると、漢字は真っ先に経済を発達させてきた日本から當時遅れていた中國へバックされ始まった。例えば、中國で今まで広く使われている「経済」、「政治」、「法律」など言葉はその時こそ取り入られたらしい。さらには、今日社會學と人文科學においてこのような名詞と専門語は70%を占めているそうだ。數(shù)が本當に驚くほど多い。こういう言葉返しの現(xiàn)象は、日本のアニメーションを見るとか、中國人に書かれた漫畫雑誌を読むとか、私がしみじみと感じられる。今日本語の中で「腹黒い」という言葉の漢字、すなわち「腹黒」は中國語で大きな人気がある言葉だ。その他、「次元」「寫真」「人気」「萌える」などがたくさん中國語に現(xiàn)われるようになる。その中、直接そのままに取り入られる言葉があるが、訳してから借用される言葉もある。
このような言葉はある程度から中國語を充実する。それに対して、悪くないのではないかような気がする。それは文化のぶつかりまたは融合だと言えよう。ここに言語は中日の文化交流にとってかけ橋の役割を果たしているのだ。知らずうちに、つながりがますます深くなってくる。一方、このような交流は各自既存の文化を富み、お互いの発展を促すと思う。それなのに、伝わられてくる文化はもとより、大體同じだが、ずれも生じるに違いない。だから、使う時、注意しなければならない。
実は、言語だけでなく、中國は日本と多面から交流することができる。先日、中國政府主催の「中日國民交流友好會」開幕式が東京の渋谷に行われた。それは両國の友好関係の歴史に新しいページをめくり、世界と未來に目を向け、中日関係を扱う努力をする表現(xiàn)だように思える。中日の絆がさらに結ばれてうちに、それをきっかけに、我々日本語を勉強する人、両國が互いの文化を理解し、友好関係を築くことを目指してささげる。これからそのためにがんばる。
以上です。
第三篇:日本人の食生活と日本料理報告要綱2011
日本人の食生活と日本料理報告要綱
1)日本人の食生活の特徴
2011.3.10
(1)主食の米を食べているので、炭水化物の摂取量が多いことである。
(2)タンパク質(zhì)源として魚介類、肉類、大豆製品、乳製品および鶏卵等のように多く
の種類のタンパク質(zhì)性食品を食べていることである。
(3)脂質(zhì)の摂取量が少ないことである。
2)このような食生活は日本人に影響を與えた。
(1)日本の食文化は、米を主食にして、豆?魚?海草?野菜などを、たっぷり取り
入れた食事が特徴で、究極の長壽食として世界中の人々に注目されています。
(2)脂質(zhì)の摂取量が少ないのは、心臓病の原因の一つと考えられている。
3)特色の日本料理
(1)壽司は日本の代表的な料理の一つですが、起源は日本ではありません。一説
によれば、1200年前頃に東南アジアに生まれ、中國経由で日本に伝わっ
たと言われています。當時の壽司は、魚と米と一緒に漬け込んで発酵させた
保存食でした?!甘欷靿鬯尽工趣いぁ⒚驻蚴长伽氦?、酸っぱくなった魚だけを
食べました。そして、江戸時代(1603年ー1867年)に酢を使うよう
になり、ご飯を一緒にして食べるようになりました。しかし江戸(今の東京)
では江戸灣で取れた新鮮な魚の生の切身を酢飯にのせ、手で握って壽司を作
りました。これが「江戸前壽司」で、現(xiàn)在世界中で日本の壽司といっている
ものはこれのことです。関西では「押し壽司」といって、木の箱の中に酢を
混ぜたご飯を入れ、魚の切身などをのせ、上から押しつけて固く締めて作る
ものもあります(例えば、鯖壽司、鱒壽司)。最近では回転壽司のような家族
連れでも気軽に入れる店も増えており、壽司は高級なイメージからますます
身近な存在になってきたようです。
(2)刺身とは、主に魚介類を生のまま切り、醤油?酢味噌などの調(diào)味料にワサビ?
