第一篇:初中級(jí)日本語(yǔ)500問その4
1
2012.1.27
問題______の漢字はひらがなに、ひらがなは漢字に直して____に書きなさい。1 私は三人兄弟の一番上です。________
2 日本語(yǔ)は まだ へたです。________
3 毎日、八百屋で 買い物を します。________
4 お金が たりない。________
5 荷物は ここに置いてください。________
6 來月の はつかに 國(guó)へかえります。________
7 この時(shí)計(jì)はスイスのです。_________
8 海や川で魚をとります。_________
9 a.みぎ と ひだりを よく見て、b.みちをわたろう。a_______b______ 10_________a.b.9時(shí)から、テレビを見ます。a.________ b.___________ 12 あのスーパーはが多い。
a._____________ b._____________この店は土曜日以外は_________
14_________白い洋服を_________夏休みと冬休みにはいつも a,b.a_________ b__________ 17_________ab天気が c
a.________ b._______ c._______だれかが a.b.a._______ b.___________
20a.もういちど 大きいb.こえで 言ってください。a._______ b._____
第二篇:日本語(yǔ)の學(xué)習(xí)方法
日本語(yǔ)の學(xué)習(xí)方法
今日本語(yǔ)を?qū)Wぶ人はだんだん多くなって、日常の仕事の必要のためで、將來の発展のためで、日本語(yǔ)が學(xué)びやすいと聞いているためで 原因を待ちます。多くの人は方法が正しいのため半分の労力で倍の成果をあげて、しかし大部分はやはり方法が間違いののため倍の労力をかけて半分の成果しかなくて、それによって興味は減少して、受けて放棄します。
では、日本語(yǔ)の學(xué)習(xí)方法は多いです。この方法は日本語(yǔ)の興味を減少なく なります。日本語(yǔ)をマスタ-しよう と思えば、読むだけでは不十分だ。さらに 日本語(yǔ)を聞いたり、話したり、書いたりしないたければならさい。
最近では、いろいろ面白い學(xué)習(xí)方法ようになります。漫畫は法を?qū)Wんで、映畫とテレビの學(xué)習(xí)法、カラオケは法を?qū)Wんで 効果は いいです。日本の漫畫は 日本の漫畫はので日本の使っている日本語(yǔ)あります。その上內(nèi)容は普通はとても面白いと思います。読み始めて學(xué)んでいない苦労、學(xué)習(xí)の効果よりましです。カラオケの法とひきかえに 漫畫の學(xué)習(xí)方法が普通です。わよい人は日本の歌曲が 大好きです。その上要求は高くなくて 學(xué)ぶは易いです。
今國(guó)內(nèi)の多くの日本の映畫とテレビの劇があって 多くの人はいずれも観覧する時(shí)自然なのは浸って入っていって、まったく學(xué)んでいない感じ、あなたに日本語(yǔ)の興味を?qū)Wぶように引き起こすことができて、そして達(dá)成して日本語(yǔ)の効果を?qū)Wびます。
実は、多い學(xué)習(xí)方法はいいです。學(xué)び日本ごだんだん難くだろう。しかし、高まて効果を獨(dú)學(xué)することができます。
第三篇:日本語(yǔ)の作文
心に影響する言葉
今、三年生にして、自分のことをよく知るかどうか分からなかった、なんとなく殘念な人生だと思う。自信に満ちた態(tài)度をして、人生の目標(biāo)を向かって、一生懸命に進(jìn)めることはどうだろうか。
高校時(shí)代の時(shí)、大學(xué)に入學(xué)できるために、毎日必死に勉強(qiáng)することになる。だが、成績(jī)が上がらず、下がっていく一方だ。なぜこんな結(jié)果になるのか、いつもとおりこんな成績(jī)を持って、自分の能力がだめだと思う。母がこのことを知って、「誰(shuí)でも失敗することもある、でも、それを乗り越えてこそ、新しい自分が生まれる。何度も経験して成長(zhǎng)した自分が得られるだから」といった。その時(shí)、私はとても驚きになった、母が私のことを怒ったどろか、勵(lì)ましんだことをくれた。私は頑張ったことを聞きくれたので、すごくうれしかった。元?dú)荬摔胜盲郡?、自信がない。自分は本?dāng)にこの能力を持ったか、とても心配だと思う。こんな時(shí)、母の言葉を思い出して、最後まで自信を持って、このことを頑張って、成功することになるだろう。
