第一篇:日語系論文
日中両國の酒文化における対照研究
——「酒」に関する諺の表現(xiàn)を中心に
關(guān)于日中兩國酒文化的對(duì)照研究--以“酒”有關(guān)的諺語為例
要 旨
諺は古くから言い慣らわされ、日常生活の真理を凝縮した簡潔な表現(xiàn)である。諺の表現(xiàn)の中に様々な世界が表現(xiàn)されている。本稿では、酒に関する諺の世界焦點(diǎn)を當(dāng)て、共通する話題を扱う日本と中國の酒に関する諺の比較考察をする。したがって、本研究では日中両國酒の飲み方、酒の両面性、酒宴の禮儀、酒と人間関係に関する諺の意味を分析した。分析の結(jié)果、日本人はよく相手の気持ちや立場を察して、婉曲で「適量」を嗜み、中國人は尐し自分の意志を相手にぶつけて強(qiáng)く自己主張することである。また、中國人の豪快且つ素直な性格で「過量」を嗜むことが明らかになった。さらに、日本人と中國人の性格、思考様式、國民性の違いは、それらの相違點(diǎn)を生み出す主な文化的要因であることが検証された。本研究の結(jié)果が中日文化交流の推進(jìn)に資することを望んでいる。
キーワード :酒文化;諺;飲み方;酒の両面性;酒宴の禮儀;酒と人間関係
摘要
諺語是自古以來被口口相傳,它是日常生活中真理濃縮的簡潔的表現(xiàn)。各種各樣的世界被諺語中表現(xiàn)出來。本論文中,把酒相關(guān)的諺語作為焦點(diǎn),在相同話題上對(duì)日本和中國的酒有關(guān)的諺語進(jìn)行比較考察。本研究主要對(duì)日中兩國飲酒方法、酒的兩面性、飲酒的禮儀以及酒與人際關(guān)系相關(guān)的諺語進(jìn)行了分析。從分析的結(jié)果可以看出日本人性格比較委婉,擅于替對(duì)方考慮,飲酒適量即可。而中國人性格比較豪爽,自我主張比較強(qiáng)烈,飲酒喜歡盡興多喝。另外,本論文也考察了產(chǎn)生這些差異的文化因素,中日兩國人民的性格、思考方式和國民性不同是產(chǎn)生這些差異的主要原因。希望本文的研究結(jié)果可以為中日文化交流作出貢獻(xiàn)。
關(guān)鍵詞:酒文化;諺語;飲酒方法;酒的兩面性;飲酒的禮儀;酒與人際關(guān)系
目次
第一章 序論............................................4 1.1 本稿の目的.......................................4 1.2 先行研究について..................................4 1.3 資料収集と研究方法................................4 第二章 日本語における酒に関する諺.......................5 2.1 酒の飲み方.......................................5 2.2 酒の両面性.......................................5 2.3 酒と人間関係.....................................6 2.4 酒と酒宴の禮儀....................................6 第三章 中國語における酒に関する諺.......................7 3.1 酒の飲み方.......................................7 3.2酒の両面性........................................7 3.3 酒と人間関係.....................................8 3.4酒と酒宴の禮儀....................................8 第四章 諺から見る日中両國の酒文化の異同點(diǎn)...............9 4.1 酒の飲み方から見る................................9 4.2 酒の両面性から見る...............................10 4.3酒と人間関係から見る.............................10 4.4酒と酒宴の禮儀から見る...........................10 第五章 結(jié)論と今後の課題................................10 5.1 結(jié)論............................................10 5.2 今後の課題......................................11 參考文獻(xiàn)...............................................11 謝辭...................................................12
第一章 序論
1.1 本稿の目的
酒は人類の歴史とともに始まる飲み物である。酒文化はどこの國でも特殊な地位を占めている。お酒は世界各民族を共有した伝統(tǒng)文化の一つとはいえ、各民族の飲酒文化がはある程度の相違がある。本研究では、日本と中國両國の酒に関することわざを探し集めて、諺の表現(xiàn)を通して、日中両國とお酒の関係を検視する、しかもその違いところと同じところを比較する。
1.2 先行研究について
「酒」に関する諺の研究を調(diào)べると、下記のようにまとめられる。田中清一郎(1979)は「酒」に関する諺を論じる節(jié)で、諺に反映している中國人の酒の飲み方、作法などが紹介された。いくつかの諺の解釈だけが書かれていたが、數(shù)的にまだ尐ないといわざるをえない。寺林香代(1998)は諺の機(jī)能から酒に関する諺を取り扱っている研究である。本研究では、酒に関する諺を機(jī)能的類型に、「攻撃的、批判的ことわざ」、「正當(dāng)?shù)膜式逃?xùn)的諺」、「逆説的な教訓(xùn)的ことわざ」、「感情表現(xiàn)的ことわざ」というように分類し、列挙している。だが、具體的に諺などの意味內(nèi)容を解釈することはないのである。穴田義孝(1982)は日常よく知られている酒に関する諺を列挙し分析しながら、酒の両極端の役割を取り上げていつ。しかし、酒の諺を主な內(nèi)容としてではないため、酒に関する諺に対する考察結(jié)果も出來ていないのである。
1.3 資料収集と研究方法
本研究では、『故事ことわざ大辭典』の中に集めた“酒”に関する諺を主として考察する。それに、この資料に基づき、「酒の飲み方」、「酒の両面性」、「酒と人間関係」、「酒と酒宴の禮儀」といった話題をめぐり、それから日中両國の酒文化の特徴を?qū)澱栅?、分析する。したがって、酒文化の共通點(diǎn)と相違點(diǎn)を分析し、その相違點(diǎn)を生み出す主な文化的要因を検討する。
第二章 日本語における酒に関する諺の表現(xiàn)
2.1 酒の飲み方
(日)①.?酒三杯身の薬?
②.「人酒を飲む、酒酒を飲む、酒人を飲む」 ③.「酒は飲むとも飲まるるな」 ④.[酒は飲むべくし飲むべからず] ⑤.「酒は尐し飲めば益多く、多く飲めば損多く」
日本の諺の意味を見ると、①では、酒も三杯程度の適量ならかえっ體の薬になるといっている。②では、酒の飲みはじめには、まだ自制心があるが、やがて酔いにまかせて飲み、はてはさけに飲まれて亂行に及ぶということを語っている。③では、さけを飲むのはさしつかえないが、飲み過ぎて理性を失い、酒に飲まれてしまうような結(jié)果になると示唆している。④.では酒は飲んでもよいが、程度を超えて飲んではならないと教えてくれる。⑤.酒を飲むには、各人によってよい程の節(jié)があるといっている。
2.2 酒の両面性
(日)⑥.「酒は百毒の長」
⑦.「酒は諸悪の基」 ⑧.「酒は気違い水」 ⑨.「酒に上から剣の舞」 ⑩.「酒に十の徳あり」
日本の諺の意味を見ると、⑥では、萬病の元であると述べている。⑦では、酒はすべての悪いことの元であるといっている。⑧では、酒は人の気を狂わせる飲み物であるといっている。⑨では、酔ったあげく、刃物を振り回すはめになるといっている。⑥⑦⑧⑨は全て酒の害を説く諺である。⑩では酒は良いことであるといっている。2.3 酒と人間関係
(日)?.「酒買って尻られる」
?.「親の意見と冷酒は後で効く」 ?.「酒は先に友となり,後に敵となり」 ?.「食外れするとも酒外れはせぬもの」
