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      新大學(xué)日語(yǔ)第八課

      時(shí)間:2019-05-15 03:12:39下載本文作者:會(huì)員上傳
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      第一篇:新大學(xué)日語(yǔ)第八課

      第8課

      晩秋の中國(guó)で

      本文

      私が自分の生まれた中國(guó)を妻に見(jiàn)せたいと最初に思い立ったのは、いつのことだったろう。解放後の中國(guó)を初めて訪(fǎng)ねたのは1984年だったから、その時(shí)からだとすると、あれからもう8年の歳月が流れたことになる。92年11月中旬、小雨に煙る滑走路に黃色いプラタナスの葉が舞う北京空港に著いたときの感慨は格別であった。振り向けばそこに、初めて同行した妻が中國(guó)の大地を踏んで立っていた。

      その國(guó)の人の心を知るには、その國(guó)の言葉を使い、その國(guó)の人たちと同じものを食べるのが早い。私たちは、北京と西安を訪(fǎng)ねたこの旅ではホテルや高級(jí)レストランでの食事をできるかぎり少なくして、屋臺(tái)や小さな食堂へ出かけた。

      両者を比べると、値段はサイン一つで済むホテルの方が上等だが、味は、ウエストを絞った派手なチーパオ(チェーなドレス)の女性はいなくとも、粗末な腰掛けで食べた屋臺(tái)の方が例外無(wú)しに上等だった。私たちは両替を面倒がらずに度々外出し、ホテルの食事をわざと無(wú)視した。

      シルクロードの出発點(diǎn)の西安では、回族の屋臺(tái)にも首を突っ込んだ。丼に硬いパンをちぎって入れ、とろみをつけたごった煮をかけた朝食だ。心持ち塩辛かったものの、ほどよく効いたこしょうの味が、はるかなる西域の空へ誘うが如く臓腑に染みた。

      日本では「名物にうまいもの無(wú)し」と言う。著名な宮廷料理から屋臺(tái)の食事までを味わった経験に基づく感想として、私は生意気のようだが、「屋臺(tái)には高級(jí)レストラン以上の味がある」という結(jié)論を得た。

      その昔、唐の詩(shī)人は「西のかた陽(yáng)関を出づれば故人無(wú)からん」と歌って、別れの酒を更に一杯友に勧めた。妻を案內(nèi)して通訳のいない旅に出発した時(shí)の私の気持ちも、安西へ向かう元二の心細(xì)さに似ていたかもしれない。だが、私たちは西安で初対面の友人の笑顔に溫かく迎えられ、伝統(tǒng)ある餃子館で乾杯のコップを空けた。そしてこの出會(huì)いは、中國(guó)における日本語(yǔ)教育に取り組むまでに発展した。

      一方、北京では4年前に取材した老人を漢方薬店に訪(fǎng)ねたが、そこに座っていたのは見(jiàn)知らぬ人だった。私が再び會(huì)いたいと待ち望んでいた人は、退職してすでに遠(yuǎn)い地へ行ってしまったという。私は、「年年歳歳花相似、歳歳年年人不同」と記した紙切れを応対してくれた少女に渡し、後ろ髪を引かれる思いで立ち去るほかなかった。

      會(huì)えた人、會(huì)えなかった人へのさまざまな思いを旅情に彩られた悠久の大地に殘して、私たちは帰國(guó)の途に就いた。もしも旅行社が主催した団體旅行だったら、名所を見(jiàn)るだけで、こんな意義深い旅はできなかっただろう。それもこれも、自由な個(gè)人旅行のおかげであった。

      子供の頃、この國(guó)の人たちと日本人のゆがんだ関係を目のあたりにした私にとって、中國(guó)訪(fǎng)問(wèn)は懐舊の念を満たすだけの旅ではなく、不幸な歴史を未來(lái)への戒めに結(jié)びつける機(jī)會(huì)でなくてはならない。妻が、この國(guó)の人々と同じものを食べた経験を通してすっかり中國(guó)びいきになってしまったのは、私の望外の収穫であった。中國(guó)を正しく理解する日本人が一人増えたのである。チャレンジ

      1國(guó)を擔(dān)う若者

      名古屋発西安行きの飛行機(jī)は夜、西安國(guó)際空港に著く。(A)()びっくりしたのは高速道路が(a)()され、ほんの30分程度で市內(nèi)に入ったことだ。以前は小一時(shí)間かかっていた。また市內(nèi)に入るととても明るい。以前は薄暗くて何があるかわからない狀態(tài)であった。

      朝起きてホテルの階上から見(jiàn)ると、たくさんのビルが林立している。それも20階建て、30階建てのビルである。こんなに大きく発展するとは思わなかった。ここ數(shù)年の間に西安は大きく変貌している。

      以前は夜7時(shí)過(guò)ぎになると辺りは暗くなった東大街も今はかなり遅くまでネオンが輝き、明るい。人波もある。若者が闊歩している。若者の服裝も垢抜けしている。実に軽快である。(1)何かすごい力がうごめいているように思える。

      建造物の大きな変化と若者の希望にあふれた行き來(lái)がこの西安を象徴している。(B)()中國(guó)は21世紀(jì)を擔(dān)う大國(guó)に発展するだろう。いま、中國(guó)は國(guó)を挙げて経済発展に努力している。交通網(wǎng)は鉄道、高速道路、(C)()航空路線(xiàn)の(b)()、発電所の建設(shè)と電力の(c)()、21世紀(jì)を擔(dān)う人材育成を期する教育改革など、音を立てて大きく変貌を遂げようとしている。実に力強(qiáng)さを感じる。

      現(xiàn)代の若者が希望を持って學(xué)習(xí)、勉學(xué)に勵(lì)み、多くの國(guó)々へ進(jìn)出している。多くの國(guó)々でその國(guó)の若者と交わりを豊かにしている。この豊かな人間関係が、21世紀(jì)の中國(guó)を大きく突き動(dòng)かしていくだろう。

      若者が未來(lái)を象徴しているように、中國(guó)もまだ若く、21世紀(jì)の輝ける世界の象徴なのである。

      チャレンジ

      2「楓橋夜泊」の寒山寺

      蘇州で観光地と言えば、やはり寒山寺が一番有名だ。蘇州市の西5キロの楓橋鎮(zhèn)にあり、江南運(yùn)河がそのそばを流れる。寒山寺は南朝.梁の天監(jiān)年間(502~519)に建立され、すでに1500年に近い歴史がある。境內(nèi)はさほど広くなく、寺の建築様式も素樸で飾り気がない。

      唐.宋の時(shí)代、蘇州一帯の寺には、一夜を前半と後半に分ける夜半に「定夜鐘」と呼ばれる鐘を鳴らすしきたりがあった。寒山寺の中にも青銅の鐘があり、あたりに朗々たる響きを響かせていた。千古の絶唱と言われる張継の詩(shī)は、これから生まれた。

      張継は、博學(xué)多識(shí)の人で、その詩(shī)には自然で美しいものが多く、とりわけ七言絶句に秀でていた。ある日船に乗って蘇州を通り、寒山寺近くの楓橋のたもとで船泊まりした。時(shí)あたかも晩秋、そこはかとない孤愁の思いに駆られてつづったのが、あの「楓橋夜泊」だった。

      月落

      烏啼きて

      霜天に満つ

      江風(fēng)の漁火

      愁眠に対す

      姑蘇城外

      寒山寺

      夜半の鐘聲

      客船に到る

      秋の夜の寒山寺の情景を印象的に描きながら、ひとり悩む旅人の寂しさを歌ったこの詩(shī)は、古くから今日に至るまで、中國(guó)から日本に、さらに東南アジアや歐米にまで伝わり、寒山寺の名を內(nèi)外に知らせた。

      寒山寺には雄大なものとか豪華なものはなく、蘇州の山河や人と同様、淡白で優(yōu)雅な雰囲気の中に清新さを漂わせている。張継の詩(shī)、美しい伝説、神秘の銅鐘、すぐれた碑刻などが、寒山寺の名をいやが上にも高めている。

      第二篇:日語(yǔ)第八課教案

      第八課

      一:?jiǎn)卧~

      な形容詞、い形容詞(重難點(diǎn))(參考詞匯加進(jìn)去)復(fù)習(xí)疑問(wèn)詞,再加三個(gè):どう、どんな、どれ 細(xì)節(jié)在講解單詞時(shí)要提到

      二:語(yǔ)法 A1 形容詞

      用法:1:做謂語(yǔ)(謂語(yǔ)是對(duì)主語(yǔ)動(dòng)作或狀態(tài)的陳述或說(shuō)明,指出“做什么”“是什么”或是“怎么樣”。)2:修飾名詞

      活用方式:な形容詞、い形容詞 復(fù)習(xí)。。は。。です句型(是): 肯定句:私は學(xué)生です。

      否定句:私は學(xué)生では?じゃありません。疑問(wèn)句:あなたは學(xué)生ですか。今天要用到的句型也是。。は。。です。但后面加的是形容詞,不是名詞了。肯定句:な形容詞:あそこは賑やかです。(不加な)