また、こんなこともあった、ある日、先生のところに行った、先生が「王さん、大丈夫、入學(xué)試験合格できるから、元?dú)荬摔胜盲?、自信を持ったからよかった」と言った。先生の話をよく考えた末に、自分の問題がやっと発見した、以前は自信を捨てて、自分の能力を埋めて、目標(biāo)ははっきりしていない、したがってそのまま進(jìn)歩できない。
先生と母が同じことを言うとおり、自信の問題だ。もし、自分は自分のことを信じなっかたら、誰(shuí)もあなたのことを信じられないと思う。まず、自信を持って、皆頑張れば誰(shuí)でもできる。失敗してもいい、失敗は自分の欠點(diǎn)を教えてくれる友達(dá)。勉強(qiáng)だって、生活だって、何度もチャレンジして頑張ればきっと成功するだろう。そしてそこには必ずすばらしい未來が待っている。今までいつも母と先生の言葉をよく考えて、大きな影響を與えることになった。
おうびてい1002
第四篇:日本語(yǔ)文法の講義
日本語(yǔ)文法の講義(部分)文?文節(jié)
文には2種類あります。述語(yǔ)文と、未分化文です。
述語(yǔ)文は、述語(yǔ)のある文です。人間は、表したい事柄の內(nèi)容?性質(zhì)を考えて、事柄をいくつかの種類に分け、それぞれに適當(dāng)な述語(yǔ)を使って表現(xiàn)します。
「事柄の種類」というのは、ものとものとの関係か、ものの性質(zhì)か、ものの動(dòng)きかなどです。
それを表す述語(yǔ)には、名詞述語(yǔ)、形容詞述語(yǔ)、動(dòng)詞述語(yǔ)の3種があります。
述語(yǔ)文は、一つの事柄を全體的に未分化なままで表すのではなく、述語(yǔ)と補(bǔ)語(yǔ)の組み立てによって分析的に表します。
述語(yǔ)文の成立條件としては、1、內(nèi)容からまとまった意味を表しているもの
2、外形上から終わりで音が必ず切れるもの
3、陳述があるもの
文末には客體的表現(xiàn)に対して主體的表現(xiàn)が必要です。それにより、文末は斷定、否定、推量、命令,意志、希望などの形になります。
水沢恵子なら、今朝出て行ったよ。(斷定)
いいえ、そんなことはありません
(否定)
北海道を脫出するには、それ以外に方法はないだろう(推量)
田中君、走れ!
(命令)
お差支えがなければお伺いしたいんですが。(希望)文節(jié)とは日本語(yǔ)の言語(yǔ)単位の一つで、文を?qū)g際の言語(yǔ)としてできるだけ細(xì)かく句切った最小の単位です。
木曽路は すべて 山の 中で ある(5文節(jié))
花が 美しく 咲いた
(3文節(jié))
火事!
(1文節(jié))
文節(jié)の句切り方
言葉を話すとき、文の途中に「今日はネ、ぼくはサ、學(xué)校 をネ、休んだヨ」というように「ネ、サ、ヨ」などを入れることが多い。
ぼくはネ、疲れてサ、もうネ、歩けないヨ
「歩けないヨ」は歩けネないヨ」では意味が壊れてしまいますから、文節(jié)とし て分けられません。補(bǔ)助動(dòng)詞は1文節(jié)になれますが、助詞、助動(dòng)詞はなれません。一般的に文節(jié)は文より小さく、単語(yǔ)より大きい言語(yǔ)単位です。これは膠著語(yǔ)とい われる日本語(yǔ)の特徴の一つです。
動(dòng)詞文は、名詞文や形容詞文にくらべて、いろいろな補(bǔ)語(yǔ)(Nに/Nを/Nへ/Nと、など)をとりえます。それによって、現(xiàn)実の様々な事象を表わすことができます。
それは、言いかえると、動(dòng)詞文は、形容詞文などのようにある人や物のことを述べるだけでなく、複數(shù)の人?物?場(chǎng)所などが関與する複雑な事象を述べることができるということです。それによって、表現(xiàn)される事柄の範(fàn)囲が格段に広くなるのです。そこを詳しく述べることは、文法の重要な課題 の一つです。
さらに、名詞文や形容詞文と比べると、時(shí)の表現(xiàn)が細(xì)かく使われます。その事柄が瞬間的なことか、持続していることかという違いも表せます。
動(dòng)詞文の表わす意味は、個(gè)別の動(dòng)作や、習(xí)慣的な動(dòng)作、將來の予定された行動(dòng)、話し手の意志的な行動(dòng)、もの?人の存在、狀態(tài)など、さまざまです。