日本の諺の意味を見ると、?では、相手に酒をおごってやったのに、相手からかえって尻を切られるような目に合わされるという意味です。?と?では、親子関係と一般的な人間関係を述べ、その中で、?では、親の意見を冷酒に喩えているのは、両者とも後で効くという共通點(diǎn)に基づくからである。冷酒は飲む時(shí)、初めは何も感じないが、しばらくして、酔いがまわるものである。親の意見も同じく、子供は最初に聞いたとき、なんとも思わないが、時(shí)間が経ち、窮地に陥った時(shí)、親に言われたことを思言い出して、後悔することがあるということである。?では、付き合いをする上で、食事は斷ることがあっても、酒の席は斷ってはいけない、人付き合いを円滑にするためには、酒は欠かせないものであると暗示している。?では、酒で作った友達(dá)は敵に転換する可能性があるといっている。
2.4 酒と酒宴の禮儀
(日)?.「杯に推參なし」
?.「駆けつけ三杯」
?.「酒戻しはせぬもの」
?.「酒は三獻(xiàn)に限り」
?.「毒見三杯亭主の役得」
「酒と酒宴の禮儀」について、日本語の諺の意味を見てみよう。?では、「推參」は差し出がましい、無禮の意である。酒の席での杯のやりとりに、地位の上下などの気遣いや遠(yuǎn)慮はいらないということである。酒宴での無禮講をいう。?は、酒の席に遅れて來た者に、罰として酒を立て続けに三杯飲ませることである。仲間に入れるための一種の座興でもある。?の意味は、増られたり、借りたりした酒を返禮はしないものである。差され杯や増られた酒は喜んで受けようということである。?では、酒は三獻(xiàn)を限度とすべきてあると述べている。それ以上になると酒席が亂れやすくなることからの戒めである。「三獻(xiàn)」は中世頃からの接客の禮法で、酒を三杯すすめることを一獻(xiàn)といい、それを三回繰り返すことをいう?!溉I(xiàn)」は公家の供宴での正式な作法である。酒肴を出し、大中小の杯で一杯ずつ酒を飲ませて膳を下げることを一獻(xiàn)といい、それを三度繰り返す。?は、客に酒をもてなす前に、毒見と稱して三杯飲めるのが、主人の得なところであるということである。
第三章 中國語における酒に関する諺の表現(xiàn)
3.1 酒の飲み方
(中)①.「一天一口酒,能活九十九」
②.「會(huì)喝酒,能治病;不會(huì)喝酒,能要命」 ③.「飲酒適量是良藥,酒量過度是砒霜」 ④.「少飲如蜜,醉飲似毒」
⑤.「勿貪意外財(cái),不飲過量酒」
中國の諺の意味を見ると、①では、養(yǎng)生という方面から、酒の量を行っている。②では、飲む人の飲み方にょって、即ち、飲む量の多尐により、病を治したり、命が奪われたりすることも可能であると述べている。④⑤では、酒の適量と過量によってもたらされる効果がもったく正反対になることを示している。
3.2酒の両面性
(中)⑥.「好酒除百病」
⑦.「酒病酒藥醫(yī)」
⑧.「酒壞身子,水壞路」
⑨.「滾酒傷身,惡語傷人」 ⑩.「冷酒傷人」 中國の諺では、⑥では、良い酒は病を治す薬であるといっている。また、⑦は酒を飲むことによって起こった體の不調(diào)は酒という薬で治すということから、問題を引き起こした人はその問題を解決すべきであると言うことのたとえでいる。⑧では、酒の悪効果をいっている。⑨では煮え酒も體を損ねるものであるから、それも飲んではいけないと戒めると同時(shí)に,対句形式で、悪口も人の心を傷つけるので、言ってはならないと暗示している。⑩では冷たい酒を飲んではいけないと示唆している。飲むと、命を損ねることになるのである。3.3 酒と人間関係
(中)?.「陳酒味醇,舊交情深」
?.「酒肉朋友,柴米夫妻,盒兒親戚」 ?.「吃酒朋友千個(gè)有,落難朋友半個(gè)無」
中國の諺では、?では、酒は置かれば置かれるほど味にこくがあるように、友人関係も長く付き合えば付き合うほど友情が深くのである。?では、「友達(dá)は酒を飲んだりした、作られるものである。夫婦は柴と米があると、何とか毎日を過ごせる関係である。親戚同士の間で、お互いにプレゼントを贈(zèng)ることは親戚関係を維持するために必要な手段」と述べている。?では、「酒をのんだりして、つくった友達(dá)が多いが、困難に出會(huì)ったとき、誰も助けに來てくれない」と酒肉の友危うさを表現(xiàn)している。
3.4酒と酒宴の禮儀
(中)?.「無酒不成席,無令不成歡」
?.「酒令嚴(yán)于軍令」
?.「酒令不分親疏」
?.「酒無好酒,宴無好宴」 ?.「酒席筵間無賓主」
中國の諺では、?では、酒がないと、酒席にならない、酒令がないと、楽しむことはないと述べている?!妇屏睢工趣?、酒席に興を添える遊び、負(fù)けると酒を飲まされる一種の遊戯である。中國人の飲酒には各種の酒令があるが、酒令は中國の酒文化でもっとも特徴のあるものの一つである。酒の相手をつとめる、生気に満ち情緒に富む方式である。酒を勧める方式とみなす人がいるが、必ずしもそうではない。酒令によって、飲酒は軽やかで生気に満ちたものになり、人々は酒令で知恵比べをやり、人を面白がらせ、無限の楽しみを味わうのである。だから、?での「軍令」は軍人が必ずその軍隊(duì)の紀(jì)律を守らなければならないもので、世界でももっとも厳しいルールであると思われるが、軍令より酒令のほうは厳しいというのは、ゲームでも真面目にやらなくてはならないことである。いくら酒席上で、正式的な場合ではないといっても、真面目にやらないと、面白さもなくなるのである。また、?では酒令をするとき、酒令で決められたルール通りにやらなくてはならない。親疎と関係すべきではない。その上、?では、酒宴は往々にして、ある人たちが自分の欲を満足すために、仕立てるものである。酒宴に対し、警戒すべきと戒める諺である。人間の心に欲が溢れるなら、どんなことデモするので、そういう意味で、気をつけたほうが無難であると述べている。さらに、酒席上では、客と主人との関係を気にせず、即ち、遠(yuǎn)慮せずに、酒を飲むべきであると?では語っている。
第四章 諺から見る日中両國の酒文化の異同點(diǎn)
4.1 酒の飲み方から見る
人間が酒をどのように飲むかにより、酒によってもたらされた効果が全然違うことが諺の中に反映されている。日本の諺では、酒三杯が體に良く、酒を飲んでもよいが、度を越してはいけないと強(qiáng)調(diào)している。また、尐し飲めば、體に益があるが、多く飲めば體に損ガ出、酒を飲む時(shí)の人の様子など、直接酒の飲み方が述べられている。中國の諺では、一日に一口酒を飲むのは養(yǎng)生の良い方法であり、飲み方によって、酒が?病を治す薬?と?命を奪う物?、?毒?と?蜜?になるという両極端の作用があり、人に対する様々な影響が述べられている。また、食事する時(shí)は、酒を料理と一緒に取ったほうが人の體に負(fù)擔(dān)がかからないことも語られている。
4.2 酒の両面性から見る
日中の諺では、共に酒を稱えたり、酒を批判したりしているのである。その中で、酒の悪い方面を述べる諺の表現(xiàn)として、日本の諺では、酒を飲むと、人間は悪事を働く行動(dòng)に出るという考え反映されているが、中國の諺では、酒が體を壊す物であるという考え反映されている。酒の良い所を表現(xiàn)する諺として、日本では、「酒に十の徳あり」で酒を飲むことによって、酒で體が癒されたり、人間の関係を親切させたりすることもできると考えられている。中國では、酒を飲むと、病気も治ったり、力も入ったりすることなどが述べている.4.3酒と人間関係から見る
酒は酒文化の中に最も重要な部分だ。酒文化は人の交際行為の中で重要な役割を果たしている?!妇皮热碎g関係」という節(jié)では、日本語の諺では、親子関係を含め、普通の人間関係でも酒の席を斷らない方がいいと述べ、相手に酒をおごってあげたのに、相手から裏切られることから、人間関係に複雑さと不信感について述べている。人間関係をうまくするには、酒が欠貸せないものである。中國語の諺では、酒の味から古い友人関係を賞賛し、酒でつながった人間関係をスムーズに運(yùn)ぶことを語ると同時(shí)似、酒で結(jié)ばれる友達(dá)関係も長く続かないものであり、試練を耐えるものではないと述べている。
4.4酒と酒宴の禮儀から見る
日本語の諺は、酒席上の禮儀作法についてたくさん論述されているが、中國語の諺では、酒席上の酒令という楽しい方と酒席上で遠(yuǎn)慮する必要がないことについて述べられている。
第五章 結(jié)論と今後の課題
5.1 結(jié)論
本稿では、先行研究を踏まえた上で、中日両國の酒に関する諺の資料を収集?調(diào)査した。そして?それに基づき、中日両國の諺の表現(xiàn)形式を考察し、両國の酒文化の共通點(diǎn)と相違點(diǎn)を分析するとともに。分析の結(jié)果から、日本人はよく相手の気持ちや立場を察し、婉曲で「適量」を嗜み、中國人は日本人より尐し自分の意志を相手にぶつけて強(qiáng)く自己主張することが明らかになった。國民性の面では中國人は日本人より豪快で、日本人は中國人より婉曲で含蓄であることが判明された。
5.2 今後の課題
本稿の分析の結(jié)果は中日両國の異文化の理解に資することを期待している。しかしながら、酒と料理の文化、さらに將來酒文化の発展はどうなるとか、女性、若者の間の酒文化はどうなるかとか今後の課題として考察する必要がある。