      い形容詞:この本は面白いです。

      否定句:な形容詞:あそこは賑やかじゃありません。(不加な,加じゃありません)

      い形容詞:この本は面白くない。(去い,加上くない)疑問(wèn)句:な形容詞:この服はきれいですか。

      はい、きれいです。いいえ、きれいじゃありません。

      い形容詞:杭州は寒いですか。

      はい、寒いです。

      いいえ、寒くないです。

      (形容詞句變疑問(wèn)句的形式跟名詞句:あなたは學(xué)生ですか。動(dòng)詞句:宿題は終わりましたか。一樣)回答時(shí)重復(fù)形容詞。讓同學(xué)們練習(xí)い形容詞變な形容詞

      上面我們講的是形容詞的第一種用法:做謂語(yǔ)。下面我們要講的是形容詞的第二種用法:修飾名詞

      修飾名詞時(shí)な形容詞要加な,い形容詞直接加。(用課本單詞給學(xué)生舉例子)

      詢(xún)問(wèn)某人怎么樣:どう 戴先生はどうですか。(做練習(xí)之前先提一下)詢(xún)問(wèn)某地怎么樣:どんな 杭州はどんな地方ですか。練習(xí):A-1,A-2,A-3 B-1,B-2,B-3,B-5 A2 名詞はどうですか。

      詢(xún)問(wèn)對(duì)方經(jīng)歷過(guò)的事情,到過(guò)的地方,見(jiàn)過(guò)的人有什么印象或者感想。日本の生活はどうですか。杭州はどうですか。戴先生はどうですか。お仕事はどうですか。大學(xué)の寮はどうですか。

      名詞1はどんな名詞2ですか。杭州はどんな地方ですか。戴先生はどんな人ですか。

      A3 句子1が、句子2 引入新的助詞,が,但是

      この服はきれいですが、高いです。若表示還,用そして

      練習(xí):提一下練習(xí)A里面的どう、どんな B-4,B-6 A4 とても?あまり

      程度副詞,學(xué)過(guò)的頻率副詞:いつも、時(shí)々 修飾形容詞時(shí)放在形容詞前面

      とても,很,肯定句。あまり,不太,否定句。あんまり(表強(qiáng)調(diào))

      とても寒い とても有名な大學(xué) あまり寒くない あまり有名な大學(xué)じゃありません 練習(xí):B-7

      A5 どれ:具體的三件以上的物品中選出特定的 どちら:兩件之中選一件

      李さんのカバンはどれですか。

      どちらにしますか。ホットコーヒーですか。アイスコーヒーですか。練習(xí):B-8

      練習(xí)c,會(huì)話(huà)

      第三篇:新大學(xué)日語(yǔ)二。1-5

      リーデ?ング 1

      電子メデ??は道具である

      読みながら

      1.筆者が「電子メデ??は道具である」と言っている意味を深く考えてみましょう。

      2.「道具」「能率」「必要」という三つの言葉の意味をよく吟味して正しく捉えましよう。

      樺島 忠夫

      ?ンターネットだとか、Eメールだとかの言葉を、新聞や雑誌で毎日のように目にする。テレビを見(jiàn)ていても、番組の終わりあたりで、「WWWなんとか」を見(jiàn)ろ、などというメッセージが出る。いわゆる電子メデ??の利用である。これに対して、人は様々な反応を見(jiàn)せる。

      ある人は、自分はそんなものには関係がないと割り切って見(jiàn)向きもしない。ある人は、それを使っていない自分を時(shí)代遅れのように思って、なんとか使ってみたいが、自分には使えそうにないとあきらめ気分でいる。

      ある人は、パソコンを買(mǎi)い込み、これらを使う練習(xí)をするが、利用するまでにはいたらずに、せっかく購(gòu)入した機(jī)械は眠ったままになる。

      もちろん、これらとは違って、自分の必要に応じて?ンターネットやEメールを駆使するようになる人もいる。

      電子メデ??に近づくことをしないでいるか、それを使いこなすようになるかを決める要素には様々なものがあるだろうが、私は、その一番大きな要素は、「利用する必要が発見(jiàn)できるかどうか」だろうと思う。電子メデ??は、はさみやペンチと同じく道具だからである。

      私は電子メデ??を、必要に応じて道具として便利に利用してきた。これによって得た利益は絶大である。しかし、私の周?chē)欷蛞?jiàn)渡すと、この「必要」を発見(jiàn)しそこねている人が多いようである。

      ?ンターネット、Eメールなどの電子メデ??について、自分はそんなものには関係がないと割り切って見(jiàn)向きもしない人、それを使っていない自分を時(shí)代遅れのように思って、何とか使ってみたいが、自分には使えそうにないとあきらめ気分でい

      る人、パソコンを買(mǎi)い込み、これらを使う練習(xí)をしても利用するまでにはいたらずに、せっかくの機(jī)械を眠ったままにしている人は。

      ◎ その人にとっては仕事の能率化が必要であるのに、電子メデ??という道具を 役立

      てる必要や方法を発見(jiàn)することができないでいる人?!?能率化することが必要な仕事をまったく持っていない人。のどちらかであるように思う。

      電子メデ??という道具を役立てる必要や方法を発見(jiàn)することができないでいる人には、電子メデ??はこういう必要にこたえてくれる便利なものだということを認(rèn)識(shí)することが必要であろう。しかし、電子メデ??の使用に習(xí)熟した人に、「どんな必要に対して、どういうふうに役立つのか」ということを親切に解説してもらわなければ、自分で発見(jiàn)的に認(rèn)識(shí)することは困難になっている。

      私自身、Eメールは大いに利用しているが、?ンターネットを役立てる効用については、ほとんど認(rèn)識(shí)していない。毎年、カナダで暮らす日々を持っているが、そのときに日本の新聞を読む程度である。むしろ、?ンターネットであちこち情報(bào)を探しまわり、信頼性が確かでない情報(bào)を興味本位で得るのは時(shí)間の無(wú)駄だという感じを持っている。

      ?ンターネット

      村井 純

      ?ンターネットと結(jié)ばれているのは、基本的にはコンピュータだと考えられていますが?!弗偿螗豫衰俊工趣い盲皮猡饯涡螒B(tài)はどんどん変わってきました。初期の、非常に使いにくい専門(mén)家用のコンピュータから、現(xiàn)代の、きわめて使いやすい、子供がゲームをするようなコンピュータヘと発展してきたのです。?ンターネットでは、(1)こういったさまざまなコンピュータが全部つながることを考えていて、それが実現(xiàn)すれば人間活動(dòng)のいろいろな分野にわたって、さまざまなことが起こってくるでしょう。

      もう一つ大事なことは、?ンターネットは、國(guó)という概念とはまったく獨(dú)立して、國(guó)境を越えて発展してきたという経緯です。コンピュータによって自由に情報(bào)、データを交換できるという基盤(pán)ができあがると、世界中の一人ひとりの人間が、どういうコミュニケーションをもって、どういう活動(dòng)をして、どんな世界をバックにした生活をしているのかということを考えられるようになります。(2)この點(diǎn)からは、今後新しい國(guó)際社會(huì)をどういうふうに形成していくかということを考えるための基盤(pán)としても、期待されていると言うことができるでしょう。

      (A)()、?ンターネットによるコミュニケーションは(3)「地球」という空間の概念を大きく変えているともいえます。もちろん、これまでも、航空機(jī)のような交通機(jī)関や國(guó)際電話(huà)などの通信手段が、地球の大きさについての人間の感覚をいちじるしく変えてきましたが、?ンターネットは、いっそう地球を「狹く」感じさせるでしょう。

      ?フターネットで暮らしはどう変わるか

      三上 俊治

      近い將來(lái)、パソコンが家庭に普及し、?ンターネットヘの接続が簡(jiǎn)単に実現(xiàn)するようになれば、?ンターネットは私たちの暮らしを大きく変える可能性を秘めている。具體的には、次のような変化が生じるものと予想される。

      (1)電子メールやWWWの利用が日?;工毪长趣摔瑜盲啤ⅴ偿撺濂衰暴`ションの様式が大きく変化するだろう。電子メールを使った非同期的コミュニケーション、ホームページの普及による情報(bào)発信が広がるだろう。

      (2)これによって、人間関係のあり方にも大きな変化が生じるだろう。まったく知らない同士での、?ンターネットを媒介とする新たな人間関係が形成される可能性がある。

      (3)日常的な情報(bào)源、娯楽源として、テレビ、新聞、雑誌などの既存メデ??と並んで、これらを相互補(bǔ)完するメデ??として、?ンターネットが欠かせない情報(bào)源、娯楽源となる可能性が大きい?!?ンターネットテレビ」の普及は、こうしたメデ??ミックスを促進(jìn)するだろう。