「動(dòng)」詞というのは、本來動(dòng)きを表わすものだということでしょうが、動(dòng)きだけではなく、存在や狀態(tài)?関係なども表わします。次の文は「関係」の例です。
標(biāo)準(zhǔn)語(yǔ)と東京方言は尐し違います。
人の意志的な行動(dòng)について述べる動(dòng)詞文では、「命令」や「依頼」の表現(xiàn)や、「意志」を積極的に表す表現(xiàn)もあります。これらは名詞文や形容詞文にはないものです。また、「受身」や「やりもらい 」のような、動(dòng)詞文だけに使われる「複合述語(yǔ)」も多く、日本語(yǔ)教育の観點(diǎn)から考えても、あるいは日本語(yǔ)の文法體系という點(diǎn)から考えても、動(dòng)詞文は大きな広がりをもつ文型です。
修飾語(yǔ)など
基本述語(yǔ)型を拡張する方法には、二つの方向があります。
文の成分に対する修飾 :
補(bǔ)語(yǔ)に「連體」修飾語(yǔ)を付けていくこと
述語(yǔ)に「連用」修飾語(yǔ)を付けていくこと
文の成分自體の拡張 :
補(bǔ)語(yǔ)の名詞を「名詞句」に拡張すること
述語(yǔ)を「複合述語(yǔ)」に拡張すること
修飾:連體と連用
修飾語(yǔ)は、名詞を修飾する「連體修飾」と、述語(yǔ)を修飾する「連用修飾」の二つがあります。たとえば、その火事は、やってきた消防車によってすぐに消し止められた。
「その」は名詞「火事」を修飾する連體修飾です。「やってきた」も「消防車」を修飾する連體修飾 です。(ただし、こちらは「やってきた」が「節(jié)」と見なされるので「連體節(jié)」で、この文全體は「複文」 となります。)
そして「すぐに」は述語(yǔ)である「消し止められた」を修飾する連用修飾です。連體修飾となるのは、名詞+「の」 私の?未來の?こっちの →「NのN」
連體詞
この?大きな?いわゆる →「修飾」
形容詞
きれいな?大きい →「形容詞文」
動(dòng)詞
読んだ(本)→「連體節(jié)」
などです。
名詞文の名詞に連體修飾語(yǔ)がいくつも付いた例をあげます。
あそこの青い服の人は、東京の大きな日本語(yǔ)學(xué)校の有名な先生です。
連用修飾の代表的な形式は副詞です。副詞は下位分類がいろいろあります。
副詞
ゆっくり歩く
(様子)
とても大きい
(程度)
短く刈る
(結(jié)果)
たくさんある
(數(shù)量)
さっき來た
(時(shí))
あいにく雤だった
(評(píng)価)
たぶん來るだろう
(陳述)形式名詞による句
(連體)健康のための體操
貓のような目
2(連用)家族のために働く
鳥のように飛ぶ
數(shù)量表現(xiàn)
(連體)
三冊(cè)の本
10キロの道
(連用)(本を)三冊(cè)買う(山道を)10キロ歩く
「擬音?擬態(tài)語(yǔ)」も多くが連體修飾になります。
がたがたの體
つるつるの床 指示語(yǔ)
(連體)この そんな ああいう
あのような
(連用)こう そんなに
あのように
疑問語(yǔ)
(連體)どの どんな
どういう
どのような
(連用)どう
どんなに
どのように
「-いう」「-ような/ように」の形は複合的な形式です。
三 複合述語(yǔ)
[テンス?アスペクト]
まず、時(shí)間に関する表現(xiàn)です。文で表される事柄の時(shí)點(diǎn)と、ことばを発した時(shí)點(diǎn)との前後関係を 表す「テンス」、その事柄の時(shí)間的性質(zhì)に関する「アスペクト」があります。
テンス(過去形/現(xiàn)在形)
した/する
しました/します
長(zhǎng)かった/長(zhǎng)い
きれいだった/きれいだ
夢(mèng)だった/夢(mèng)だ
アスペクト(継続/狀態(tài)/開始/終了、など)
する/している/してある/しはじめる /しおわる
[ボイス]
次に、文の事柄を誰(shuí)の視點(diǎn)から表現(xiàn)するか、あるいは誰(shuí)の意図によって引き起こされたと見なすか、などの表現(xiàn)のしかたによって、補(bǔ)語(yǔ)に付く「格助詞」が変えられることがあります。これを「ボイス」と言います。
受身 貓が魚を食べる/魚が貓に食べられる
使役 貓が魚を食べる/貓に魚を食べさせる
「受身」「使役」のほか、「可能」「自発」「やりもらい」などの表現(xiàn)もボイスのところで扱います。
可能
私は魚が食べられない
自発
ふるさとのことが思い出される
やりもらい 英語(yǔ)を教えてあげる/くれる/もらう