參考文獻(xiàn)
〔1〕語言研究會(huì)編著.于傳鋒譯.《日語諺語俗語達(dá)人九步走》[M].世界圖書出版公司北京公司.〔2〕曹捷平南海著.《實(shí)用日語.慣用語.諺語.熟語一冊(cè)通》 [M].大連理工大學(xué)出版社 2008.〔3〕王雪著.《日本語と中國語の「酒」と「茶」に関する諺の対照研究》[M].上海交通大學(xué)出版社 2011.〔4〕楊柳.《日本人的酒世界》[J].《中國信用卡》2011年06期
〔5〕村上 卓著「日本文化としての日本酒」[J].人文學(xué)部卒業(yè)論文
〔6〕林開福.《淺談日本的酒文化》[J].《法制與社會(huì)》,2008年第10期
〔7〕新邦.《日本的酒文化》〔M〕.浙江出版社,2003,131~135.謝辭
本論の作成に當(dāng)たりまして、心より指導(dǎo)教官の趙暁妮先生にお禮を申し上げます。先生はこの論文のテーマから、構(gòu)想、そして內(nèi)容まで心を込めて指導(dǎo)してくれました。そして文法の使い方をはじめ、書式、資料収集などのことも熱心にご指導(dǎo)いただき、本當(dāng)に助かりました。趙暁妮先生のご指導(dǎo)なしには、この論文の完成はあり得ないことです。誠にありがとうございました。最後になりまして、お忙しいところ、私の論文を詳しく検討し、評(píng)議して頂いた先生たちにお禮を申し上げます。
基本可以了
剩下的細(xì)節(jié)自己好好檢查一下
第二篇:日語系 畢業(yè)設(shè)計(jì)(論文)打印格式及要求
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目錄 黑體 三號(hào),下空二行為章、節(jié)及其起始頁碼(小四號(hào) 宋體字)正文章節(jié)分三級(jí)標(biāo)題
第一級(jí)
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第二級(jí)
2.1 ××××× 頂格書寫
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小四號(hào)
第三級(jí)
2.1.1 ××××× 空2格書寫
黑體
小四號(hào) 三級(jí)以下單獨(dú)占行的標(biāo)題順序采用:
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第三篇:日語系畢業(yè)論文
畢業(yè)設(shè)計(jì)(論文)
(20 屆大學(xué)本科)
題 目:
學(xué) 院:外國語學(xué)院
專 業(yè):日語
班 級(jí):
姓 名:
學(xué) 號(hào):
指導(dǎo)教師:
年 月
Declaration
I,(), the undersigned, hereby declare that this dissertation does not contain any material which has been accepted for the award of any other degree or diploma in any institutions of higher learning and that, to the best of my knowledge and belief, this dissertation does not contain any material previously published or written by another person, except when due reference is made in the text of the dissertation.Signed:
Date: 2009年6月
誠 信 宣 言
我,鄭重宣布:除了參考文獻(xiàn)所標(biāo)明引用的資料和內(nèi)容之外,本論文中不包含有任何已經(jīng)被其他高等教育機(jī)構(gòu)所接受的學(xué)位或?qū)W歷論文資料,也不包含有其他任何人已經(jīng)正式出版的資料內(nèi)容。
簽字:
日期:2009年6月
摘 要
動(dòng)漫產(chǎn)業(yè)作為新興的文化產(chǎn)業(yè)已受到世界各國的廣泛關(guān)注,動(dòng)漫產(chǎn)業(yè)作為能耗低、無污染、利潤高的一個(gè)新興產(chǎn)業(yè)被稱為是繼IT產(chǎn)業(yè)后的又一綠色環(huán)保產(chǎn)業(yè)。日本的動(dòng)漫產(chǎn)業(yè)則是非常的發(fā)達(dá),已經(jīng)成為日本的第三大產(chǎn)業(yè),對(duì)日本政府的財(cái)政收入做出了很大的貢獻(xiàn)。日本的漫畫和動(dòng)畫片等不僅在日本本國受到歡迎,在世界各地也很有人氣。當(dāng)然,日本現(xiàn)如今的動(dòng)漫產(chǎn)業(yè)規(guī)模并不是一朝一夕之間形成的,在它成功的背后是有許多必要因素的。本文以近兩三年來取得極大成功的《死亡筆記》為參考,分析日本動(dòng)漫產(chǎn)業(yè)的成功原因。
第一、日本動(dòng)漫在內(nèi)容上充滿人性與生活性,題材豐富、大膽。日本動(dòng)漫把漫畫定位在“國民全都可以看”的位置上,兒童、成人都可以看。
第二、日本動(dòng)漫產(chǎn)業(yè)已形成完備的產(chǎn)業(yè)鏈,產(chǎn)業(yè)的運(yùn)營方式也走在世界的前列。
第三、日本動(dòng)漫產(chǎn)業(yè)宣傳方式的多樣性與長期性。
第四、政府對(duì)動(dòng)漫產(chǎn)業(yè)大力支持,不僅僅重視,還制定了各種優(yōu)惠政策。
與之相比,中國的動(dòng)漫產(chǎn)業(yè)存在許多問題。雖然有內(nèi)容單調(diào),宣傳方式落后,沒有形成產(chǎn)業(yè)和政府的過度干預(yù)等問題,但從長遠(yuǎn)來看,中國的動(dòng)漫產(chǎn)業(yè)在市場、文化和發(fā)展空間上還是擁有很大的優(yōu)勢。中國的動(dòng)漫產(chǎn)業(yè)不斷吸取日本的先進(jìn)運(yùn)營方式及經(jīng)驗(yàn),結(jié)合本國的發(fā)展優(yōu)勢,其騰飛指日可待。
關(guān)鍵詞:動(dòng)漫產(chǎn)業(yè);宣傳方式;產(chǎn)業(yè)化經(jīng)營;《死亡筆記》
Ⅰ
要 旨
漫畫産業(yè)は新興な文化産業(yè)として、世界各國に広く注目された。漫畫産業(yè)は消耗が低く、汚染がなく、利潤が高い新興産業(yè)として、IT産業(yè)に次いでの第二番目のグリーン産業(yè)と稱される。世界範(fàn)囲から見れば、近年、漫畫産業(yè)を代表とする日本文化産業(yè)の発展は目覚しく、漫畫産業(yè)はもう日本の支柱産業(yè)になりつつあるといっていい。日本の漫畫産業(yè)の成功は文化と商業(yè)の完璧な結(jié)合から來ている。日本の漫畫は産業(yè)化が完成し、そして、完備な産業(yè)チェーンと成熟な市場が形成されている。日本では、漫畫産業(yè)は非常に発達(dá)していて、すでに一種の産業(yè)となり、國家の財(cái)政収入に大きな貢獻(xiàn)をしている。日本の漫畫は日本國內(nèi)だけではなく、世界のほかの國でも大変人気がある。もちろん、日本現(xiàn)在の漫畫産業(yè)の規(guī)模は一朝一夕で形成したものではなく、漫畫産業(yè)の成功にはいろいろな要素が要る。日本の漫畫産業(yè)の成功に以下の理由があると思われる。
第一、日本の漫畫は內(nèi)容の面で人間性と日常性に満ち、題材も豊かで、大膽である。日本の漫畫産業(yè)は漫畫を「年齢、性別を問わず、全國民のもの」に位置づける。
第二、日本漫畫産業(yè)はすでに完備した産業(yè)チェーンが形成され、運(yùn)営方式も世界の先端を走っている。
第三、日本漫畫産業(yè)の宣伝方式が多様で、長期にわたるものである。
第四、政府は漫畫産業(yè)を重視し、支持するだけではなく、様々な優(yōu)遇政策も出している。
これに対し、中國の漫畫産業(yè)はかなりの問題を抱えている。內(nèi)容の単調(diào)化、宣伝方式の立ち遅れ、産業(yè)チェーンの不備と政府の過度な介入などがあるが、將來性から見れば、中國の漫畫産業(yè)はやはり市場、文化、発展空間などの有利な面もある。中國の漫畫産業(yè)は日本の漫畫産業(yè)から先進(jìn)的理念と経験を取り入れ、わが國の漫畫産業(yè)の自立発展を目指せば、中國の漫畫産業(yè)のテークオフもそう遠(yuǎn)くはないだろう。
キーワード:漫畫産業(yè);宣伝方式;産業(yè)化経営;?デスノート?