ショウガなどの薬味を合わせて食べる料理の総稱である。日本列島は海に囲ま
れており、新鮮な魚が入手できるため、生のまま食べる料理として刺身が人気
のある料理となっています。日本人は、刺身が最も洗練された食べ物だと考え
ています。ですから、刺身などの生魚の料理は、伝統(tǒng)的な日本料理の王座を守
ってきました。
(3)牛丼は、醤油と砂糖で甘辛く煮た肉とタマネギをご飯にのせた物です。牛丼
チェーン店には、吉野家のほかに松屋、すき屋などがあります。どの店も、牛
丼を300-400円で提供していますが、牛丼と一緒に、みそ汁、サラダ、生卵(溶いて牛丼の上にかける)、お新香などを一緒に注文して食べる人が多
いです。ボリュームのある食事が安くて簡単に取れることから、牛丼は特に男
性に人気があります。
第四篇:日語作文-溫泉の王國
溫泉の王國
火山や地震の多いから、日本の各地ほとんどには天然で、有名な溫泉がある。日本人にとって、溫泉に入るのは十分楽しむことばかりでなく、さらに生活の大切なことだ。確かに日本人のようにお風呂が好きな民族がない。以前の日本は男女混浴が普通ことだが、今は少なくなる。私はこれが不思議だと感じるけれども、特別な風習だと思う。でも、私が好きなのは日本人のお風呂を重視することだ。お風呂は體を洗うということだけでなく、父と息子、上司と部下あるいは多年の友達も感情を深めることができる。これこそが最も大事なことだと思う。
溫泉が気持ちのよいものだということは日本人なら誰でも知っている。気持ちのいいものは誰でも好きだ。水道水を沸かした家庭のお風呂とは違う、実際に溫泉には體をリラックスさせる成分があるし、自然の豊かな環(huán)境で湯につかることで精神的にもリラックスし、相乗効果を持つ。
日本溫泉の歴史も長い。初めて溫泉が文獻資料に登場するのは『古事記』『日本書紀』などの本。本によると、昔々から日本人もう溫泉を利用することができたようだ。これらの本の中には、日本武尊が東方遠征の帰りに草津に立ち寄って溫泉で傷を癒したことや、持統(tǒng)天皇の御代に飲泉によって多くの病者を治療したという記述が見られる。
奈良時代になって、仏教の伝わたので、日本の各地はお寺を建てきた。僧侶は溫泉の開発に大きく影響した。室町時代に、溫泉は主に僧侶や貴族、武士たちのレクリエーションの場で、一般庶民に普及することはない。安士桃山時代に、溫泉もう戦いで傷ついた武士の治療するために広く応用した。
數(shù)千年が流れた日本溫泉は年月に魅力が消されなくて、卻って年月を重ねるにつれて味わいが濃くなって、各地の溫泉は人文の息吹がいっぱい溢れていった。日本に行けば、絶対に溫泉を楽しむ。長い時間の旅行の後で、露天溫泉に入って、窓の外の景色を見たり、お茶を飲んだりしたので、一日の疲れを洗える。雪のちらつく天気に出會ったら、もっと素晴らしい。43度の湯気がたっているお湯の中で、舞い落ちる雪を見て、ロマンチックや純粋を感じられる。こんな感じは世の中で珍しくて天國にいるようだ。でも、溫泉は夏に楽しむのはもちろん唯一の選択ではない。
有名な溫泉の故郷――箱根は季節(jié)に応じて、違う溫泉のテーマを提出してある。春にはピンクの桜やツツジが満開している山を見て、夏には緑で溢れていて山々を眺めたり小河の水がさらさらと流れる音を聞いたりして、秋には赤い紅葉の世界を楽しむ。それこそがのんびり人生を味わうことだ。