ボイスも動(dòng)詞述語(yǔ)のみに見られる文型です。
[ムード]
複合述語(yǔ)の後半は、「ムード」を表す形式を扱います。たくさんの文型があり、話し手の表現(xiàn)意図をさまざまに表し分けます。聞き手に対する働きかけを表すものと、述べる事柄に対するものとに大きく分けられます。
聞き手に対する働きかけなど
依頼
書いてください 書かないでください
命令
書け
書きなさい
勧誘?意志 書きましょう
書こう
勧め?忠告 書いたほうがいい 書くといい
禁止?許可 書いてはいけない 書いてもいい
必要?不必要
書かなければならない
書かなくてもいい
希望
書きたい
事柄に対する表現(xiàn)態(tài)度
推量?伝聞 書くだろう 書くそうだ
斷定?確信 書くにちがいない 書くはずだ
その他
書くことだ
書くものか
書かない
[複文]
以上は「単文」の話でした。つまり、一つの文の中に述語(yǔ)が一つの文です。一つの文の中に述語(yǔ)が2つ以上ある文を「複文」と呼びます。複文の多くは単文の要素の拡張と考えられます。例えば、次のように対応します。
単文の要素
複文の中の節(jié)
名詞
名詞節(jié)
連體修飾
連體修飾節(jié)
連用修飾
連用修飾節(jié)
名詞文の2つの名詞に連體修飾の節(jié)が付いた例。
私が英語(yǔ)を習(xí)った先生は、いま私が勤めている大學(xué) の卒業(yè)生です。
上の文は、次の単文と基本的な部分は同じです。
あの先生は、私の大學(xué)の卒業(yè)生です。
動(dòng)詞文の補(bǔ)語(yǔ)にも、連體修飾節(jié)が自由に付きます。
帰ってきた父は、テレビを見ていた私に駅前で見た事故のことを話した。
名詞文の名詞のところに「節(jié)」が入る場(chǎng)合。
私の仕事は日本語(yǔ)を教えることです。
即ち:私の仕事は日本語(yǔ)教育です。
人を愛する(という)ことは、人を信じることです。即ち: 愛は信頼です。
形容詞文?動(dòng)詞文の補(bǔ)語(yǔ)の名詞のところに、「~の」「~こと」の形の「名詞節(jié)」が入った例。
私はスポーツを見るのが好きです。
即ち:私はスポーツが好きです。
生徒に來週の土曜は休みであることを伝えた。
その窓から、野鳥が飛んでいるのが見えた。
連用修飾の節(jié)は、種類がいろいろあります。一部の例をあげます。
時(shí)
よく考えてから、答えます。
理由
よく考えたから、わかります。
條件
よく考えれば/考えたら、わかります。
目的工學(xué)を勉強(qiáng)するために、日本に來ました。
様子
窓を開けて、空気を入れ替えました。
程度
かばんに入るだけ、詰め込みました。
並列
私たちが2階に住み、両親が1階に住みました。
名詞文 「AはBです」(「BはAです」も)の場(chǎng)合、「は」の後ろが聞きたいこと、言いたいこと 「AがBです」の場(chǎng)合、「が」の前が聞きたいこと、言いたいこと「AはBです」の場(chǎng)合、疑問語(yǔ)は「は」の後にくる。ハ?ガ文
このハとガが一つの文の中に出てくる文型があります。日常的によく出てくる文型で、例えば次のようなものです。
1 あの人はご主人がドイツ人です。
2 このビルは1階がレストランです。
3 カキ料理は広島が本場(chǎng)です。
4 私は仕事が趣味です。
このような文型を特に「ハ?ガ文」と呼びます。この「が」は、前に「NがNです」として述べたような「焦點(diǎn)のガ」ではありません。
この文型は、主題の「Nは」に対して、「NがNです」の部分が解説になっています。
名詞文のハ?ガ文は、それぞれの名詞の意味関係の型によって2つに分けられます。
全體を「AはBがCだ」と記號(hào)化すると、「AのB」という意味関係を含むもの(例1?2)と「AのC」のもの(例3?4)があります。
1’あの人のご主人はドイツ人です。
2’このビルの1階はレストランです。
3’カキ料理の本場(chǎng)は広島です。
4’私の趣味は仕事です。
名詞の修飾語(yǔ)
NのN
「NはNです」のそれぞれの名詞は、修飾語(yǔ)を付けることができます。名詞が名詞を修飾する場(chǎng)合、「NのN」の形になります。
その表す意味関係はさまざまです。
私の本?手(所有関係)私の姉?友達(dá)(人間関係)
機(jī)の腳?引き出し(部分)機(jī)の大きさ?重さ(物と性質(zhì))教室の機(jī)?窓(所在地)日本の自然?天気(場(chǎng)所)日本のテレビ?小説(生産國(guó))