Ⅱ
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はじめに????????????????????????????1 1日本漫畫産業(yè)の現(xiàn)狀について??????????????????????1 1.1日本漫畫の発達(dá)史および國の関連政策????????????????1 1.2日本の漫畫産業(yè)の現(xiàn)狀――『デスノート』を例に??????????2 2中國の漫畫産業(yè)の現(xiàn)狀?????????????????????????4 3日本の漫畫産業(yè)発達(dá)の理由分析及び中國への示唆?????????????6 3.1日本の漫畫産業(yè)発の理由??????????????????????6 3.2 中國への示唆???????????????????????????7 終わりに?????????????????????????????????8 參考文獻(xiàn)????????????????????????????????9 引用文?????????????????????????????????10 謝辭??????????????????????????????????11
Ⅲ 日本の漫畫産業(yè)及び中國の漫畫産業(yè)への示唆について
はじめに
私は小さい頃から、ずっと漫畫が大好きである。名探偵コナン、ドラえもん、犬夜叉 など相當(dāng)の漫畫とアニメを読んだり、見たりしていた。私の読んだ、見た漫畫とアニメはほとんど日本のものである。中國のアニメも見たことがあるが、あまり好きではない。なぜ日本の漫畫産業(yè)はそんなに成功しているか。中國もアニメがあるが、なぜ中國の漫畫産業(yè)は日本に及ばないか。日本の漫畫産業(yè)の成功の教訓(xùn)を中國の漫畫産業(yè)に紹介し、中國の漫畫産業(yè)の発展に助言したいと思って、本論文を作成するわけである。日本の漫畫産業(yè)の現(xiàn)狀について
日本の漫畫産業(yè)は日本國內(nèi)にも國際にも、大きな影響力を持っている。日本の漫畫とアニメは、圧倒的な魅力でマレーシア、韓國、シンガポールなど世界各地で、はやっているが、中國では、更に大きいブームを起こしている。
1.1 日本漫畫の発達(dá)史および國の関連政策
日本の現(xiàn)代漫畫産業(yè)の発生は歴史上の特殊な事件とは密接な関係がある。第二次世界大戦後、米軍は日本の戦時(shí)の法規(guī)、法令を廃止し、日本は國民経済の非軍事化を?qū)g行すると同時(shí)に米國の文化を代表した西洋文化の影響を深く受けた。その時(shí)米國の漫畫産業(yè)はとても発達(dá)していた時(shí)期であり、これは直接日本の漫畫産業(yè)の発展を刺激し、そしてその後の日本漫畫産業(yè)の全面的な発展に強(qiáng)固な基礎(chǔ)を打ち立てた。
一方、戦後、日本は急速な発展に入り、人々は高い効率を求める社會(huì)で生きている。競爭も激しくなった。これを背景に、漫畫とアニメなどはその人間性と生活性のあるストーリー、気楽な表現(xiàn)形式と簡潔な視聴覚効果で、國民の心身をリラックスする需要に迎合し、戦後の世界平和の発展の潮流にあって、人々がより早く、よりよい情報(bào)を得ることができた。そのため、日本の漫畫などは日本社會(huì)で高い人気を得た?,F(xiàn)在では、日本の漫畫産業(yè)はすでに一種の産業(yè)チェーン、完備した産業(yè)チェーンも形成された。人材も豊富だし、技術(shù)も市場(國內(nèi)市場と國際市場)も成熟である?!弗钎攻惟`ト」はその大きな背景において、成功と遂げた。
政府の積極的な推進(jìn):アニメーション映畫の國際上の販路を拡大して、海外で日本文化の伝播と影響を加速して、壯大するために、日本政府と東京政府はすべて日本のアニメーション産業(yè)に対して支持政策を?qū)g施する。日本政府はアニメーションを重要な輸出産業(yè)とするだけではなくて、獨(dú)立な文化として育成して、政策、資金、組織で大きく手伝う。4月10日の「朝日新聞」によって、日本外務(wù)省はまた「政府開発援助」中の24億円の「文化無償援助」資金を利用してアニメーション製作商からアニメーションの放送版権を買って、そしてこれらの買って來たアニメーションを無償で発展途中の國のテレビ放送局に提供して、巨額の資本を使ってアニメーションの放送権を買うことができない発展中國も日本のアニメーションを放送できるということを決定した。外務(wù)省はこうすれば、海外に日本のアニメーションの文化を広めるだけではないことができて、更に日本は外國の青尐年の間での影響を広げることができて、更に多くの「日本流」を育成いて、一挙に多いと思っている。
1.2 日本の漫畫産業(yè)の現(xiàn)狀――『デスノート』を例に
まず、ストーリー自身から見れば:中國の新聞「新京報(bào)」2006年11月25日の「《死亡筆記》:“灰色”也能走紅」という文章の中で「デスノート」の成功原因については、以下のように述べた。ストーリーの設(shè)定は非常にユニークである。名門校の優(yōu)等生夜神ライトは自分の方法と能力で世界に公正を獲得させようと思って、しかし彼が「私が新世界の神になる」と言い出す時(shí)、悪と正義の區(qū)分がそんなに明らかではないということになった?!阜嗓瓮猡侵撇盲蚣婴à搿工韦瑜Δ蕵O端のやり方は一方では反逆を尊ぶ青尐年を満足させ、一方も大人の観衆(zhòng)に心配と感じさせる。幸いに映畫は単に恐怖の元素を強(qiáng)調(diào)していなくて、多くの深さのある思考も加えた。陰気な灰色のストーリーはまさに「デスノート」の超人気の原因である。
それで、「ミステリーの物語として結(jié)構(gòu)トリックが効いてたりして、とても尐年誌の漫畫とは思えないところもある」と日本の小説家乙一が高く「デスノート」を評(píng)価した。
それから、漫畫を描く小畑健は非常に有名な漫畫家であって、優(yōu)れた才能を持っている。彼は「500光年の神話」で第30回手塚賞準(zhǔn)入選(1985)。2003年、手塚治蟲文化賞新生賞受賞。作者の知名度もある程度で作品の人気を高める役割を果たしている。最後、華麗な畫風(fēng)と先進(jìn)の制作
技術(shù)によって、「デスノート」の漫畫とアニメの畫面が非常にきれいである。
「デスノート」の成功から日本漫畫産業(yè)の成功原因を分析する研究が今はほとんどない。本稿では、「デスノート」の成功をきっかけに、四つの方面から、日本漫畫の成功原因を分析する。
「そのノートに名前を書かれた人間は死ぬ」という力を持つ、死神が落とした恐れるべき「デスノート」。天才的な頭脳を持ち、退屈を持て余していた高校生 夜神ライトがそれを拾った時(shí)から、すべてが始まった。デスノートを使って、世の中に溢れる犯罪者たちに次々と死の制裁を下ろしていくライトは、いつしか「キラ」と呼ばれるようになる。殺された人數(shù)の増加につれて、FBIに頼まれた天才ともいえるLが殺人事件の真実を調(diào)べ始めた。天才VS天才の戦いが始まった。果たしてライト=キラは、世界を救う救世主なのか、それとも獨(dú)裁的な殺人者なのか。キラを崇拝するもの、その行為を否定するもの。世界は大きく揺れ動(dòng)いていく…。①
第一、「デスノート」の內(nèi)容は非常に大膽で、ユニークである。まず、名前を書き、人を殺すこと自身は非常に不思議で、想像できないことだと思われる。人を殺すことはそんなに簡単なことなのかと人々に深く考えさせる。それから、被害者が犯罪者で、そういう人たちを法律外で懲罰することはいったい正義なのかと人々が読めば読むほど自然にそういう問題を考えるようになる。最後、死神の神秘的な存在も「デスノート」の高い人気の原因の一つ。
第二、內(nèi)容には殘酷と血なまぐささが満ち、ある程度で現(xiàn)代人のストレスが解消できる。現(xiàn)代社會(huì)の速い発展のため、競爭が激しくなる。激しい競爭の中で、自分の発展を図る人々の圧力も大きくなる。毎日忙しく働いている人々が一種の重苦しい狀態(tài)の中にあり、ストレスのはけ口が尐ないといわれている?!弗钎攻惟`ト」の內(nèi)容には殘酷と血なまぐささが満ち、それを見て、ある程度で心理的には一種のストレスのはけ口となる。
第三、主人公は二人の優(yōu)秀な男を設(shè)定し、今の尐女たちの「BL情緒」に想像の空間を與える。今、「耽美」という言葉がよく見られる?!傅⒚馈工悉猡趣猡取该坤摔栅堡陿Sしむこと」の意味である。でも、60年代から、この語はだんだん漫畫用語となり、「耽美漫畫」つまり「BL漫畫」の意味である。そのような漫畫は尐女たちの中で非常に人気がある。インターネットで「デスノート同人」を入力し、検索したら、數(shù)ページが出てくる?!弗钎攻惟`ト」の同人誌を売るオンラインショップも多い。Lとライトは立派な男であり、それを見ている尐女たちは二人の間の「ピンク」を探し、二人は何か曖昧な関係にあると思ってしまった。漫畫のそういうところはちょうど尐女たちの「BL情緒」に想像の空間を與え、尐女たちの目を集め、最後、作品の人気も高まってくる。