      (4)電子決済、セキュリテ?対策が進(jìn)めば、?ンターネットによるショッピング、予約、オンラ?ンバンキングが普及し、消費(fèi)生活に大きな変化が起きるだろう。(6)?ンターネットは、教育?文化的な面でも重要な役割を果たすようになるだろう。大

      學(xué)などでの教育用のツールとして不可欠の手段になるだけでなく、社會(huì)人にも、生涯學(xué)習(xí)の手段として広く利用されるようになるだろう。

      ただし、以上の変化が生じるためには、?ンターネットが現(xiàn)在抱えている、さまざまな問(wèn)題を解決し、21世紀(jì)の基幹的メデ??にふさわしい情報(bào)環(huán)境を整備することが必要である。具體的には、青尐年にとって有害なコンテンツを含むホームページに対する何らかの規(guī)制、?ンターネット時(shí)代にも適合するような著作権法等の改正、「ネチケット」など?ンターネット利用をめぐる正しい規(guī)範(fàn)や価値観の醸成、などをあげることができる。分相忚と分不相忚

      読みながら

      1.「分相忚」と「分不相忚」の正しい意味をしっかり捉えましょう。2.自分の生活を振り返って、「分相忚」か「分不相忚」かを考えてみましょう。

      川本 三郎

      銀座にKという落ち著いたいいバーがある。カウンターがあってバーテンがいて酒がある。それだけのさっぱりしたバーである。

      ここのバーテンのNさんはおもしろい人で、客が値段の高い酒を飲むのをあまり好まない。高いスコッチを注文したりすると「安くてもっといいものがあります」と別の酒を勧めたりする。特に若い男が高い酒を飲むのが好きではないらしい?!缚亭蝿偈证摔丹护皮堡肖いい袱悚胜ぁ工趣いΔ?、彼は頑固に「分相忚というものがあるでしょう」といって譲らない。

      「分相忚」という言葉も、そう言えば、あまり聞かなくなった。背伸びしたり見(jiàn)栄を張ったり派手に振る舞ったり「分不相忚」のことのほうが目立つ世の中になってしまった。

      日本はいまや金持ち國(guó)なのだから「分相忚」に派手に贅沢になるのもいいことなのだといわれると返す言葉もないが、20代の若い男性が一著何十萬(wàn)円もする?ルマーニのスーツを著たりすることが「分相忚」とはどうしても思えない。

      余裕とか贅沢には、そこそこの年齢の年輪がいるものだ。若い男が一杯何千円もするスコッチを飲んでいる姿は決して格好いいものではない。私はそれより學(xué)生が大衆(zhòng)酒場(chǎng)で安酒を飲んですっかり酔っ払ってしまい道路で倒れてしまっている姿のほうが、まだしも「分相忚」でかわいいと思う。若いうちはあれでいいのである。逆にいい年をしてあれをやると、みじめになる。

      自分の分をわきまえ、それに忚じた生活を楽しむ?!阜窒鄰琛工仙瞍位兢坤恧?。しかし「分相忚」だけでいいのかというと、これも問(wèn)題がある。それではいつまでたっても進(jìn)歩がないことになる。現(xiàn)狀維持で生活が固定してしまう。「分相忚」の中にも時(shí)には思い切った「分不相忚」がないと面白くない。昔の人が正月に

      思い切りご馳走を食べたり祭りの日に飲んで騒いだりしたのは、そういうバランスをとるための生活の知恵だったのだろう。

      知人に、毎年夏休みになるとポルトガルの海辺のホテルに一人で遊びに行く女性がいる。獨(dú)身でふだんは一生懸命はたらいている?!阜窒鄰琛工四氦椁筏皮い搿¥筏芬荒辘艘欢趣坤北伺胜辘巍阜植幌鄰琛工颏工?。贅沢をする。それがポルトガル行きである。彼女はかばんの中に読みたいと思っていてなかなか読めなかった本を詰め込む。そして海辺のホテルで一人のんびりと本を読む。それが彼女にとって最高の「分不相忚」なのだという。

      こういう「分不相忚」なら私もしてみたい。フランスでも?メリカでもなくボルトガルというのもいい。この點(diǎn)では彼女は「分相忚」な選択をしている。ポルトガルの物価は安いのだから?!阜植幌鄰琛工钨m沢のうちにも彼女なりの「分相忚」の美學(xué)が働いているのである。

      結(jié)局、「分相忚」にせよ、「分不相忚」にせよ、大事なのは、自分の美學(xué)をきちんと持っていることだろう。人気マンガ「美味しんぼ」の中にいい言葉が出てくる。あるトンカツ屋の主人が若者にいう言葉である。「いいかい學(xué)生さん、トンカツをな、トンカツをいつでも食えるくらいになりなよ。それが、人間えら過(guò)ぎもしない貧乏過(guò)ぎもしない、ちょうどいいくらいってとこなんだ」

      欲張りな人間としては他に天ぷらとウナギもつけ加えたいのだが。

      「若者文化」の落とし穴

      たとえば価値観が一変した、というのなら、むかしのそれはどうだったかが、まず明らかにされねばならない。なぜそんな価値が生まれたか、その経緯もつきとめられねばなるまい。いまはむかしとは違う、という主張がなされるのは、そのあとでなくてはならない。

      (A)()、ともするとこの前提が、いとも簡(jiǎn)単に無(wú)視されてしまう。(a)()のことなどははじめから知ろうともされず、古いものはまるでスクラップのように十把一絡(luò)げにして否定されがちだ。

      人間はいままで、先人の殘した文蕓、思想、生活倫理などを踏まえ、それをたたき臺(tái)として、より(b)()を生み出してきた。前代を超克するという意味では、11

      いついかなる時(shí)代にも世代の斷絶はあった、といえる。だが、その斷絶とはあくまで、(C)()をふまえた上での異議申し立てであった。

      (B)()、ここへきて様子はいささか違ってきた?,F(xiàn)代の(X)()とは、過(guò)去の文化を継承することを拒否する、という意味までをふくんでいるようだ。(d)()を表現(xiàn)することに全精力が注がれ、過(guò)去何千年の歴史の中で、人間がなにを考え、どう生きてきたかをふり返る、といった作業(yè)はあっさりと敬遠(yuǎn)される。驚くほどに古典を知らぬ若者が尐なくないのも、この風(fēng)潮のあらわれと思えてならない。わずか2、3世紀(jì)前の文蕓にさえ、敵意にも似た?レルギーを持つものがまれではない。なにが書(shū)かれているのか、はじめからのぞいてみようともしない。週刊マンガ誌をかかえることより、ポケットに(1)文庫(kù)本を入れることに強(qiáng)い抵抗感があるようだ。

      (C)()、過(guò)去の人類(lèi)が積み重ねてきた知恵と絶縁し、ゼロから出発しようという世代が出現(xiàn)しつつある、ということにもなろう。そこで、ただひとつ確実に信じられるのは、同じ世代だけに通じるフ?ーリングなのであろうか。だが、そのなかからいったい、なにが生み出されるだろうか。世代間どころか、同じ世代相互のあいだにも、斷絶と孤獨(dú)をもたらすおそれはないだろうか。それは、「若者文化」はついに虛像でしかない、という問(wèn)題なのである。

      「自已実現(xiàn)」を長(zhǎng)い目で者えよう

      石川 陽(yáng)治

      景気の後退局面でも、人手不足は続いている。これは、働く者、とくに若い人たちの側(cè)から見(jiàn)れば、従來(lái)よりも労働條件が有利になることを意味している。労働時(shí)間は短くなる方向にあり、新入社員向け獨(dú)身寮の建設(shè)競(jìng)爭(zhēng)も盛んになった。入社後の配屬などでは、できるだけ本人の希望を尊重し、人事制度の面でも、「社內(nèi)公募制」を?qū)毪工毪胜?、新しい仕事にチャレンジする機(jī)會(huì)を用意する企業(yè)が増 13

      えた。これらの試みに共通するのは、若い優(yōu)秀な人材に定著してもらいたい、という企業(yè)側(cè)の願(yuàn)いである。

      しかしこ新入杜員の定著率はこのところ悪くなってきた。これは「転職は當(dāng)たり前」の風(fēng)潮が広まっていることにもよるが、若者が自已実現(xiàn)を急ぎ過(guò)ぎていることにも一因があるのではないか。

      景気の後退で、中途採(cǎi)用も「量より質(zhì)」の傾向を強(qiáng)め、転職の環(huán)境にも変化の兆しが兄える。どんな職業(yè)に就いても、思いどおりの仕事ができなかったり、厳しい局面に立たされたりする時(shí)はあるものだ。安易に転職する前に、ひとまず踏みとどまり、自已実現(xiàn)を長(zhǎng)い目で考えることも必要だろう。困難を乗り越えるときに本當(dāng)の仕事の喜びを感じることは、今も昔も変わらないはずだ。ことわざの誤解