教室の中?隣(位置関係)
スポーツの前?後(時(shí)間関係)英語(yǔ)の新聞?辭書(使用言語(yǔ))経済の本?話(內(nèi)容)木の機(jī)?紙の箱(材料)三人の學(xué)生?2本のペン(數(shù)量)醫(yī)者の山田さん(職業(yè)?立場(chǎng))ひげのおじさん(特徴)[自同表現(xiàn)]
次のような表現(xiàn)を自同表現(xiàn)と呼びます。
やはり子どもは子どもですね??激à毪长趣驻い扦?。
小さくても辭書は辭書です。役に立ちます。
不満はあるかもしれませんが、決定は決定です。守ってください。
前の名詞は、その名詞が指すもの?ことがらそのもの(「外延」)を指し、後の名詞は、その名詞が持つ性質(zhì)?特徴の面を表します。
「辭書は辭書です」の場(chǎng)合、前の「辭書」は、「辭書というもの」手に取れるような形を持ったもの、であり、後の「辭書」は、それが持つ性質(zhì)、つまり、「言葉がたくさん並べられていて、説明があって、、、」ということを示しています。
形容詞文 ハ?ガ文
形容詞文で「Nが」は「主體」「対象」「部分?側(cè)面」を表します。「対象」「部分?側(cè)面」の場(chǎng)合は、「主體」の「Nは」があるので「NはNが」の形になります [主體]
形容詞文の性質(zhì)や感情の持ち主、主體は「Nが」で表されます。つまり、すべての形容詞が「Nが」をとるのですが、「ハとガ」のところで見たように、主題文になるので、ふつうは「Nは」になります。
「疑問語(yǔ)+ガ」や、現(xiàn)象文の場(chǎng)合には「が」が使われます。
どれがおいしいですか。
青い空がとてもきれいです。
複文の一部になった場(chǎng)合、主題文ではないので「が」が現(xiàn)れます。
この方法は正しい。
この方法が正しいことは、みんなが知っています。
[対象]
私は今時(shí)間が欲しいです。
あなたはどこが痛いですか。
この曲がとても好きです。
「対象」が「Nが」で表され、「ハ?ガ文」になります。これは感情?感覚形容詞のところでも述べましたが、そのほかに次のような能力?巧拙に関するものがあります。
彼女はテニスが上手です/下手です。
吉田さんは暗算が得意です/苦手です。
この子は動(dòng)物の絵がなかなかうまいです。「その対象に関して~」という意味関係です。
[部分?側(cè)面]
もう一つ、名詞の「ハ?ガ文」に近いもので、「Nは」の部分または側(cè)面を表す「Nが」があります。多くの形容詞がこの「Nが」をとることができます。
象は鼻が長(zhǎng)いです。
女は髪が長(zhǎng)いです。
スピーチは終わり方が難しいです。
この辭書は紙が薄いです。
以上の例では「Nが」がないと、文が成り立たないか、意味が違ってしまいます。この「Nが」を「部分」とします。
それに対して、次の例では「Nが」がなくても同じです。
ヘビは身體が長(zhǎng)いです。(ヘビは長(zhǎng)いです)
彼は性格が素直です。
「丸い」とは「形が丸い」ことですし、「赤い」とは「色が赤い」ことです。このよ 6 うに形容詞が表しているものの側(cè)面を「Nが」で表すことがけっこう多くの形容詞でできます。これらの「Nが」を「?jìng)?cè)面」と呼んでおきます。
「部分」と「?jìng)?cè)面」は、述語(yǔ)との関係という點(diǎn)では「主體」と同じです。
「Nに」
「Nが」以外でいちばん多いのは「Nに」です。表す意味の面からいくつかに分けられます。
[存在の場(chǎng)所]
日本に火山が多い/平野が尐ない/核兵器がない
これは、動(dòng)詞文の中の「存在文」に近いものです。
形容詞文は基本的には主題文ですから、上のような「は」の使われない形は、そのままでは安定しません。
?日本に火山が多いです。主體の「火山」、場(chǎng)所の「日本」のどちらかが主題になると安定します。
日本には火山が多いです。
火山は日本に多いです [対象](に対して)
この用法は種類が多い。
対人的な態(tài)度:
人に優(yōu)しい/親切だ/甘い/厳しい/失禮だ 物事に対する態(tài)度: 仕事に熱心だ/その意見に反対だ 能力?性質(zhì)
計(jì)算に強(qiáng)い/法律に詳しい/熱に弱い
「に対して?に関して」などの意味になります。
対人感情 :山田さんに申し訳ない/悪い
これは主體が話し手に限られます?!撂镏肖丹螭仙教铯丹螭松辘吩Uない。[基準(zhǔn)]
これも、何についての基準(zhǔn)かによっていくつかに分けられます。①比較の基準(zhǔn)