第四、ストーリーが込み入り、複雑である。警察とキラの戦い、ライトとLの頭脳戦が非常に観客の目を集めた。ライトのまとまった殺人計(jì)畫とLの殺人事件を分析する能力はみんなポイントである。Lはライトを疑ったが、証拠がないので、ライトを監(jiān)視する行動(dòng)をとった。ライトはLの監(jiān)視行動(dòng)を知ったので、Lの疑いを解消するように、対策もとった。監(jiān)視されているが、ライトはポテトチップスを取るふりをし、パッキングに手を伸ばし、その中にあるデスノートの紙に、犯人の名前を書き、人を殺した。この作品の中で、このような心理戦と頭脳戦が何回もあり、大変受けがよい。
第五、青尐年の心理問題も反映された。ライトは非常に優(yōu)れている學(xué)生で、どうしてそんなに極端な手段をとったのか。外見から前向きで、優(yōu)等生であるが、內(nèi)心は黒い。このようなアニメ 映畫を見ることによって、社會(huì)は青尐年の心理教育を考え始めた。
日本漫畫産業(yè)はすでに産業(yè)チェーンが形成された。
「デスノート」の成功から、日本漫畫の産業(yè)化経営も見られる――週刊尐年ジャンプ で連載→単行本の出版→映畫「デスノート」前編→アニメーション―映畫「デスノート」後編→文化関連商品とその二次元商品:本(漫畫、雑誌、同人誌など)、映像化商品(ビデオ、VCD*OVAなど)、キャラクター商品、カレンダー、ノート、ポスターなどの販売→「デスノート」の大成功。②
漫畫雑誌と漫畫の単行本の出版を通じ、人気のある漫畫が出てくる。そして、その過程の中で、書類の販売によって、第1ラウンドの値上がりが実現(xiàn)できる。その後、それらの人気漫畫をOVAあるいはTV版のアニメーションに改編し、成功の後でも劇場版のアニメーションを作って映畫館で放送することができる。改編する時(shí)に、広告會(huì)社は若干放送前で広告を差込みたい企業(yè)を組織して共に出資することができる。資金の一部分は広告費(fèi)として、他の部分はテレビ局がアニメーション會(huì)社に手渡して制作費(fèi)として、第2ラウンドの値上がりが実現(xiàn)できる。同時(shí)に、アニメーションの音響製品、ビデオ製品、アニメーション形象の使用権、ゲームの改編権もアニメーション製品の価値をその他の市場に連れて入り、またもう1ラウンドの値上がりができる。これが日本漫畫産業(yè)の運(yùn)営モードつまり産業(yè)チェーンである。中國の漫畫産業(yè)の現(xiàn)狀
中國の漫畫産業(yè)は完備した産業(yè)チェーンがない。人材が乏しく、漫畫を描く人材を養(yǎng)成する學(xué)校が尐ない。消費(fèi)市場が十分に開発されていない。中國では、「動(dòng)漫」(アニメ 漫畫)というと、まだまだ「子供のもの」というイメージが強(qiáng)い。
中國政府もアニメを「國の産業(yè)」と認(rèn)識(shí)し、國産アニメの保護(hù)と育成に力を入れ始めた。2004年3月31日に國家?guī)陔娋t局は各省、自治區(qū)、直轄市の広播影視局及び新疆生産建設(shè)兵団広播電視局に、「子供チャネル開設(shè)に関する通知」を出した。この中で、2004年の內(nèi)に三分の一の省級(jí)テレビ局及び副省級(jí)テレビ局が、子供チャネルを開設(shè)、そして、2005年の年末までに、更に三分の一の省級(jí)テレビ局及び副省級(jí)テレビ局が、そして2006年年末までには全國すべての省級(jí) 副省級(jí)テレビ局が子供チャネルを開設(shè)するよう目標(biāo)つけられている。③ この発表から五、六ヶ月の間に、天津、上海東方,南京,江蘇で子供チャネルがスタートし、更に湖南、北京、上海で大型のアニメ専門チャネルがすでに放送を開始した。しかし、中國では アニメは子供が安心して見られるコンテンツでなければならない ため、アニメの描寫(性的なもの、暴力的なものなど)に対して厳しく制限が設(shè)けられている。2004年の通知は、単にアニメを中心とする子供番組のコンテンツの推進(jìn)を図るだけではなく、子供が大人向けの番組を見て成長に有害な影響を受けないよう、子供向けの良質(zhì)なコンテンツを?qū)熼Tに放送するチャネルを開設(shè)する目的が大きいといえる。その結(jié)果、大人向けの市場が無視された。
海外のコンテンツを中國に輸入するためには、輸入の審査や申請(qǐng)が繁雑な上に時(shí)間がかかる。更にテレビ放送においては、海外コンテンツの放送はアニメ番組全體の4割以內(nèi)と規(guī)定されている。また、ソフト販売、キャラクター商品販売においては海外版問題も深刻である。海外のアニメの輸入については、その內(nèi)容審査が厳しいだけではなく、輸入できる機(jī)構(gòu)も広電総局が指定した機(jī)関、もしくは批準(zhǔn)された機(jī)構(gòu)と厳しく規(guī)定されている。そして、輸入できる量も、自社で制作している國産アニメの量を超えることができない。また、輸入だけではなく、放送に関しても、海外アニメは総アニメ放送の4割を超えてはならない、という規(guī)定があり、輸入 放送ともに厳しく制限されている。あまりにも自國の漫畫産業(yè)を保護(hù)し、あえて新しい技術(shù)、経験を?qū)Wぶチャンスがなくなる。海外からの競爭と刺激が尐ないので、発展する意欲がだんだん弱くなってくる。中國は今漫畫産業(yè)発展の必要性を認(rèn)識(shí)したが、かなりの問題點(diǎn)もある。視聴者の位置づけとか、政府の過度介入とか、自國漫畫産業(yè)の過度保護(hù)など、これらの問題を解決しないと、中國漫畫産業(yè)の十分な発展はありえない。中國では、漫畫産業(yè)があるが、産業(yè)チェーンがまだ形成されていない。日本ではまず漫畫雑誌での連載があり、単行本になり、人気の新作がアニメやドラマになり、更に映畫になり、その過程でキャラクター商品がヒットするというアニメ業(yè)界が連鎖して一つの作品に関わっているのに対し、中國ではどれでも単発的である。早く産業(yè)チェーンを形成しないと、発展はそのまま足踏みだけである。日本の漫畫産業(yè)発達(dá)の理由分析及び中國への示唆 3.1 日本の漫畫産業(yè)発達(dá)の理由
日本漫畫産業(yè)の成功には共通の原因がある。その共通の原因については、中國の研究者が以下のように分析している。
1.文化の特性:日本漫畫産業(yè)の発展は、まずその文化の単一性のおかげである。日本は単一民族とも言え、99%以上の國民が大和民族の人である。単一民族は統(tǒng)一の文化観と価値観が形成しやすく、人々により広い範(fàn)囲と高い程度で同じものを受けることができる。日本漫畫産業(yè)の発展はまさに日本國內(nèi)で広範(fàn)囲の普及度と頑丈な基礎(chǔ)を前提にしている。また日本漫畫産業(yè)の発展はその文化の開放性のおかげである。日本の漫畫などは、様々な外來文化を吸収し、その中で、中國の古典文化の影響が一番大きい。
2.強(qiáng)力な運(yùn)営モード:普通、漫畫産業(yè)チェーンはアニメ?漫畫の出版物と音響映像製品、アニメの放送あるいは上映とキャラクター商品を含んでいると思われる。
日本の漫畫産業(yè)の発展戦略はテレビ番組の広告の収入を漫畫?アニメの創(chuàng)作資金に當(dāng)て、玩具などの二次元商品の巨額利潤でテレビ局のアニメーションの番組制作に投資し、更に再度新しい漫畫?アニメのキャラクター商品の開発を動(dòng)かし、映畫、テレビ、音楽、出版、テーマパークの発展を推進(jìn)する。④
現(xiàn)在日本の漫畫産業(yè)はすでに完備した産業(yè)チェーンと熟した産業(yè)の運(yùn)営モードができた。そして巨大な経済利益を得る。
3.すばらしい製作: 漫畫の製作は秒の価値によって計(jì)算する高い投入産業(yè)である。宮崎駿、大友克洋、押井守のような漫畫大家達(dá)の投入製作した漫畫映畫はややもすれば數(shù)10億円のである。漫畫の吹き替えをした人員(日本で聲優(yōu)と稱される)も専門的な訓(xùn)練を受けて、スターとして舞臺(tái)に登る。全ての日本の漫畫は細(xì)かい點(diǎn)の処理の上でも完璧に近い。唯美的な流暢的な畫面、空いっぱいに飛び舞う桜と羽、主人公の生き生きとしている顔の表情など、いずれも人に深い印象を與える。それの外に、いいアイデアのあったシナリオも漫畫の強(qiáng)大な核心と支柱である。日本の漫畫は近年なぜそんなに人気があるか。美しい畫面という原因の外に、よいシナリオは一番重要な原因である。情熱、夢想、奮闘などいつもあり、また忠誠、裏切り、妥協(xié)、選択、愛と恨み…こもごも入り交じる。「犬夜叉」、「頭文字D」、「名探偵コナン」、「EVA」などの作品は多くの中國人の好感を得ている。日本の漫畫と比べて、中國で放送された漫畫はまったく幼稚園の水準(zhǔn)で
ある。畫面が粗雑で、生気がなく、段階が鮮明ではない。青尐年にとって、魅力はぜんぜんない。政府の様々な規(guī)定があるから、中國の漫畫は多くの制限を受ける、4.漫畫のとらえかた:日本の漫畫の內(nèi)容はあらゆるものを網(wǎng)羅していて、童話、サイエンス フィクション、冒険、愛情、スポーツ、歴史、科學(xué)、経済、宗教、娯楽から文蕓小説、ノンフィクション文學(xué)、政府の文獻(xiàn)、學(xué)生の課外指導(dǎo)材料…ないものはない。日本漫畫作品の影響力の巨大さと販売量の多さは世界でも前列に並ぶ。