      読みながら

      1.若者が「ことわざ」の持つ意味を誤解する原因を考えてみましょう。2.「ことわざ」が持つ誤解の危険性を理解しましょう。

      柴田しばた

      武ぶ

      (1)情けは人のためならず

      このことわざの正しい意味は次の abc のどれでしょうか。

      a.情けをかけるとその人のためにならない。情けをかけることに注意。b.人に情けをかけると、結(jié)局は自分にいいことがある。人には情けをかけるものだ。

      c.人間をかわいがっても、なんにもならない。犬や貓をかわいがったほうがましだ。

      d.どういう意味かわからない。e.聞いたことがない。

      このうちbを答えれば熟年者、aを答えれば20歳?1O歳代のヤングと推測(cè)してほぼまちがいないほど、はっきり二つのグループに分かれている。機(jī)會(huì)があって、靜岡市のS女子高の1年?2年?3年と卒業(yè)生(25歳まで)、計(jì)115名に上のような選択肢を持つ問(wèn)いを與えて、その答えを集めてみると、このことがよくうかがえる。このように、25歳以下の若い女性たちは圧倒的にaである。aは「情けをかけるな」、bは「情けをかけよ」の意味で、ちょうど正反対のことを言っている。いうまでもなくbが昔からのいわゆる「正しい」意味、それが最近誤解されて、aの意味にとられるようになった。ことわざ(1)は誤解例としてよく話(huà)題にのぼる代表的なものである。もともとこれは、1969年1月3日のNHKテレビの番組で若い出演者の誤解が明るみに出たことに始まる(見(jiàn)坊豪紀(jì)『ことば さまざまな出會(huì)い』)、三省堂、1983、205頁(yè))。それからすでに15年たつが、その間に、もう誤解というよ

      り年齢差と見(jiàn)なくてはならないほどになった?!喝√脟?guó)語(yǔ)辭典』第3版(1982)の「情け」の項(xiàng)目にこのことわざが出ていて、第一の意味がbで、そして、「誤って」という斷り書(shū)きをつけて、aを第二の意味としてあげているほどである。今後「誤って」の注記がはずされるのに10年とはかからないであろう。(2)かわいい子には旅をさせよ

      このことわざができたころ、旅は「憂(yōu)いもの辛いもの」だった?,F(xiàn)代は、子 供のほうから「ママ!かわい子には旅をさせよ、というじゃない」と旅費(fèi)をせびる時(shí)代である。誤解は「旅」の內(nèi)容??メージが変わったことによる。

      (3)馬子にも衣裝

      「馬子」という職業(yè)も身分もなくなったので、これを「孫にも衣裝」と誤解す るものが多くなった。(4)住めば都

      「どうせ住むなら都會(huì)のほうがいい」が現(xiàn)代の解釈である。

      言語(yǔ)は時(shí)代が移るに従って変わるものだから、言語(yǔ)作品であることわざも時(shí)代によって変わるのは避けられない。ただ、一つの単語(yǔ)の変化であれば、意味がひどく変わるにしても、初めは少しずれが生じる程度のものである。それが、ことわざは初めからその意味が正反対のものに移ることが多い。これは、ことわざが文脈なしのごく短い言葉でできているからである。ことわざは初めからあいまい性を含んでいて、こういう誤解の危険に絶えずさらされているようなものである。

      またことわざ(1)(4)に起こった誤解は、言棄の表現(xiàn)を表層でしか解釈しないことから來(lái)ている。ことわざ(2)(3)は、ことわざの中の一語(yǔ)が古くなったために起こった意味の変化である。これらの解釈が現(xiàn)代の風(fēng)潮をよく表しているところから、文化論としても問(wèn)題とされるであろう。しかし、その前に注意すべきことは、ことわざが目指す人生論的指針というものは、もともと裏と表とがあって、どちらも真理であるということである。

      ら抜き言葉

      「見(jiàn)られる」を「見(jiàn)れる」という?!甘长伽椁欷胜ぁ工稀甘长伽欷胜ぁ埂M袱瑜Δ恕赋訾欷搿工洹钙黏欷胜ぁ?。いわゆる「ら抜き言葉」というやつだ。総理府の「國(guó)語(yǔ)に関する世論調(diào)査」によると、この言い方が「気にならない」人が57.9%眺もいる?!笟荬摔胜搿谷摔稀?0.1%と務(wù)勢(shì)である?!笟荬摔胜椁胜ぁ谷摔?0代で74.6%。4人に3人という高率だ。地域的にも偏りがある。関東地方では「気にならない」は半數(shù)以下。北海道や北陸地方では70%を超える。

      筆者などは、気になるどころか、こういう表現(xiàn)に接すると(I)気分が悪くてぞくぞくする。(A)()、だからといって目くじらを立てても仕方がない。言葉はこれまでも、これからも時(shí)とともに変わる。好みに関しては、常に、人は人、自分は自分である。

      (B)()、どうしてこういう言い方が多くなったか?!袱椤工蚴·???焖?、短縮が時(shí)代の気分とでもいうのだろうか。本來(lái)「れる」「られる」には、(a)()などの意味がある。

      例えば「人に見(jiàn)られる」は受け身を表し、「彼女は信じられる」は可能を、「気配が感じられる」は自然にそうなるという意味の自発を、そして「先生が帰って來(lái)られる」は尊敬を表す、という具合だ。

      ところが、それらの様々な意味を持つ「見(jiàn)られる」と違って「見(jiàn)れる」は(b)()の意味を示す時(shí)だけにつかれる、「乗れる」や「帰れる」と同様に、「くれ」は(c)()と決めればいっそうすっきりする、と考える人もいる。積極的にそう考えた上で人々が「ら」を抜いているのでもあるまい。だが、単純に(d)()の意だけを伝えるという結(jié)果になれば、それはそれで目的にかなうのかも知れない。(C)()、何となく自然発生的、お天気まかせ的な自発の要素をも含む「られる」の重層的な含意は、失われてしまいそうに思える。

      力タカナの魅力

      多田ただ

      道太郎みちたろう

      やがてこの漢字というものは消化されて、日本民族の流れの中にぐるだろうと思っていたけれども、じつは千年たってもまだ消化しきれないわけです。もう一つ新しい外來(lái)文化の流れがきますと、漢字というのが、ものをいうわけです。造語(yǔ)能カがあるのです。悲しいことに大和やまと 言葉は造語(yǔ)能力にひじょうに乏しいわけです。たとえば「労働者の集會(huì)」といえばパッと一言でわかるのが、大和言葉で言いますと「はたらきのつどい」とかいうことになって、なんか祝詞のりと みたいな感じになってしまう。なんか問(wèn)延といの びしてしまう。そこが困るのです。

      私は?デオロギーとしては大和言葉派なので、物を買(mǎi)いに行ってもなるべく大和言葉を使うようにしています。たとえば電器屋さんに行って「足あぶりください」。皆さんおわかりにならないでしょう。その店員の人もポカーンとしています。それで私は、機(jī)に座って勉強(qiáng)するときに足の下に置く、足を溫めるとこそくおんきろの器械であると、こう言ったわけです。そうしたら、ああ、足溫器そくおんき ですか。これが漢字なのです。それがもっとモダンになりますと、なんとかヒーターとかカタカナになって、そうなるともっといいようです。

      最近ダ?エーの社長(zhǎng)が、わが社は斷固だんこ カタカナ戦術(shù)でやる、すべてカタカナでやると言っています。カタカナでやると、なんとなくモダンに見(jiàn)えるわけです。

      大阪の繊維問(wèn)屋せんいどんや はみんな個(gè)人商店でした。多田利ただとし 商やごう店とか。これは私の親戚の家の屋號(hào)やごう ですが。そうすると大學(xué)を出た人が來(lái)ないのです。ところが、ブービーとかハッピーとかいうカタカナの名前を付けるとウワーツと來(lái)る。カタカナの魅力というのはすごいものです。

      コンビニ考

      読みながら

      1.スーパーと比べてコンビニにはどんな特徴があるか考えましょう。2.日本の現(xiàn)代の若者と自分たちを比較して相違點(diǎn)を明らかにしましょう。

      速水 健次朗

      都內(nèi)では5分歩けばコンビニが見(jiàn)つかると言っても過(guò)言ではないほどコンビニが至るところに存在する。店の名前こそ違うが売っているものは大體同じようなものだ。テレビのコマーシャルを見(jiàn)ると弁當(dāng)などで他の店に差をつけようとしているらしいが、基本的には食品、飲み物、身の回りの雑貨、雑誌に新聞、フ?ックスとコピーの機(jī)械というところか。

      去年までは家族で日本で夏を過(guò)ごしたので、買(mǎi)物はスーパーでして、コンビニを利用することはなかった。今年は単身赴任なので、スーパーとコンビニの両方を利用している。今までは、スーパーに行けば何でもずっと安く手に入るのに、どうして大勢(shì)の人があんなに頻繁にコンビニを利用するのだろう、と不思議に思っていた。実際にコンビニで買(mǎi)物をして気がついたのは、獨(dú)身者向きに考えられた商品が多いことと、とにかく「コンビニエンス」の名の通り便利だ、ということだった。例えばサラダを例に取ってみると、まず量が尐ないのが多い。一人で一回に食べられるくらいの量になっている。また、酢や醤油などの調(diào)味料にしても量が尐なめのサ?ズになっている。弁當(dāng)にしても普通の一人前のがほとんどだが、食欲旺盛な若者用に大盛りのもある。