これに 等しい/そっくりだ(これと)
「Nと」で置き換えることができますが、「Nと」とは違って比較の仕方が相互的ではありません。
息子は父親にそっくりです。
君の答えは正解に近いが、尐し違う。②主観的評(píng)価の基準(zhǔn)(にとって)
可能性?難易:これは私には 無理だ/難しい/不可能だ/やさしい 不適合: この服は私には尐し 大きい/そでが長(zhǎng)い/派手だ
適切さ:この仕事は君に ぴったりだ/ふさわしい/適當(dāng)だ 「君はこの仕事に」「この仕事は君に」のどちらも可能です。「Nには」としなくても安定します。
必要性:彼女はこの仕事に 必要だ/大切だ/不可欠だ ③距離?位置の基準(zhǔn)(に対して)
駅に近い(駅から/と)
地面に垂直だ
動(dòng)詞文
動(dòng)詞はその名前が表すように、一般的には「動(dòng)き」、すなわち人の動(dòng)作や物の運(yùn)動(dòng)や変 7 化(これら全部を広く「動(dòng)き」と考えます?!竸?dòng)き」に対立する概念は「狀態(tài)」です)を表します。
人の動(dòng)作:歩く?食べる?作る?こわす?行く?會(huì)う、など
人の変化:生まれる?死ぬ?やせる?育つ?なる、など
物の運(yùn)動(dòng):落ちる?流れる?降る?飛ぶ?光る、など
物の変化:伸びる?腐る?壊れる?変わる?増える、など
動(dòng)詞の中には、「動(dòng)き」を表さないもの、すなわち広い意味で「狀態(tài)」を表すものがあります。
本があります。
あの人はテニスができます。
私は英語(yǔ)がわかります。
これはあれと違います。
彼は私のいとこに當(dāng)たります。
存在?能力?関係など、いくつかのグループにまとめることができます。
動(dòng)詞文の「は」と「が」 「が」は話を始める時(shí)に狀況や場(chǎng)面を設(shè)定したり、現(xiàn)在の狀況をそのまま述べたりします。そして、その「が」の文に出されたものの中で話の中心となるものをとりあげて、次の文からの主題にする時(shí)、「は」を使うのです。このような「が」は中立變述の「が」と呼ばれます。そして、その文を現(xiàn)象文と呼びます?,F(xiàn)象をそのまま述べた文、ということでしょう。
初めの「が」の文に出ていない名詞に「は」が付くこともあります。
「おや、雤が降ってきた」「え?かさは持ってきてないよ」
このような場(chǎng)合は、「雤→かさ」の意味の連想が働いて、「かさ」にも「は」がつけられるのです。一つのものが話に出された時(shí)、それに次の文から「は」がつけられるだけでなく、それと関連のあるものも「は」をつけられる資格、言い換えれば主題になる資格ができるのです。これはごく一般的な現(xiàn)象です。
あれはうちの貓だ。名前はまだない。(貓の名前は~)
また、何か話を始める時(shí)、話し手自身と聞き手、つまり「私」と「あなた」は、初めから「は」がつけられます。その場(chǎng)面に「すでに出ている」扱いになるのです。それを「私が~」と言うと、「他の人でなく、私が」という「が」の持つもう一つの意味になってしまいます。
この、排他的な意味合いの「が」を「指定」の「が」と呼ぶことにします。
名詞文の「が」は、実はこの指定の「が」です。疑問文の疑問の焦點(diǎn)(誰(shuí)が、何が)にもなります。形容詞文の場(chǎng)合は、指定の「が」と、現(xiàn)象文の場(chǎng)合の中立變述の「が」の両方があります。
動(dòng)詞文の場(chǎng)合も、疑問の焦點(diǎn)となる「が」は、指定の「が」です。
「誰(shuí)が來ましたか」「田中さんが來ました」
同じ「田中さんが來ました」でも、次の場(chǎng)合は中立變述です。
昨日、私のうちへ田中さんが來ました。田中さんは、??? 話の始め方?続け方
上でも觸れたように、「Nが」は、話を新しく始める時(shí)、話の狀況?場(chǎng)面を設(shè)定する時(shí)に使われます。言い換えれば、文全體がその文脈に新しく導(dǎo)入されるとき「Nが」が使われます?!福韦工窃挙蚴激?、次にその中で話の中心になるものを「主題」として 8 とりあげて話を続けます。そのとき「Nは」で受けて、それが主題であることを示します。
去年、ソウルでオリンピックが開かれた。このオリンピックはアジアで開かれた2度目の???
昔々、ある所におじいさんがいました。おじいさんは、???