1990年の統(tǒng)計(jì)によれば、日本で漫畫週刊、隔週刊は78種類、月刊が2246種類、合わせて2324種類もあるという。毎月、漫畫の単行本は約300種類出版される。年間漫畫の書籍と雑誌の販売量は35,889,全部の書籍と雑誌の販売量の45%をしめる。⑤ 漫畫の読者の年齢構(gòu)造は幼児から40歳ぐらいの中年人までである。日本の出版界で有名なスローガンのひとつには「三歳から八十歳までの人にはすべて漫畫を見させる」というのがある。日本の漫畫は20世紀(jì)八、九年代から題材が三つのタイプに分けられた。それはつまり尐年のアニメ、尐女のアニメ、成人のアニメで、実際はそれは三つの視聴者の価値指向を代表しているので、非常に重要なことである。中國の漫畫はまだ説教の程度に止まり、子供の漫畫と捉えられている中國漫畫は大部分の青年、成年を含む社會(huì)主流群體の承認(rèn)を得られないのも無理がない。
3.2 中國への示唆
日本の漫畫とアニメは読者と観客によって、明確に分類されている。児童向け漫畫、尐年漫畫、尐女漫畫、青年漫畫、レディースコミックと青年向け漫畫(18禁漫畫)に分けている。⑥ 漫畫とアニメは日本では全國民が誰でも見るものである。でも、中國では、漫畫の內(nèi)容は主に神話とか寓話とかのような教育性の強(qiáng)く、子供向けのもので(《大鬧天宮》、《海爾兄弟》など)、大人はあまり見ないのである。それゆえ、中國の漫畫の対象は子供たちに限られ、內(nèi)容も狹まっている。もっと、幅広い範(fàn)囲で、すべての人に向ける漫畫を作ることが求められている。また、中國では、漫畫とアニメから改編した映畫が尐ないし、漫畫のため、わざとホームページを作ることも尐ない。「デスノート」の宣伝方式から見れば、まずインターネットでの宣伝が非常に重要になった一環(huán)である。漫畫や映畫などのため、公式サイドを作ることは中國ではほとんどない。それから、日本國內(nèi)と海外香港での同時(shí)上映もポイントの一つ。日本國內(nèi)だけではなく、海外の人気も集まった。最後、「デスノート」の宣伝日記によると、「デスノート」の宣伝活動(dòng)は非常に緊密で、計(jì)畫性がある。最新情報(bào)は3月14日のことである(検索した日は3月20日である)。
2006年に上映された映畫だが、今も情報(bào)を更新している。中國の映畫の宣伝と違って(中國の映畫の宣伝活動(dòng)は主に上映直前と公開中に集中している)、長期間の宣伝である。
中國の漫畫産業(yè)はもっとインターネットを利用し、まとまった宣伝計(jì)畫を立て、自分の作品を中國全國あるいは世界に広げるべきだ。
中國の漫畫産業(yè)の発展も自分にとって有利な面もある。
1.市場の未來性:中國の漫畫産業(yè)は十分に発展していないため、発展の空間も大きいし、他の國から経験を汲み取ることもできる。マスメディアの発展はアニメーションに巨大な発展のチャンスを與え、映畫からテレビまで、また、インターネット、移動(dòng)通信まで、アニメーションはメディアの一つの內(nèi)容として巨大な需要に直面している。非常に未來性があるし、多様な可能性がある。
2.文化の奧深さ。文化の方面、中國は豊かな文化資源を持ち、アニメーションの題材の最大の基地となった。中國の文化は長い歴史の発展の中で、外來の文化の長所を吸収し、ずっと自分の獨(dú)立性も維持し、世界の獨(dú)特な文化のタイプになっている。その影響は世界の文化にも巨大な貢獻(xiàn)をもたらした。日本のアニメ?漫畫は多くの方面で中國の文化から受ける影響が見える。また、中國のアニメーションの制作者は米國のアニメーションの製作技術(shù)を中國の民族の蕓術(shù)を結(jié)合し、各種のその他の手法(水墨畫、折り紙蕓術(shù)、人形など)を試みる。これも中國のアニメーション制作の大きな優(yōu)位である。
終わりに
中國と日本は、國の事情が大いにことなっている。もちろん、漫畫産業(yè)の背景も違っている。したがって、中國はこれらの新しいメディアのプラットフォームの上に巨大な創(chuàng)作の基礎(chǔ)があり、また、巨大な市場の消費(fèi)空間があり、更に一歩一歩完備されている政策とあいまって、中國の漫畫産業(yè)のテークオフが遠(yuǎn)くないと思われる。
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私はこの拙い卒業(yè)論文の完成に當(dāng)たり、ご指導(dǎo)の海洋大學(xué)日本語學(xué)科の張秀梅先生に心から深く感謝を申し上げます。最初の論文の構(gòu)想から論文テーマーの確定、論文資料の準(zhǔn)備、疑問の解答、論文の修正まで、張先生はずっと熱心に辛抱強(qiáng)く指導(dǎo)してくださいました。この半年の長い間、張先生は何回もわざわざ時(shí)間を作って、論文についていろいろ指摘してくださいました。張先生のおかげで、私の卒業(yè)論文は計(jì)畫通りに完成いたしました。張先生のご指導(dǎo)は私にとって、大きな助けになってきました。もう一度感謝のことばを述べさせていただきます。
第四篇:日語系畢業(yè)論文
長沙理工大學(xué) 本科畢業(yè)設(shè)計(jì)(論文)
目 次
日本語アウトライ……………………………………………………Ⅰ 中國語アウトライ……………………………………………………Ⅱ 日本語要旨……………………………………………………………Ⅲ 中國語要旨……………………………………………………………Ⅳ 第一章 序論…………………………………………………………1 第二章 諺と民族性格の定義………………………………………1 第三章 中國と西洋からの諺………………………………………2 第四章 日本本土の諺………………………………………………6 第五章 諺の意味の変遷と言語構(gòu)造………………………………7 第六章 結(jié)論…………………………………………………………8 參考文獻(xiàn)………………………………………………………………9
目 錄
日文提綱………………………………………………………………Ⅰ 中文提綱………………………………………………………………Ⅱ 日文摘要………………………………………………………………Ⅲ 中文摘要………………………………………………………………Ⅳ 第一章 引言……………………………………………………………1 第二章 諺語與民族性的定義…………………………………………1 第三章 來自中國與西方的諺語………………………………………2 第四章 日本本土諺語…………………………………………………6 第五章 日本諺語意思的變遷與語言結(jié)構(gòu)……………………………7 第六章 結(jié)論……………………………………………………………8 參考文獻(xiàn)……………………………………………………………… 9
アウトライン
論文主旨:日本の諺の起源、発展、変遷から、日本の諺の民族性格を研究する。第一章 序論
第二章 諺と民族性格の定義 第三章 中國と西洋からの諺 3.1 中國からの諺 3.2 西洋からの諺 第四章 日本本土の諺 4.1 地理の影響 4.2 宗教の影響 4.3 生活方式の影響
第五章 諺の意味の変遷と言語構(gòu)造 第六章 結(jié)論
提 綱
論文主旨:從日本諺語的起源,發(fā)展,變遷發(fā)面,探究日本諺語中的民族性。第一章 序論
第二章 諺語與民族性的定義 第三章 來自中國與西方的諺語 3.1 來自中國的諺語 3.2 來自西方的諺語 第四章 日本本土諺語 4.1 地理因素 4.2 宗教因素 4.3 生活習(xí)慣因素
第五章 諺語意義的變遷與語言構(gòu)造 第六章 結(jié)論
要 旨
諺は、人間の言語と知恵の結(jié)晶と言われている、日本の諺も同じである。日本が島國としての特別な地理、文化伝統(tǒng)が諺の形成、発展及び內(nèi)容形成などに対して深く影響を與える。諺の中に日本民族の特有な民族性格と文化が特別な言語形式を通して完壁に現(xiàn)われている。言語と文化を結(jié)び付ける視點(diǎn)から見ると、日本の諺の起源でも、発展でも、変遷でも、十分な研究と探求の価値がある。諺が國の文化を表すのみならず、さまざまな価値観、人生観、世界観も表現(xiàn)している。その中に、日本人は獨(dú)立した民族として、獨(dú)自の文化を持ち、諺も言うまでもなく獨(dú)自の民族的特色を持っている。ここで、民族性格に対して考察してみたい。
キーワード:諺;民族性格;諺の起源;諺の変遷;言語構(gòu)造
摘 要
諺語是人類語言和智慧的結(jié)晶。日本諺語也是一樣的。日本作為一個(gè)島國,其獨(dú)特的地理位置,文化底蘊(yùn)對(duì)諺語的形成,發(fā)展及內(nèi)容形式,產(chǎn)生了深遠(yuǎn)的影響。日本民族特有的民族性,文化特質(zhì)在諺語著這特殊的語言形式中得到了完美的體現(xiàn)。從語言和文化相結(jié)合的角度來看,無論是日語的起源,發(fā)展,變遷,都是極具研究和探討價(jià)值的。諺語不僅可以反映該國的文化與社會(huì),同時(shí)也反映了也反映各民族的多種多樣的價(jià)值觀,人生觀與世界觀。其中,日本作為一個(gè)獨(dú)立的民族,其民族性獨(dú)具特色。本文想對(duì)諺語中反映的日本民族性進(jìn)行探究。