      また、コンビニには日常生活で必要なものがほとんど揃っているので、とにかく便利だ。洗濯がおっくうで、しないでいて、明日は講演をする日だったと思いだして、洗濯した靴下、下著のシャツがないことに気がついて急いで飛んで行っても、ちゃんとコンビニに置いてある。突然雨が降りだし濡れると困るものを持っていてコンビニに避難、そこで傘を買(mǎi)って用をすませることができる。もちろん値段の點(diǎn)から言えばスーパーの方が格安だが、緊急避難的狀況の時(shí)にコンビニはまことに便利だ。

      コンビニで一つ気になったのは、新聞コーナーにある新聞がほとんどスポーツ新聞か競(jìng)馬?競(jìng)輪の新聞で、読売?朝日?毎日のいわゆる三大紙や日本経済新聞などが置いてないことだ。コンビニの常連は若い獨(dú)身者だと思われるが、彼等は硬い新

      聞は読まないのだろうか。いや、そうじゃあるまい。多分家で購(gòu)読しているからコンビニで買(mǎi)う必要がないのだろう。だから、需要がなく置いてないのだろう。では、雑誌コーナーでヘ?ヌード掲載の週刊誌や漫畫(huà)は豊富だが、週刊朝日や?エラなど真面目な雑誌がないのはどうしてだろうか。これも新聞同様、週刊誌を定期購(gòu)読している人が多いからだろうか。私にはそうは思えない。ということは、最近は雑誌はリラックスするためのもので、教養(yǎng)のため、後學(xué)のためというような考えが薄れてきたということだろうか。新聞では深く追及できないようなことが雑誌で詳しくカバーされていることがよくある。そういう雑誌が若い人から敬遠(yuǎn)されていてニーズがないからコンビニに並んでいないのだとしたら、いささか殘念な気がする。朝4時(shí)半頃ランニングをしていてコンビニの前を通ると、弁當(dāng)とジュースを買(mǎi)って出て來(lái)る若者に出會(huì)うことが度々ある。仕事帰りかカラオケ帰りか知らないが、これから?パートに戻って朝御飯なのだろう。24時(shí)間営業(yè)のコンビニは誠(chéng)に便利で現(xiàn)代人には欠かせないものになってきつつあるなあ、という感じがした。黃金週間

      中山 堯

      ゴールデンウ?ークの真っただ中ですね。海外旅行に出かけた人は過(guò)去最高の58萬(wàn)3千人とか。近場(chǎng)の行楽地でもホテル、旅館は今週いっぱい満室という話(huà)を聞くと、一體どこが不況なのだろうと考え込んでしまいます。

      在宅ゴールデンウ?ーク派は、どんな過(guò)ごし方をされているのでしょうか。庭木や草花の手入れ? 読やビデオ、音楽鑑賞?(A)()、きっとそれだけでは1週間はもたないはずです。家族のだれかから「どこかに行きた一い」という聲が出てきたら、どうしますか? 私はこんな時(shí)、とりあえず車(chē)で家を出ることにしています。目的地はどこでもいいから溫泉の出るところ。

      ご存じのように、最近では一部を除いてホテル?旅館も內(nèi)湯を一般に開(kāi)放しているところが多くなっいます。入湯料は高くて千円、安くて300円ぐらいまで。ほとんどに露天ぶろがあります。こうしたところを2,3軒ハシゴして半日を過(guò)ごし、ふ ところに余裕があったら、夕食をとって帰ります。高速料金を含めて夫婦2人で1萬(wàn)円以?xún)?nèi)におさめるのがコツと言えばコツですね。

      (B)()渋滯は覚悟の上です。実は連休のノロノロ運(yùn)転に音をあげて、もう二度と行きたくないという聲が出るのを期待しているのですが、溫泉の気分の良さには勝てないらしく、(1)こうした過(guò)ごし方が休みの日の定番になっているほどです。溫泉天國(guó)?九州ならではの楽しみです。

      (C)()、福岡方面で(2)一番の穴場(chǎng)は、高速料金もいらない二日市溫泉ですね。ここは公衆(zhòng)浴場(chǎng)と、ある旅館1軒でふろに入れます。ここだと老舗旅館の経営している日本料理店で食事して帰っても、2人で5千円ですみます。泉質(zhì)もよく、まさに(3)「燈臺(tái)もと暗し」という感じですね。

      人によってたとえ小さくても、喜びと楽しみは様々。私が半面、黃金週間が嫌いなのは、みんなと同じような過(guò)ごし方をしないと、(4)なんだか取り殘されたような気分にさせる風(fēng)潮がつきまとう點(diǎn)ですね。

      休みの日ぐらいは個(gè)性的に、悠々と過(guò)ごす時(shí)間を持ちたいものです

      在宅動(dòng)務(wù)

      日立、lBMが育児?介護(hù)中に認(rèn)める方針

      日立製作所は17日、家庭で育児や介護(hù)にあたる必要のある総合職の社員全員を?qū)澫螭恕⒃谡趧?wù)を認(rèn)める方針を明らかにした。4月から実施する。IT(情報(bào)技術(shù))の進(jìn)展により、家庭にいながら?ンターネットを通じて仕事が出來(lái)るようになったためで、日本IBMも4月から同様の制度を副主任以上の杜員を?qū)澫螭藢g施することを決めている。在宅勤務(wù)へのニーズは高く、今後電子機(jī)器メーカーを中心に広がりそうだ。

      日立は一昨年から主任以上の杜員を?qū)澫螭恕⒊錾缌x務(wù)のないフレックス勤務(wù)を認(rèn)めていた。この制度で在宅勤務(wù)が可能になったが、役職の関係で30歳前後以上に限られていた。

      このたあ優(yōu)秀な女性杜員が育児や介護(hù)の負(fù)擔(dān)により退杜を迫られるケースもあり、今向、総合職全員に対象を広げることにした。育児の場(chǎng)合は小學(xué)校に入るまで、介護(hù)は必要がなくなるまでの期間を認(rèn)める。このほか、全女性社員を?qū)澫螭送钙陂g、1日6時(shí)間の短時(shí)間勤務(wù)を認(rèn)める制度も新設(shè)する。

      1BMは育児の場(chǎng)合、小學(xué)校卒業(yè)まで認(rèn)める。25~30歳の副主任以上に限っているが、今後、全社員への拡大を図る。同社は「在宅勤務(wù)は優(yōu)秀な人材を集めるのに必要になる。今回の制度は新たなビジネススタ?ルを杜會(huì)に提案する意味もある」と説明している。同社はこうした在宅勤務(wù)を可能にするITシステムを他社向けに販売することも検討している。第五課

      リーデ?ング 1

      読みながら

      1.場(chǎng)面情景を豊かに思い描くことから出発して、異常な婦人への筆者の深い思いや りを 読み取りましょう。

      2.細(xì)部の表現(xiàn)を手がかりに、人物の心理を考えましょう。

      小林

      秀雄

      ある時(shí)、大阪行きの急行の食堂車(chē)で、遅い晩飯を食べていた。四人掛けのテーブルに、私は一人で座っていたが、やがて、前の空席に、六十格好の、上品な老人夫婦が腰をおろした。

      細(xì)君の方は、小脇に何かを抱えて入って來(lái)て私の向かいの席に著いたのだが、袖の陰から現(xiàn)れたのは、橫抱きにされた、おやっと思うほど大きな人形であった。人形は、背広を著、ネクタ?を締め、外套を羽織って、外套と同じ縞柄の鳥(niǎo)打帽子をかぶっていた。著付けの方はまだ新しかったが、顔の方は、もうすっかり垢染みてテラテラしていた。眼元もどんよりと濁り、唇の色も褪せていた。何かの拍子に、人形は帽子を落とし、これも薄汚くなった丸坊主を出した。

      細(xì)君が目くばせすると、夫は、床から帽子を拾い上げ、私の目が合うと、ちょっと會(huì)釈して、車(chē)窓の釘に掛けたが、それは、子供連れで失禮とでも言いたげなこなしであった。

      もはや、明らかなことである。人形は息子に違いない。それも、人形の顔から判斷すれば、よほど以前のことである。一人息子は戦爭(zhēng)で死んだのであろうか。夫は妻の亂心を鎮(zhèn)めるために、彼女に人形をあてがったが、以來(lái)、二度と正気には返らぬのを、こうして連れて歩いている。多分そんなことか、と私は思った。夫は旅なれた様子で、ボー?に何かと注文していたが、今は、おだやかな顔でビールを飲んでいる。妻は、はこばれたスープを一匙すくっては、まず人形の口元に持って行き自分の口に入れる。それを繰り返している。私は、手元に引き寄せてい