溫泉の治療効果も顕著で、日本人は溫泉を利用して、病気を治したり健康を促したりする。違う地方の溫泉の水質(zhì)は違うから、効果も同じではない。靜岡県の熱海溫泉が塩などを含んでいるから、溫泉を出てから塩は體に殘って、保濕効果があって寒さも感じない。群馬県の草津溫泉が酸性なので、リューマチを緩和できる。佐渡溫泉にはカロチンを豊富に含むので、視力を高められる。月岡溫泉は肌に白くする効果があるから、女性の中で人気が高い。もちろん、これ以上は日本溫泉の部分だから、日本には特色のある溫泉がたくさんある。
でも、どんなに効能の高い溫泉でも、たった一晩だけ入っただけで、また、日帰り入浴だけで、効果を期待するのは無理だ。
日本で溫泉に入るのは他の國家のに比べて、違うものだ。日本の溫泉文化と見れば、日本人の生活の細かいところが味わえる。溫泉に入る前に、體をよく洗ってからきれいな體で溫泉に入る。タオルが溫泉の池內(nèi)に持ってはいけないので、そして、タイルは池のそばにおいてあるいは頭を巻いてもいい。また、溫泉の池內(nèi)では石鹸で體を洗うわけにはいか
ない。しかも、溫泉の池內(nèi)でも大聲で叫べなくて、走って追い合えなくて、泳げなくて、靜かにしているべきだ。溫泉の溫度は熱すぎても冷たすぎてもよくない。最もよい溫泉を楽しむ時間は10分だ。日本人は晩ご飯の前にも、寢る前にも、朝に起きる前にも溫泉に入ることになっている。その中で、日本人はほんとに溫泉好きなのようだ。日本人の溫泉好きと同じくらい西洋人の水泳好きは多いのである。加えて、ホテルでは浴衣を提供して、正確な著方に従うべきだ。
溫泉のある國家がたくさんある以上、日本と海外で溫泉はどう違う。それは溫泉の使われ方に違いものだかもしれないと思う。しかし今や世の中グローバリゼーションの波に乗って、溫泉文化も急速に國際化が進んでいることを知って頂こう。海外の溫泉では日本の「溫泉」ブームが起っているし、日本でも溫泉が「スパ」になり、やがてサウナ、マッサージ、美容、グルメが溫泉の主要メニューになり、裸で混浴の露天風呂が普及してくるに違いない。でも、西洋の人工的で豪華である溫泉施設と比べると、日本溫泉の大自然に近いなのは取り替えのきかない。
日本で溫泉を楽しんだら、きっと獨特な感じはある。まず、古色の旅館や中の靜かな気分は旅人に神秘的な感じを與える。また、ウェイトレスは人間味のいっぱいおばさんやおばあさんなので、いつも笑っていて、細かい心が遣って、旅人に暖かいフリを與える。そして、その親密に大自然に觸れることこそが最も大事で獨特なことだ。
私にとっては、また溫泉はのんびり楽しむこととしてとっても憧れている。いつか溫泉の王國の日本に行って、自ら體験したい。
2010年01月08日
第五篇:日本の茶道 原創(chuàng)日語作文(范文模版)
日本の茶道
――茶道から見出された日本の文化
茶道の歴史
抹茶は中國から日本へ來たのは、鎌倉時代と言われています。鎌倉時代のお坊さん栄西が日本に伝え、僧侶の間で睡魔を取り除く薬として広まりました。室町時代になると僧侶の村田珠光(むらたじゅうこう)が內(nèi)面的な心を追求した「わび茶」をはじめ、その後、その心を受け続いた武野紹鴎(たけのじょうおう)が禪の奧義にも徹し、その弟子利休がこれを推し進め、新しい茶の在り方を開きました。
珠光から紹鴎、さらに利休によって日本の伝統(tǒng)的な詩情を加えた茶道が大成したと言えます。
茶道の道具
茶道の席には「掛物」「茶花」が飾られます。そしてお茶を點てるために「釜」「風爐」「水指」「茶入」、または「茶器」「茶碗」「建水」「茶杓」「茶筅」などさまざまな道具が不可欠であります。そして道具へのかかわり方は実用性を超えています。