關(guān)鍵詞:諺語;民族性 ;諺語起源 ;諺語意思的變遷;語言結(jié)構(gòu)
日本の諺から日本の民族性格を探求する
第一章 序論
言語と文化は密接な関係がある。どんな言語でも文化と離れて獨(dú)立して存続することが出來ない。言語は文化の中に存在すると同時(shí)に文化の基盤である。だから、言語表現(xiàn)形式として一番の寶物挙げられる諺は、世界で最も豊富で多彩な成語、諺の大寶庫を持っている。
まず、私たち知るべきのは、日本の諺が庶民から生まれるものである。諺には、人々の哀楽だけではなく、自然と人間の関係、動(dòng)物、植物までなどの內(nèi)容もふくめている。人間の生活経験から作られたさまざまな知恵は、漢字で記録されではなく、諺の形式として口で代々に伝えていく。今、私たち本で見た諺は、後輩の収集と整理したものである。これは、めいめいのながい人生経験から悟った知恵と結(jié)晶である、ただの人生の教訓(xùn)、処世の學(xué)問ではなく。日本の國民も豊かな諺を持っているが、その中に外國からの諺もすくなくない。もし、外國からの諺がないとしたら、日本人の民族性格も分からず、諺の中の借りる文化、外來文化も不自然になるだろう。もう一つ強(qiáng)調(diào)したいのは、諺がいつも変わっていくということだ。特に若者たちは現(xiàn)代の視點(diǎn)から理解と解釈している諺が新しい生命力を感じている。東洋でも西洋でも、諺が自分國の文化と社會(huì)を表すのみならず、さまざまな価値観、人生観、世界観も読まれる。その中に、日本人は獨(dú)立した民族として、獨(dú)自の文化を持ち、その中の諺も言うまでもなく獨(dú)自の民族的特色を持っている。ここで、諺の中の民族性格に対して考察してみたい。
第二章 諺と民族性格の定義
日本の辭書について次のような定義を下している?!笌谵o苑」;
古くから人い々に言い習(xí)わされてきた言葉、教訓(xùn)、風(fēng)刺、等の意を寓し短句や秀句。
「日本國語大辭典」;
昔から世間に広く言い習(xí)わされてきた言葉で、教訓(xùn)や風(fēng)刺などを含んだ短句。以上の定義が次のような諺の基本的な特徴を示していた。?諺は口頭で代々言い伝えられてきたものである。?諺は広く民間で使われている通俗な言葉である。
?諺は明快で簡潔な言い回しにより教訓(xùn)、風(fēng)刺、等の意を寓したものである。民族性格とは、ある民族が持つ性質(zhì)、心理的特質(zhì)、気風(fēng)、思潮、精神、心性のこと。私は、日本諺の起源、発展、変遷、構(gòu)造の研究に通して、日本人の特民族性格を探求する。
第三章 中國と西洋からの諺
人間健全な理性が世界的にも共通なので、國が違っても、民族が違っても、各國の諺の中に論を待たなく同じものを持っている。日本では、、仏典、漢籍、英文學(xué)、聖書、など國外の原典に由來するものが日本獨(dú)自のものとして誤解されている場合も多い。
3.1 中國からの諺
①詩からの諺
國破れて山河あり(杜甫の詩 春望)
春宵一刻値千金(蘇試の詩 春夜)
少年老い易く學(xué)成り難し(朱熹の詩 偶成)②原典からの諺
彼を知り己知れば百戦怠からず(孫子 謀攻)教うるは學(xué)ぶの半ば(禮記 學(xué)記)③熟語からの諺
行尸走肉(拾遺記 六)自暴自棄(孟子 離簍上)④伝説からの諺 絵に描いたピン
蛇に睨まれた蛙
3.2 西洋からの諺
友と酒は古いほどいい(Old friends and wine are best)
一石二鳥(to kill the two birds with one stone)
便りのないのはよい便り(No news is good news)時(shí)は金なり(Time is money)(1)(2)以上の例から、一つ事実が分かるようになった。日本は優(yōu)秀な外國の文化を吸収して、自分のものにするのが得意である。その原因といえば、日本が弧島で海に囲まれているから、日本人がずっとこの封閉な狀況から飛び出し,外界と接しようと強(qiáng)く願(yuàn)っている。したがって、日本が劣らないように、謙虛に外國文化を吸収して、世界の先進(jìn)國を超えようという民族性格も読まれる。
第四章 日本本土の諺
日本本土の諺、ある種類の教訓(xùn)、警戒、風(fēng)刺、またはその他の視察経験による知識(shí)をいいあらわしたものである。年取りたちは、めいめいのながい人生経験から悟った知恵を諺に託して若者たちに示す。島國に住んでいる日本人は、自然と共存して、謙虛で、勤勉で本気で働いていること、よく知られている。長年の労働と農(nóng)耕生活から形成した諺が多いだけじゃなく、日本人の民族性格もうまれている。
4.1 地理の影響
日本の特別の地理と環(huán)境のおかけで、さまざまな諺も生み出した。その諺から、日本人の民族性格も分かるようになった。4.1.1 自然と共存する日本人
日本が豊かな自然環(huán)境に囲まれているから、いつも自然を尊敬し、平和の共 存を求めている。
?動(dòng)植物から見た日本の生活理念
動(dòng)物;
植物; 猿も木から落ちる
柳に風(fēng)邪 蛙の子は蛙
青菜に塩 貓の手も借りたい
獨(dú)活の大木
?気象に敏感な日本人 暑さ、寒さも彼岸まで
梅の花上向きに咲く年は晩霜あり 青夕焼けは大風(fēng)邪となる
??から見たら、日本がきれいな自然環(huán)境に恵まれて、四季がはっきりと分れている。この美しい環(huán)境に住んでいる日本人が自然に特別な好感を持っている。日本人に対して、自然がき征服された対象ではない。日本の諺には、いきいきとした動(dòng)物や植物から変わった自然現(xiàn)象まで、自然と密接に関係している內(nèi)容が沢山ある。自然に守ろうとする日本人が 細(xì)かい観察を通して多くの生活観念と教訓(xùn)をまとめている。4.1.2 島國の日本人
日本は島國で、太平洋暖流と千島の影響の下で、海洋漁業(yè)が発達(dá)している。だから、日本人が海産物と接する機(jī)會(huì)が多く、海と魚に関する諺も多い。海に千年川に千年
河豚は食いたし命は惜しし 腐っても鯛 魚心あれば水心
以上の例とおり、さまざまな魚を比喩として物事及び生活道理を示す。だから、日本の飲食文化は、尚魚、愛魚の文化と言えるだろう。昔から、魚が日本社會(huì)に重要な位置を占めている。さまざまな魚に関する諺は、日本人の心理特徴と生活習(xí)慣を表し、一つの民族性と言えるだろう。
4.2 宗教の影響
日本の伝統(tǒng)社會(huì)は、その奧深くに仏教の物の考え方が流れている。仏教の中 で日本人が最も重視して受け入れたものは?無常観?である。この無常観というのは何も仏教だけがもたらしたのではなく、日本の自然そのものが教えてくれたものでもある。?宗教観
今際の念仏誰でも唱える 見ぬは極楽知らぬは仏 因果応報(bào) 死にがけの念仏 ?無常観
會(huì)うは別れのはじめ 朝顔の花一時(shí)
朝に赤顔あり夕べに白骨となる
6世紀(jì)に、仏教が中國から日本に伝えられている。そして、その後日本の文化全體に大きな影響を及ぼす。古代の日本人が儒教と仏教に影響されて、淡泊、漂泊、無常な國民性格になった。そのような性格は、運(yùn)命に面するとき、明らかに表れている.日本人は次々の困難を乗り越えるとか、目的を葉わなければならないとか、あまり好きではない。逆に、融通が利かなくて、拘る処世態(tài)度より、楽観で朗らかで天に任せるの方がもっと好きである。
それに、儒教も日本の生活、思考、行動(dòng)に大きな影響を與える。儒教の仁愛、神道の調(diào)和、仏教の自慮自醒、因果応報(bào)も日本人の生活態(tài)度に対して、ある程度の影響が出て役に立っている。
4.3 生活方式の影響
4.3.1 勤勉で辛抱強(qiáng)い日本人
日本は、農(nóng)耕な民族で、古いから「晝で働き、夜で休む」という農(nóng)耕生活を形成している。そのところから、勤勉で辛抱強(qiáng)い民族性格が現(xiàn)れている。石の上にも三年 桃栗3年、柿8年
一日作さざれば一日食らわず
稼ぐに追い付く貧乏なし
以上の諺の中に、日本人を特別に持っている勤勉で辛抱強(qiáng)い民族性も見える。それに、日本人の堅(jiān)忍不抜の精神のみならず、富と生活に追求する態(tài)度も體現(xiàn)する。この古い諺から、古代社會(huì)の勤勉な耕作の生活畫面が目の前にいきいきとしたようだ。
4.3.2 慎重な日本人
生活中の日本人がいつも言動(dòng)が慎重と言われている。なんに事に対すしても、いろいろ考えた抜いてから、決める。石橋を叩いて渡る 淺き川も深く渡れ 君子危うきに近寄らず
「石橋」でも、「淺き川」でも、以上の諺が日本人の慎重性を表れている。この人々に教訓(xùn)、警戒を與える諺は、民族性を體現(xiàn)するとともに、日本人の小心翼翼の処世態(tài)度と落ち著いた処世作風(fēng)も分かるようになる。全體から見ても、日本民族性の重要な部分となる。4.3.3 曖昧な日本人