      たバター皿から、バターを取って、彼女のパン皿の上に載せた。彼女は息子にかまけていて、気が付かない?!袱长欷峡挚s」と夫が代わりに禮を言った。

      そこへ、大學(xué)生かと思われる娘さんが、私の隣に來(lái)て座った。表情や挙動(dòng)から、若い女性の持つ鋭敏を、私はすぐ感じたように思った。彼女は、一目で事を悟り、この不思議な會(huì)食に、素直に順応したようであった。私は、彼女が、私の心持ちまで見(jiàn)てしまったとさえ思った。これは、私には、彼女と同じ年頃の一人娘があるためであろうか。

      細(xì)君の食事は、二人分であるから、遅々として進(jìn)まない。やっとスープが終わったところである。もしかしたら、彼女は、全く正気なのかもしれない。身についてしまった習(xí)慣的行為かもしれない。とすれば、これまでになるのには、周?chē)欷螠\はかな好奇心とずいぶん戦わねばならなかったろう。それほど彼女の悲しみは深いのか。

      異様な會(huì)食は、ごく當(dāng)たり前に、靜かに、あえて言えば、和やかに終わったのだが、もし、だれかが、人形について余計(jì)な発言でもしたら、どうなったであろうか。私はそんなことを思った。

      富 士

      田宮

      虎彥

      私は死んだ母が最後に書(shū)いてよこした(1)手紙の言葉を、今もはっきり覚えている。それは、――今度のお前の下宿からは富士が見(jiàn)えるのだろうか、東京から富士が見(jiàn)えるということはお母さんもかねて聞いていたけれど、あの美しい富士の山を毎日見(jiàn)てすごすことができれば、どんなにお前の心もなごまることだろう。お母さんも一度は富士を見(jiàn)て死にたいと思っていたが、そのお母さんの思いがお前にかなえられたのだと思うと、お前のくれた手紙に富士見(jiàn)軒と書(shū)いてあるのをみつめているうちにお母さんは涙がこぼれてきたのだよ…といった言葉であった。

      本郷の高臺(tái)に高くそびえたった図書(shū)館のその屋上からは、富士ばかりでなく、赤城や、榛名や、秩父の山々など、関東平野を遠(yuǎn)くとりまく山々が見(jiàn)えるのだったが、そうした山々の山脈をつらねた美しさも、冬の日差しをあびた富士の姿の美しさには及びもつかなかった。私はその美しい富士を見(jiàn)ながら、母の乳房の匂いともつれあうように、母に富士の山の美しさを教えられた幼いころのことを思い出した。そして、母の手紙を読んだ時(shí)と同じように目がしらがあつくなってゆくのを感じた。大學(xué)に出ない日は、私は真砂町の坂をのぼって、壱岐坂の上に出た。私は、そこで立ちどまって富士を見(jiàn)た。その富士は図書(shū)館から見(jiàn)る富士には及ばなかったが、やはり美しい姿であった。私はしばらく富士を見(jiàn)つめていたが、ふと気づくと私の立ちどまった町かどに、下宿か旅館らしい立派な二階建てがあった。何気なくその看板を見(jiàn)ると、その看板には富士見(jiàn)館という屋號(hào)がかかれてあった?!袱ⅳ?、この富士見(jiàn)館なら、たしかに當(dāng)士が見(jiàn)える」私は思わずそう獨(dú)りごとをつぶやいていた。(A)()、母が考えている私の下宿は、こんな下宿ではないかと、ふっと思った。(B)()、笑いが腹の底からこみ上げてきて、私は、道をとおる人が不思議そうに笑っている私を見(jiàn)つめるほど、聲をたてて笑った。(2)だが、笑っているうち、私の笑いは、私の頬に淋しく凍りついてしまった。

      現(xiàn) 代 青 春 論

      亀井

      勝 一郎

      どんな蕓術(shù)でも、ある程度の予備知識(shí)や説明は必要だ。しかしそれに満足してはならない。自分で直接読んだり、見(jiàn)たりして、対象にひきずりまわされることが大切である。たとえば夏目漱石の小説なら、今日では定評(píng)があるが、自分で、実際に読むと、定評(píng)どおりにゆかない場(chǎng)合がある。みんながほめていても、つまらないと思うこともあるし、また自分が感動(dòng)しても、それを適當(dāng)に言いあらわすことが出來(lái)ない場(chǎng)合もある。そういうとき、自分には文學(xué)はわからないと決めてしまう人がある。ある音楽を聞いて、大変すばらしいと思っても、なぜすばらしいのか説明出來(lái)ないとき、自分には音楽がわからないと思いこんでしまう。しかしこれはまちがいだ。どんな人間でも、心に深い感動(dòng)をうけたときは、それを適當(dāng)に言葉として表現(xiàn)出來(lái)ないものである。すべて一流の美は、そういう性質(zhì)をもっていて、私たちに沈黙を迫る。美への愛(ài)とは、この沈黙への愛(ài)だとさえいってもよい。だから本當(dāng)の理 11

      解とは、口に出してうまく言えるかどうかということだけではない。説明が上手だからといって、理解しているとはかぎらない。心の底ふかくおさめておいて、つまりは沈黙のうちに、うなずく場(chǎng)合だってある。そしてこの沈黙の肯定が一番深いのではないか。すぐれた作品はこれによって支持されてきているのである。批評(píng)家とは何よりもまず、この沈黙の代弁者でなければならない。そしてそれに適當(dāng)な表現(xiàn)を與えることで、読者の心を代弁するものでなければならない。こうした意味での「批評(píng)家」はだれの心の中にも住んでいるはずだ。

      第四篇:日語(yǔ)單詞 新大學(xué)日語(yǔ)簡(jiǎn)明教程

      1.やおや「八百屋」(名)蔬菜店 ;蔬菜水果店;蔬菜商

      2.つとめる「勤める」(自一)工作,服務(wù) 3.クラス【class】(名)班,班級(jí);階級(jí),等級(jí) 4.さしみ「刺身」(名)生魚(yú)片

      5.たたみ「畳」(名)(厚的)草墊,草席,榻榻米 6.や さい「野菜」(名)蔬菜,青菜 7.や きゅう「野球」(名)棒球

      8.ゆう びん きょく「郵便局」(名)郵局 9.けい たい「攜帯」(名)手機(jī);(他サ)攜帶 10.じょう ぶ「丈夫」(形動(dòng))健康;堅(jiān)固,結(jié)實(shí) 11.タクシー[taxi](名)的士,出租車(chē) 12.と しょ かん「図書(shū)館」(名)圖書(shū)館13.せん せい「先生」(名)先生;老師 14.がく せい「學(xué)生」(名)學(xué)生 15.ちゅう ごく「中國(guó)」(名)中國(guó) 16.なまえ「名前」(名)名字,姓名 17.くに「國(guó)」(名)國(guó)家;故鄉(xiāng) 18.ペキン「北京」(名)北京 19.しゅ と「首都」(名)首都 20.へや「部屋」(名)房間 21.テレビ「television」電視;電視機(jī) 22.か ぞく「家族」(名)家族;家眷 23.しゃ しん「寫(xiě)真」(名)相片

      24.かい しゃ いん「會(huì)社員」(名)公司職員 25.すう がく「數(shù)學(xué)」(名)數(shù)學(xué) 26.だいどころ「臺(tái)所」(名)廚房 27.じ こ「自己」(名)自己,自我 28.しょう かい「紹介」(名.他サ)介紹 29.だい がく「大學(xué)」(名)大學(xué)

      30.おきる「起きる」(自一)起床,起來(lái);發(fā)生 31.あさごはん「朝ご飯」(名)早飯 32.たべる「食べる」(他一)吃

      33.じゅ ぎょう「授業(yè)」(名.自サ)課,授課 34.べん きょう「勉強(qiáng)」(名.自他サ)學(xué)習(xí)35.かえる「帰る」(自五)回家 36.しん ぶん「新聞」(名)報(bào)紙 37.よむ「読む」(他五)讀,朗讀,閱讀 38.そつ ぎょう「卒業(yè)」(名.自サ)畢業(yè) 39.か じ「家事」(名)家務(wù)(勞動(dòng))40.おおさか「大阪」(名)大阪

      41.ぼう えき「貿(mào)易」(名)貿(mào)易 42.はたらく「働く」(自五)勞動(dòng),工作 43.やすむ「休む」(自五)休息 44.かいもの「買(mǎi)い物」(名)買(mǎi)東西 45.こく ど「國(guó)土」(名)國(guó)土 46.し げん「資源」(名)資源 47.ほう ふ「豊富」(名.形動(dòng))豐富 48.れき し「歴史」(名)歷史 49.ながい「長(zhǎng)い」(形)長(zhǎng)

      50.し ぜん「自然」(名.形動(dòng))自然 51.うつくしい「美しい」(形)美麗,漂亮 52.びん ぼう「貧乏」(名.形動(dòng))貧窮 53.しあわせ「幸せ」(形動(dòng))幸福 54.とく い「得意」(名.形動(dòng))得意;拿手 55.せ かい 「世界」(名)世界