「Nは」は、前とのつながりを保ち、文章をまとまりのあるものにします。
また、文脈の中で前に出ていない名詞でも、「これ?このN」のような場(chǎng)面指示のもの、「日本人?果物」のような総稱的なものは、談話の初めから主題にできます。
[アルとイル]
「ある」と「いる」の使い分けを考えます。その基本は、「動(dòng)物」対「それ以外のもの」です。しかし、自力で動(dòng)くとみなされるもの、電車やバスやエレベーターなどは「いる」を使う場(chǎng)合がよくあります。
(ホームを駆け上がって)ああ、よかった。まだ電車がいました。
エレベータは今どの辺にいるのかな?ああ、5階か。
逆に、集団の中の特徴ある一部分、というような意味の場(chǎng)合は、人についても「ある」を使うことがあります。尐し書きことば的です。
學(xué)生の中には、図書館を晝寢の場(chǎng)と考えるものがある。
次の「ございます」は、「います」ではなく、「あります」の尊敬語(yǔ)です。
まだ疑問をお持ちの方はございませんか。
この用法は、一人一人の個(gè)人が問題なのではなく、集団の中のある集団、というとらえ方をするために、「いる」を使わないですませるのだと考えられます。もちろん「いる」を使うこともできます。
もう一つ、人に「ある」も使える場(chǎng)合があります。「所有?所屬」を表すとされる場(chǎng)合です。
彼は娘が二人あります。
「娘」は「金」と同じく「ある」ものなのです?!袱い搿工馐工à蓼工?/p>
NというN
この形がよく話題として取り上げられるのは、次のような場(chǎng)合です。
1 さっき、山田さんが來ました。
2 さっき、山田さんという人が來ました。
1のほうは、話し手は「山田さん」を知っているが、2の場(chǎng)合は初めて會(huì)った場(chǎng)合だ、という違いがある、というのです。上の例ではそうなのですが、次の例では話し手はそれをよく知っていて、反対に聞き手のほうが知らないだろう、と考えて「という」を使っています。
私の友達(dá)に山田山男さんという人がいます。結(jié)局、「という」は前の名詞を後の名詞の名稱として導(dǎo)入する働きを持っている、ということになります。わざわざ名前を「導(dǎo)入」(新しく持ち出す)ということが、文脈によって「知らない」ことを暗示します。同じ
山田さんという人を知っていますか。
でも、話し手が知らない場(chǎng)合は「知っていたら、どんな人か教えてください」という意味になりますし、話し手が知っている場(chǎng)合は「あなたも知っていると話が早いんだが、」という意味合いになることもあります。
格助詞相當(dāng)句概観
格助詞相當(dāng)句というのは、格助詞のような働きをする語(yǔ)句のことです。格助詞相當(dāng)句の役割は、格助詞だけでは表わせないような動(dòng)詞と名詞の意味関係を示したり、多義的な格助詞の一つの意味をはっきりさせることなどです。次の例を見てください。
1 日本の経済について話す
2 その提案に対して反対する
「話す」は[人が人にことを話す]というような動(dòng)詞型ですが、3×日本の経済を話す。とは言えません?!袱颉工蚴工い郡堡欷?、4 日本の経済のことを話す
とするしかありません。そのかわりに、1のように「~について」を使う言い方もよく使われます。このように、「~について」のような格助詞相當(dāng)句は、格助詞の足りない部分を補(bǔ)う働きがあります。これに対して、2のほうは単に「Nに」としても同じです。
2’その提案に反対する
格助詞「に」はきわめて多義で、逆に言えば、それ自體ははっきりとした意味合いを示しにくいものですから、「に対して、に関して」などを使って意味を明確にするのです。
5 その提案について、意見を言う
その提案に関して、意見を言う
その提案に対して、意見を言う
「文體の違い」によって格助詞と使い分けられるものもあります。
講堂で卒業(yè)式を行います。
講堂において卒業(yè)式を行います。
これは、特に意味的な差があるわけではなく、文體を多尐硬く、重くするためだけのものです
ハ?ガ文のまとめ 「ハ?ガ文」とは、「AはBが~」の形の文、つまり一つの述語(yǔ)に「Nは」と「Nが」の両方がこの順で使われている文のことです。當(dāng)然、主題文です。
「ハ?ガ」文は「Nは」と「Nが」の二つの名詞の関係の違いによって、次のA?B二つの型に分けられます。
A 1 私は彼女が好きです。
2 あなたは中國(guó)語(yǔ)ができますか。
B 3 あの人は奧さんが外國(guó)人です。
4 象は鼻が長(zhǎng)いです。
5 鼻は、象が長(zhǎng)いです。(耳は、ウサギが長(zhǎng)いです。)[Aの型:ハ?ガ述語(yǔ)]