歴史的には茶の湯の成立期禪宗の影響を受けて中國の器物、いわゆる唐物に対する関心が高まり、唐物數(shù)寄の時代もありました。しかしおよそ15世紀後半から數(shù)寄の対象が和物へ移行し始めました。立派な唐物よりも素樸な和物のほうがかえて味わいがあると思われます。村田珠光が「月も雲(yún)間の無きはいやにて候」といったと伝えられていました。雲(yún)ひとつなくこうこうと照る月よりも雲(yún)の中に少し隠れている月のほうがもっと情調(diào)があります。このような素樸なものへの數(shù)寄がさらに徹底され現(xiàn)れるのがわび數(shù)寄であり、わびの美意識でもあるのです。
茶道の精神
日本の茶道は「日常茶飯事」という言葉をもとずいて発展しました。茶道は日常的な行動と宗教、哲學、倫理と美を一體になって、総合的な文化活動でもあります。
そして茶道は物質(zhì)的の楽しむだけではなくで、茶會を通して茶禮を?qū)Wぶ、性情を陶冶し、審美眼と道徳観の育成にとっても、とても大事なことだと思われます。
茶道のお茶は「わび茶」と呼びます。わびは靜寂意味があります。友何人集まって、靜かの茶室の中にお茶を飲みながら軽いお話をする。世間の紛爭を問わず、憂いもない、心配もない、ただ自分の身を修めて、心身を浄化します。これが利休さんが言った「茶禪一味」の意味です。そしてこの靜寂の心は茶の湯の心でもあるのです。
茶道はいろいろな規(guī)定があります。たとえば、季節(jié)によって風爐と水指の位置が変わります。これは人に対する心掛かりです。茶室には必ず茶花が飾られます。でもたくさんの花を採って飾られません。これは命に対する心掛かりです。茶室の中に縁を踏むのはいけません、皿を畳の上にズラと動かすのもいけません。これは物に対する心掛かりです。このようにたくさんの心掛かりは日本茶道の「和」と「敬」の精神を現(xiàn)しています。そして前が言った「靜寂」の心を合わせて、「和敬清寂」は茶の湯の大成者利休さんが唱えた茶道の根本的な精神です。
金沢の茶道
金沢の茶道は前田利家によって発展されました。利家は織田信長や豊臣秀吉の影響を受けで茶の湯に関する関心を持ち始めました。茶道の大成者である千利休や織田長益に學び、加賀藩に茶道の文化を定著させ、諸大名などを招いて頻繁に茶會を開くようになりました。そして江戸時代になると、利休から派生した茶道は三人の孫に引き続かれ:表千家、裏千家、武者小路千家の三派に別れました。加賀藩三代目藩主利常は裏千家の千宗室(千叟)を指南として招いたことで、加賀藩に裏千家が普及しました。五代目藩主綱紀のころになると、職人や町人までもお茶の作法を身につけるほど幅広い層にまで広かっていました。今の金沢でも茶道が好きな人は少なくありません。金沢の茶室もたくさんあります。
お茶は中國から日本へ來て、日本人によって発展され、日本獨特の風景いなっています。最近歐米の人も日本や中國からお茶を持って帰って、歐米で茶文化を開こうとやています。これはとでもめでたいことだと私が思います。お茶はもともとただの
飲みんものにすぎないが、人々は自分の考え、理想、思いを加えてお茶は飲み物から文化になります。私だちはお茶を飲みながら、この茶道の歴史、茶器の美、和敬清寂の精神を感じています。このようなものを茶道の中に溶けていたこそ茶道が文化たるゆえんだと私が思っています。