      56.ゆう めい「有名」(名.形動(dòng))有名,著名 57.にん き「人気」(名)名氣,聲望 58.さかな「魚(yú)」(名)魚(yú)

      59.ちがう「違う」(自五)不同;錯(cuò)誤 60.こう りゅう「交流」(名.自サ)交流 61.さかん「盛ん」(形動(dòng))興旺,蓬勃 62.じょうず「上手」(形動(dòng))好,高明 63.へた「下手」(形動(dòng))拙劣,笨拙 64.しごと「仕事」(名)工作 65.せい かつ「生活」(名)生活 66.おわる「終わる」(自他五)完,結(jié)束 67.べん とう「弁當(dāng)」(名)盒飯

      68.ひるやすみ「晝休み」(名)午間休息,午休 69.のる「乗る」(自五)乘,坐 70.ビール「(荷)bier」(名)啤酒 71.のむ「飲む」(他五)喝 72.みる「見(jiàn)る」(他一)看,觀(guān)看 73.おもしろい「面白い」(形)有趣 74.ざっ し「雑誌」(名)雜志 75.かぜ「風(fēng)邪」(名)傷風(fēng),感冒

      76.かぜをひく「風(fēng)邪を引く」(組)患感冒 77.ともだち「友達(dá)」(名)朋友 78.みまう「見(jiàn)舞う」(他五)探望 79.しゅ み「趣味」(名)愛(ài)好;情趣 80.てん き「天気」(名)天氣,晴天 81.かう「買(mǎi)う」(他五)買(mǎi)

      第五篇:新版標(biāo)準(zhǔn)日語(yǔ)中級(jí)上冊(cè)第八課講義

      第八課講義

      會(huì)話(huà)の説明

      1.(1)~とおり 正如……

      そのとおりです/おしゃるとおりです(禮貌說(shuō)法)

      是的,是這樣

      例:①A:その前、君は一週間を休みたいといっていましたね。

      B:はい、そのとおりです

      ②先生の奧さんは私が想像していたとおりの美人でした。

      (2)體言+どおり或者體言+の+とおり

      “どおり”是結(jié)尾詞,意思是“そのままに”。表示后項(xiàng)行為完全按照前項(xiàng)的方式進(jìn)行。按……,按照……

      例:私の言ったとおりに繰り返していってください。

      物事は自分で考えているとおりにはなかなか進(jìn)まない場(chǎng)合が多い。

      世の中は自分の考えどおりには動(dòng)いてはくれないものだ。

      會(huì)議は、時(shí)間どおりにはじまりました。

      (3)數(shù)詞/なん/いく+とおり 表示方法和種類(lèi)的數(shù)量

      例:駅からあの建物までには3とおりの行き方がある。

      やり方は、なんとおりもありますがどの方法がよろしいでしょうか。

      2.それで/で

      (1)(轉(zhuǎn)換到可以預(yù)想的下一個(gè)話(huà)題上來(lái))那么

      例:A:昨日、突然田舎から親戚が出て來(lái)まして…。

      B:それで。

      A:それで、あのう今日の殘業(yè)は…。

      (2)所以

      (后句不能使用命令或意志的表達(dá)方式)

      例:昨日は熱が出て、それで今日は學(xué)校を休んだ。

      小さい時(shí)に海で怖い思いをした。それで海が好きになれない。

      拓展:

      (1)それでこそ 那才稱(chēng)得上,那才叫真正的例:A:あの大學(xué)、卒業(yè)するのが難しいそうだ。

      B:それでこそ本當(dāng)の大學(xué)だね。

      (2)「さらに」、「それから」用于陳述某件事后補(bǔ)充另外的事?!袱丹椁恕褂糜趯?duì)內(nèi)容的補(bǔ)充,「それから」用于按照時(shí)間順序補(bǔ)充或用作補(bǔ)充話(huà)題的標(biāo)志

      例:擔(dān)當(dāng)は山田さん、さらに松本さん、田中さんです。

      昨日は夕方一度家に帰って、それから家族で食事に出かけました。

      3.絞(しぼ)る

      (1)集中,縮小  例:ターゲットを絞る

      (2)擰,擠  例:雑巾を絞る

      (3)嚴(yán)加責(zé)備,申斥  例:先生に絞られる

      (4)剝削,敲詐  例:稅金を絞る

      拓展:絞(しぼ)り

      (1)熱手巾

      (2)(花瓣等的)雜色、斑點(diǎn)

      (3)(照相機(jī)的)光圈

      4.うん

      (1)是

      例:うん、わかった。

      今日の午後、君は來(lái)ませんか。

      ──うん、用事がありますので。

      (2)認(rèn)同對(duì)方所說(shuō)的話(huà)的隨聲應(yīng)答

      例:空模様によると、今日雨だそうですね。

      ──うん、そうだ。

      (3)用于自言自語(yǔ) うん、そうしましょう。

      例:うん、彼は私のことが好きかも知れないよ。

      5.イベント

      (1)できごと 事件、事變、大事

      (2)催し 集會(huì)、(文娛)活動(dòng)

      (3)體育比賽項(xiàng)目

      6.對(duì)對(duì)方說(shuō)的話(huà)表示吃驚的應(yīng)答方式

      「ほう」「へえ」「ふうん」「えっ」 是嘛?真的嗎?恩?哦?

      例:ほうー、全社員が旅行するのは本當(dāng)ですか。

      へえ、君は僕と同じ大學(xué)の卒業(yè)生ですか。

      7.~について/~につきまして(鄭重語(yǔ))

      關(guān)于……

      例:その點(diǎn)については全面的に賛成はできない。

      將來(lái)についての夢(mèng)を語(yǔ)った。

      彼女は自分自身について何も話(huà)さない。

      拓展:

      (1)名詞+數(shù)量詞+について 每……

      例:乗客一人について三つまでの荷物を持ち込むことができます。

      社員3人については1部屋しか割り當(dāng)てられなかった。

      (2)~につき 關(guān)于……

      例:本部の移転問(wèn)題につき審議が行われた。

      8.見(jiàn)てください/ご覧ください(禮貌語(yǔ))/ご覧になってください(禮貌語(yǔ))

      請(qǐng)看,試試看

      例:ご自由にご覧ください。

      一人でやってご覧ください。ここで見(jiàn)ているから。

      ご覧ください、燕がやってきた。

      9.探(さぐ)る

      (1)探訪(fǎng),尋找  例:秋の京都を探る 失った鍵を探る

      (2)探索  例:日本語(yǔ)の起源を探る

      (3)推測(cè)  例:相手の心を探る

      (4)暗中調(diào)查,偵察  例:犯人を探る

      拓展:

      探り 刺探,探問(wèn)  例:探りを入れる 試探(情況)

      それとなく探りを入れる(暗中打探)

      10.可能形式的用法

      二類(lèi)動(dòng)詞后續(xù)表示可能、尊敬、被動(dòng)三種用法,區(qū)別如下:

      (1)「(に)は」提示動(dòng)作主體并充當(dāng)主語(yǔ)時(shí)表示可能

      (2)「は」「が」提示動(dòng)作主體時(shí)表示可能或尊敬

      (3)「は」「が」提示動(dòng)作對(duì)象時(shí)表示可能或被動(dòng)

      表示可能時(shí)無(wú)論什么動(dòng)詞都可以用「~ことができる」的形式替換

      例:この桃はまだ食べられません。(可能)

      彼は酒が飲めません。(可能)

      あなたは考えられることはもう大丈夫です。(尊敬)

      私は先生に褒められました。(被動(dòng))

      11.轉(zhuǎn)折連詞

      ~でも/~が/~しかし/~けれども/~けれど 但是,可是

      ~でも不用于書(shū)面語(yǔ),~が很少在口語(yǔ)中使用,~しかし/~けれども/~けれど在書(shū)面語(yǔ)和口語(yǔ)中都可使用,~しかし語(yǔ)氣更正式。

      注意:這些詞在作為連接兩個(gè)句子的連用詞使用時(shí),前后兩個(gè)句子的文體必須一致。

      例:山登りに行くつもりです。が、雨でした。

      手紙を出した。しかし返事は來(lái)なかった。

      卒業(yè)のとき、皆泣いた。けれど、私は涙が出なった。

      12.~させてください/~させていただきませんか(鄭重語(yǔ))

      讓我……,請(qǐng)讓我……

      例:申し訳ありませんが、今日は少し早く帰らせてください。

      少し考えさせていただきませんか。

      期日については、こちらで決めさせていただきませんか。

      拓展:

      (1)~させておく(表示放任)隨、讓

      例:甘えて泣いているだけだから、そのまま泣かさせておきなさい。

      勝手に好きなことをさせておけばいい。

      (2)~させてあげる(表示許可)讓

      例:この仕事がやりしたいなら、やらせてあげましょう。

      (3)~させてくれる/もらう(表示接受恩惠)

      例:姉が働いて私を大學(xué)に行かせてくれた。

      提建議:

      (1)征求對(duì)方意見(jiàn)的提議

      ~たらどうですか/~たらいかがですか/~たらいかがでしょうか/~てはどうですか/~てはいかがですか/~てはいかがでしょうか

      注意:「~たらどうですか」等表達(dá)方式用于不知道對(duì)方不知道該怎么辦等場(chǎng)合,如果對(duì)方知道怎么辦,使用「~たらどうですか」帶有訓(xùn)斥語(yǔ)氣,會(huì)顯得失禮。

      (2)提議與對(duì)方一起做某事 ~ませんか/~ましょうか/~はいかがですか(客氣用法)

      (3)回應(yīng)提議 いいですね/なるほど、いいですね/いいかもしれませんね

      例:明日買(mǎi)い物に行きませんか。──いいですね。

      先生、明日授業(yè)を休んだらいかがでしょうか。──いいです。

      表示提議的表達(dá)方式的補(bǔ)充:

      一つ提案なんですけど、~どうでしょうか。

      ~君たちにも手伝ってまらってはどうかね。

      どうだろう、もう少し考え直しみないか。

      ~先生もお誘いしたらどう?