日本人が「曖昧な人」と評(píng)価されるは、よく耳にする。その曖昧もさまざまな形で現(xiàn)れる。
開いた口に団子 足下に火がつく 足を洗う
日本語には、身振りに関する用い方が多い。諺には、體の器官を利用して表す例も少ない。昔から島國で生まれて農(nóng)耕で活きている日本人が「自然と周りの物事との接觸、融和」を重視している。言語から見ると、自然と體の各器官を通して人の行為や人生道理を暗示する傾向が明らかになる。その他、自分の気持ちをはっきりしないで、體の器官と周りの物事を通して、自分の考え、態(tài)度を表すのは日本人の特別な民族性である。4.3.4 沈黙な日本人
日本人が「沈黙好き」と言われている。彼らはが口數(shù)の少ないことを崇める。お互いに譲り合って衝突を避けるからこそ、集団の存続と個(gè)人の安定があると思う?!秆预铯踏涎预Δ藙伽搿?、「言わぬは花」などのような日本人の処世術(shù)は沢山の諺の中に表れる。病は口よりいづ 口は災(zāi)いの元 口は人傷付ける斧
以上はみんな長期の社會(huì)的な実踐の中で日本人によって作り出されたものである。それは「雄弁,多言」などに対する一種の軽蔑といえるだろう。「以心伝心」「勘でわかる」という日本人のイメージが生き生きと現(xiàn)れる。
第五章 諺の意味の変遷と言語構(gòu)造
言語が社會(huì)文化の一部分として、変わらないわけにはいかない。社會(huì)発展と進(jìn)歩と共に、人の観念も言語の意味も変わっていく。言語の知恵としての諺は、時(shí)代につれて変わっていきつづけている。
5.1諺の意味の変遷
1、「一姫二太郎」は、はじめに女の子を産んでから、次に男の子を生むという意味である。この原因は、男の子が家業(yè)を受け継ぎのは期待されているが、死亡率とか、子とも育てる経験とかを考えると、はじめに女の子を産む方が育てやすい。大きくなった女の子は、家事を手伝って弟にも世話にする。その上に、男を生む戸、すべてうまくいって、一番いい選択である。
しかし、時(shí)代が変わった。少子化がますますひどくなる日本では、子ともを期待する日本人に次のように解釈される?!讣易澶摔?、女の子が一人、男の子が二人、子とも三人でどんな幸せなことだなあ!」という意味に変わった。このような解釈がもとの意味から大きくずれている。それで、日本社會(huì)の変化のき傾向と人々の思いも読まれる。
2、「子を持って知る親の恩」は、親になってからはじめて親の苦労と恩を知 るということだ。しかし、いまの日本人は、もっといい説明がある。自分が子供を持ってから、自分の親たちが孫に甘えてたまらなかった。きれいな服、バック、値段が高いオモッチャ、力を盡してできるだけものを買ってあげるといってもいいだろう。はじめて親になる若者たちにとって、精神と物質(zhì)からいろいろ助けてくるる親たちは、感謝している。思わずに「子を持って知る親の恩」ということばを感嘆する。親の恩は、子を持ってから、ようやく分かるようになった。
5.2 諺の言語構(gòu)造
諺の表現(xiàn)形式が豊富多彩である。
1、古文型
時(shí)は金なり
急がば回れ
2、音韻とリズム
人は人、我は我ちんぷん かんぷん
以上の例からみると、日本の諺は 古文型を多く使われているとともに、音韻とリズムも求めている?!付唐冥蠐p気」「亀の甲より年の功」のように、同音を重ねたものあるかと思えば、「聞くは一時(shí)の恥、聞かぬ一生の恥」「桜折るばか、かき折らぬばか」のようのにな対句形式のものもあり、また、「好き腹にまずいものなし」(五七音)「かわいい子に旅させよ」(七五音)「帯に短し、たしきに長し」(七七音)のように、音數(shù)の重ねかたで調(diào)子を整えたものも、少なくあらない。諺には、音韻とリズムが日本の諺の美しさを作り出す。諺には、短くて、口調(diào)がいいものが多いだ。その言語形式から、日本人の好みも分かるようになった。
第六章 結(jié)論
以上をまとめて言うと、長い歴史を経て作り出された労働人民の知恵の結(jié)晶である諺は、労働人民を主體とする文化と強(qiáng)く繋がっている。そのため、外 國文化を探求しようとする時(shí)、その國の諺を勉強(qiáng)するのもいい方法の一つであるだろう。
今の世界は、國際的に大きな環(huán)境の中にいる。もし、この國を理解したいとしたら、まず、この國の民族性、文化特色を把握しなければならない。この理由と言えば、五つがある。
1、國際化社會(huì)の中に、國と國お互いに理解できるようにになるのは、新たな要求である。
2、會(huì)の変化、発展とともに、民族性の角から國の存在を探索するのも世界の趨勢である。
3、國際社會(huì)の各國の行動(dòng)を予測と把握するため、民族性に基づいた行動(dòng)考察は、もっと充実である。
4、各國の世論の趨勢を把握しようとする時(shí)、民族性も不可欠な要素となる。
5、文化に対する研究には、民族性を參考の標(biāo)準(zhǔn)にすべく。
諺は、國の言語蕓術(shù)として、音韻とリズムを豊富に含めるだけではなく、思想的な人生哲學(xué)も伝えてくれる。だから、人々に日常行動(dòng)の指針と方向になって、その國の民族性も読まれる。文章は、さまざまな方面から日本の諺の文化的特色について觸れたが、これを機(jī)會(huì)にこれから更に理解を深めて生きたいと思う。日本語學(xué)習(xí)者として、言語についての勉強(qiáng)は確かに重要だが、言語に関する日本文化、民族性、歴史などの考察も抜いてはいけないことである。この文章の中に、不観客と足りないところまだあるので、これからの研究中に進(jìn)んで上達(dá)になりたいと思う。それに、、本章は、日本文化に関わった部分が少なくて、これからその面について研究していきたい。
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第五篇:外語學(xué)院日語系求職信
尊敬的XX公司領(lǐng)導(dǎo):
您好!
我叫,現(xiàn)就讀于北京大學(xué)外國語學(xué)院日語系。面臨畢業(yè)正在找工作中,今天在這里,帶著我的誠意真心向您寫下這封求職信。
說句實(shí)在的,我沒什么才華也沒什么特別技能。我沒有引以驕傲的外表,沒有令人驚嘆的身材,也沒有令人叫好稱贊的本領(lǐng)。我只是萬千大眾中那些最最普通的一員。但是說句實(shí)話,這個(gè)世界上像我這樣的人才最普遍最實(shí)在。但是金無足赤人無完人。這樣一個(gè)簡單平凡的我也有值得我驕傲的地方,相信也有值得您欣賞的地方。
我開朗而率真,真誠而務(wù)實(shí)。做人很講信用,做事很有原則和效率,從不拖泥帶水。我擅長演講,與人交流,與團(tuán)隊(duì)的合作。喜愛寫作,聽音樂。雖然至今為止也沒發(fā)表過什么作品,但是從小到大的日記積累了不計(jì)其數(shù)。如果您需要有寫作基礎(chǔ)人才的話我在這里毛遂自薦一下,希望您接受我。
出身農(nóng)民家庭的我特別懂得珍惜生活給予我的一切,同時(shí)特別能吃苦。我不怕苦不怕難,我只相信自己的努力。雖然太多時(shí)候努力了也未必就會(huì)得到理想的回報(bào),但是我仍執(zhí)著的相信只要肯付出會(huì)有回報(bào)的。因?yàn)槲也皇莻€(gè)聰明的人,所以我會(huì)比別人付出更大的努力來換取和別人一樣的收獲。我特別能堅(jiān)持,有時(shí)候甚至連我自己都佩服。我現(xiàn)在還在做家教,一共三份。我的工作時(shí)間是周一至周五的晚上6點(diǎn)到8點(diǎn)和周六周日的早上6點(diǎn)到8點(diǎn)。晚上冒著漆黑和嚴(yán)寒我一個(gè)人需要走半個(gè)多小時(shí)才能到達(dá)目的地。這樣每天來來回回一趟,回到寢室時(shí)我總是上半身出汗,下半身冰涼。風(fēng)雨無阻,我沒有放棄過。早上當(dāng)寢室同學(xué)還在睡夢中時(shí)我便爬起身來出去工作了,回來時(shí)她們依舊再睡夢中。這樣我在別人休息的時(shí)間賺夠了我每月的生活費(fèi),很辛苦,很值得,很欣慰。
大學(xué)四年里,我努力地學(xué)習(xí)了專業(yè)的知識(shí)。學(xué)一門語言四年是遠(yuǎn)遠(yuǎn)不夠的,我深知自己現(xiàn)在的日語水平還不能獨(dú)當(dāng)一面。不過我不會(huì)放棄,我還要在工作中繼續(xù)學(xué)習(xí),如果有可能,有機(jī)會(huì),我一定會(huì)出國深造,這是我最大的心愿。
我的要求并不高,只想找一份適合自己的工作,有發(fā)展空間的工作,好好向前輩學(xué)習(xí),虛心請(qǐng)教,把自己在學(xué)校學(xué)到的知識(shí)充分運(yùn)用到工作中去,在為公司帶來效益的同時(shí)努力提高自己的能力。我相信我可以做到。
這封求職信寫的或許長了些。我知道占用了您太多的時(shí)間,但是如果您真的看到了這里,我將不勝感激。因?yàn)檫@些都是發(fā)自一個(gè)沒有經(jīng)驗(yàn)的好范文的發(fā)自肺腑的心聲。我只求您給我一次機(jī)會(huì),您親眼看看我的能力,看看我是不是個(gè)值得您花點(diǎn)時(shí)間培養(yǎng)的可塑之才。我相信我不會(huì)讓您失望的!
此致
敬禮