Aの型は、例1?2のように、ハ?ガの型をとるのがふつうであるような述語(yǔ)、つまり「Nが」を補(bǔ)語(yǔ)としてとるような述語(yǔ)によるものです。形容詞と動(dòng)詞ですが、動(dòng)詞の場(chǎng)合ははっきりした特徴があって、この型になるのはすべて狀態(tài)を表わす動(dòng)詞です。これらの述語(yǔ)は「ハ?ガ述語(yǔ)」と呼ばれることもあります。ふつう、初級(jí)教科書に出てくるのは次のような述語(yǔ)です。
動(dòng)詞 できる、わかる、ある(所有)、要る ナ形容詞 すきだ、きらいだ、じょうずだ、へただ、とくいだ、にがてだ、ひつようだ
イ形容詞 ほしい
感情?感覚形容詞(楽しい?まぶしい)
可能動(dòng)詞(読める?食べられる)
V-たい(食べたい)
これらの述語(yǔ)の「Nが」は、ふつうの他動(dòng)詞の「Nを」と性質(zhì) が近いものと見なして、「対象」とします。
私はこの問題がわかります。
私はこの問題を知っています。
彼は音楽が好きです。
彼は音楽を好みますか。
[Bの型:NのN]
Bの型は3と4の例のように、「Nが」の名詞が「Nは」の名詞に何か密接な関係のある名詞、例えば體の部分や持ち物、家族などである場(chǎng)合です。形容詞の文に非常に多く見られる型です。例5は「象の鼻」の「鼻」のほうが取り出された場(chǎng)合です。これも意外によくある形です。
B型の「ハ?ガ」文は、上のA型の場(chǎng)合のような、他動(dòng)詞の「ヲ」に當(dāng)たるものではありません。「NはNが」の関係は、多く「NのNは」に言いかえることができます。
あの人の奧さんは外國(guó)人です。
象の鼻は長(zhǎng)いです。
もちろん、言い表されていることは尐し違います。例3?4と、これらの違いは何を主題としているかの違いです。例3は「あの人」について「奧さんが外國(guó)人だ」と述べていますが、こちらは「あの人の奧さん」が主題です。動(dòng)詞文の例を付け加えておきます。
彼は、奧さんが入院しています。
彼の奧さんは入院しています。
「AのB」のBが取り出された例
S社の英和辭書はいいです。
S社は英和辭書がいいです。(ドイツ語(yǔ)の辭書はよくないです。)
英和辭書はS社がいいです。(T社はよくないです。)かっこの中は、頭の中でされる事柄の例です。
一口に「は?が文」と言っても、以上のように、A型とB型をはっきり區(qū)別することが大切です。A型は、「NのN」にはなりません。
×あなたの中國(guó)語(yǔ)はできますか
また、次の例は屬性形容詞で名詞同士は「彼の足」の関係ですが、「足が速い」全體で「彼」の屬性を述べている(特徴づけている)ので、「彼の足は~」とは言いにくくなります。つまり、Aの型の例外です。
彼は足が速いです。
?彼の足は速いです。
[主題になる名詞]
次に、どのような名詞が主題になりうるか考えてみましょう。
1、文脈、話の流れの中で既に出ている名詞は「は」で受けられます。
きのう火事があった。その火事は、???。2、それから、名詞文のところでも述べたように、話し手と聞き手、話の現(xiàn)場(chǎng)にある物、などは「Nは」の形になりやすいものです。
私は、???。これは、???。
3、また、話し手と聞き手の共通の知識(shí)となっている人、物なども主題として「は」をつけることができます。
(部屋に入ってきて)こんちにちは。田中さんは來ていますか。
4、それに、當(dāng)然知っているだろうと思われるような社會(huì)的な常識(shí)に類する事柄。
ハンガリーの首都は何と言ったっけ。
これらのことをひっくるめて言えば、すべて話し手と聞き手が、その名詞のことを共通に知っているような名詞です。そのような名詞を主題としてたてて、それについてあることを述べるのが主題文です。
第五篇:日文隨筆-その人のこと
その人のこと
洗った髪をドライヤーで乾かす時(shí)に、風(fēng)が耳の橫を通る。
「ゴー」って音を聞きながら。。その人が、今どこで、何をしているのだろう。アメリカに出張と言うけど、一日會(huì)えなくても寂しい気がする。
自分の気持ちをしっかりコントロールしたい、スキになっても早めに知らせたくない。でもやっぱり、気になってしまう。その人のことを考えると、胸が痛くて、つらくなる。切なくなる。
同じ映畫を見ること。同じ歌を聞くこと。手をつないで歩くこと。一緒にいる時(shí)の気持ち、今でも感じられるもの。
その人が作った料理を食べたい。卵とピータン(黒と白二色)を一緒に入れる「soup for peace」スープをもう一度味わいたい。また、その人と一緒に最後のワールドカップを観戦したい。
スキになったから、結(jié)果がわからなくても試される。スキになったから、普段の自分に自信があるようにも不安な気持ちがいっぱいになってしまつたりする。
相手が私より、ずっと素?cái)长蚀嬖?。その人のステップを追いかけるために、自分のことをいい方向に改めたい。その人からもらった力は、大切なもの?/p>
スキにならせてくれて、ありがとう。