      私は構(gòu)いませんが、~さんにも入っていただきたいと思います。

      そのぐらいからスタートしたほうがいい。

      今年も同じでいいじゃない。

      じゃ、私も行き付けの店にでもいこうか。あそこは料理がうまいんだ。

      本文の説明

      1.注(そそ)ぐ

      (1)加入,注入  例:植木(うえき)に水を注ぐ

      (2)傾注,注視,集中  例:研究に全力を注ぐ

      (3)撒,落(淚),弄灑  例:涙を注ぐ

      2.~だけで 只要……就,光……就

      例:地震は経験した人の話(huà)を聞くだけで怖い。

      明日からまた仕事だと思うと、考えるだけでいやになる。

      拓展:

      (1)~だけだ 只有,只是,就是

      例:今回の事件に関係がないのは彼だけだ。

      品物なんかいりません。お?dú)莩证沥坤堡い郡坤堡蓼埂?/p>

      (2)~だけではすまない(表示影響嚴(yán)重)

      光……是不能完事的~だけではすむ(表示影響輕微)光……就可以,只是……而已

      例:こんな大きな間違いをして、謝りだけではすまないと思う。

      叱られましたが、5分遅刻しただけではすむのに。

      3.すると

      (1)于是  例:九時(shí)になった。すると、ベルが鳴った。

      (2)(それでは)那么說(shuō),這么說(shuō)

      例:すると、これは間違いですね。

      すると色よいご返事はいただけないというわけですね。

      這么說(shuō)是得不到痛快的答復(fù)了吧。

      4.~代わりに~/~に代わって/~に代わる~/~の代わりの

      接體言の代わりに

      代替,表示一種事物取代另一種事物,或者作為其他事物或人的代理。

      例:山田さんの代わりに、私が會(huì)議に出る。

      母に代わって、妹を迎えにいく。

      今はゴムのかわりにプラスチックがたくさんつかわれている。

      接用言連體形、體言の代わりに

      不是,而是,表示用一種方式取代另一種方式。

      例:今度は船に乗る代わりに,汽車(chē)で行こう。

      山田先生の授業(yè)は、試験を受けるかわりにレポートを出してもよいことになっている。

      山田先生的課不考試,提交研究報(bào)告也行。

      用言連體形+代わりに 雖然~但是~,~的同時(shí)~

      表示一個(gè)事項(xiàng)同時(shí)具有兩個(gè)相互抵消或相互對(duì)立的側(cè)面。一般重點(diǎn)在后項(xiàng)。

      例:①この辺は買(mǎi)い物などに便利なかわりに、ちょっとうるさい。

      這一帶買(mǎi)東西很方便,但是有些吵鬧。

      ②中村さんは遅刻もしないかわりに仕事もあまりしない。

      中村雖然不遲到,但也不怎么干工作。

      用言連體形+代わりに 作為補(bǔ)償

      表示付出某種代價(jià)的補(bǔ)償,或相互交換的條件。

      例:①日本語(yǔ)を教えてもらうかわりに、中國(guó)語(yǔ)を教えてあげましょう。

      你教我日語(yǔ),我教你漢語(yǔ)吧。

      ②先日おごってもらったかわり、今日は私がおごろう。

      前幾天你請(qǐng)了我,今天我來(lái)請(qǐng)你吧。

      5.砕(くだ)く

      (1)打碎,弄碎  例:氷を砕く 卵を砕く

      (2)挫敗,摧毀  例:野望を砕く

      (3)絞盡腦汁  例:心を砕く 身を砕く

      拓展:砕(くだ)ける

      (1)破碎,粉碎  例:コップが砕ける

      (2)(氣勢(shì))減弱  例:意志が砕ける

      (3)平易近人  例:砕けた話(huà)し方

      6.~ようにする 爭(zhēng)取要做到……,設(shè)法做到……

      表示為實(shí)現(xiàn)前面所述的目標(biāo)、目的而努力

      例:①彼女の機(jī)嫌を損(そこ)ねることは言わないようにする。

      我盡量不說(shuō)得罪她的話(huà)。

      ②油ものは食べないようにしている。

      盡量不吃油膩食物。

      ~なければいけない 必須

      例:よく勉強(qiáng)しなければいけない。

      ~(ら)れるようにしなければいけない 必須設(shè)法做到……

      例:明日は朝寢坊しないようにしなければいけない。

      必ず彼に連絡(luò)を取るようにしなければいけない。

      7.~、~、~、~と/~というように 列舉三個(gè)以上的名詞或名詞句

      例:週末、買(mǎi)い物をすること、選択すること、掃除することと、いろいろなことがあります。

      卵、ミルク、果物とは、栄養(yǎng)の高いものです。

      8.用言連體形+だけの+體言 足以……,足夠……

      表示具有某一方面的充足的能力、實(shí)力或條件等。

      例:①大學(xué)の入試に合格するだけの実力をつけるのは難しい。

      培養(yǎng)通過(guò)高考的實(shí)力不是一件容易的事。

      ②自分の家を持つだけの経済的なゆとりがない。

      在經(jīng)濟(jì)上沒(méi)有實(shí)力買(mǎi)房子。

      9.工(く)夫(ふう)想方法,開(kāi)動(dòng)腦筋,找竅門(mén)

      例:工夫をこらす

      工夫して難問(wèn)を済ます。

      工(く)夫(ふう)工人

      10.~末(すえ)

      (1)末尾

      ……之后

      例:年の末(年末)考えたすえ方法があります。

      (2)尖兒,末端  例:枝の末

      (3)最小的,最年幼者  例:末の子供

      (4)將來(lái),未來(lái),前途  例:彼はきっとすばらしい末があると思う。

      (5)無(wú)關(guān)要緊的事,瑣事  例:そんなことは末のことだ。

      拓展:

      (1)~たあと ……之后

      例:パーティーが終わったあとの部屋はとても散らかっていた。

      (2)~たあげく 結(jié)果,最后

      表示該狀態(tài)持續(xù)了相當(dāng)長(zhǎng)的一段時(shí)間之后有了最終的結(jié)果。前后項(xiàng)無(wú)因果關(guān)系,一般用于消極事情。

      例:考えたあげく、この家を売ることにした。

      體言+のあげく

      例:①口論(こうろん)のあげく、つかみ合いになった。

      爭(zhēng)吵了一陣,最后扭打起來(lái)了。

      ②長(zhǎng)い間苦労のあげく、とうとう病気で倒れてしまった。

      由于長(zhǎng)期勞累,最終病倒了。

      (3)~た結(jié)果 結(jié)果

      前后項(xiàng)有因果關(guān)系,且強(qiáng)調(diào)前項(xiàng)動(dòng)作時(shí)后項(xiàng)結(jié)果的直接原因,多用于書(shū)面語(yǔ)。

      例:調(diào)べた結(jié)果、彼は犯人ではない。

      先生と相談した結(jié)果、論文のテーマを変えることにした。

      11.今(いま)では/現(xiàn)(げん)在(ざい)では

      用于現(xiàn)在的狀況和以前的相比有顯著的變化的情形

      例:今では、私は日本語(yǔ)ができるようになりました。

      今では、人々の生活は豊かになった。

      拓展:今、現(xiàn)在只表示“現(xiàn)在”的意思,使用范圍更廣。

      例:今、いろいろな人が日本語(yǔ)を勉強(qiáng)したいです。

      今でも、今も 表示從以前一直持續(xù)到現(xiàn)在1000年以上前の建物が今でも殘っています。

      第八課內(nèi)容總結(jié):

      表達(dá)方式:建議

      詞匯:絞る、イベント、探る、注ぐ、砕く、工夫(くふう)、~末(すえ)

      語(yǔ)法:~とおり~、だけで、だけの、すると、~代(わりに)~(ら)れるようにしなければいけない

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