第一篇:日語系畢業(yè)論文
長沙理工大學(xué) 本科畢業(yè)設(shè)計(jì)(論文)
目 次
日本語アウトライ……………………………………………………Ⅰ 中國語アウトライ……………………………………………………Ⅱ 日本語要旨……………………………………………………………Ⅲ 中國語要旨……………………………………………………………Ⅳ 第一章 序論…………………………………………………………1 第二章 諺と民族性格の定義………………………………………1 第三章 中國と西洋からの諺………………………………………2 第四章 日本本土の諺………………………………………………6 第五章 諺の意味の変遷と言語構(gòu)造………………………………7 第六章 結(jié)論…………………………………………………………8 參考文獻(xiàn)………………………………………………………………9
目 錄
日文提綱………………………………………………………………Ⅰ 中文提綱………………………………………………………………Ⅱ 日文摘要………………………………………………………………Ⅲ 中文摘要………………………………………………………………Ⅳ 第一章 引言……………………………………………………………1 第二章 諺語與民族性的定義…………………………………………1 第三章 來自中國與西方的諺語………………………………………2 第四章 日本本土諺語…………………………………………………6 第五章 日本諺語意思的變遷與語言結(jié)構(gòu)……………………………7 第六章 結(jié)論……………………………………………………………8 參考文獻(xiàn)……………………………………………………………… 9
アウトライン
論文主旨:日本の諺の起源、発展、変遷から、日本の諺の民族性格を研究する。第一章 序論
第二章 諺と民族性格の定義 第三章 中國と西洋からの諺 3.1 中國からの諺 3.2 西洋からの諺 第四章 日本本土の諺 4.1 地理の影響 4.2 宗教の影響 4.3 生活方式の影響
第五章 諺の意味の変遷と言語構(gòu)造 第六章 結(jié)論
提 綱
論文主旨:從日本諺語的起源,發(fā)展,變遷發(fā)面,探究日本諺語中的民族性。第一章 序論
第二章 諺語與民族性的定義 第三章 來自中國與西方的諺語 3.1 來自中國的諺語 3.2 來自西方的諺語 第四章 日本本土諺語 4.1 地理因素 4.2 宗教因素 4.3 生活習(xí)慣因素
第五章 諺語意義的變遷與語言構(gòu)造 第六章 結(jié)論
要 旨
諺は、人間の言語と知恵の結(jié)晶と言われている、日本の諺も同じである。日本が島國としての特別な地理、文化伝統(tǒng)が諺の形成、発展及び內(nèi)容形成などに対して深く影響を與える。諺の中に日本民族の特有な民族性格と文化が特別な言語形式を通して完壁に現(xiàn)われている。言語と文化を結(jié)び付ける視點(diǎn)から見ると、日本の諺の起源でも、発展でも、変遷でも、十分な研究と探求の価値がある。諺が國の文化を表すのみならず、さまざまな価値観、人生観、世界観も表現(xiàn)している。その中に、日本人は獨(dú)立した民族として、獨(dú)自の文化を持ち、諺も言うまでもなく獨(dú)自の民族的特色を持っている。ここで、民族性格に対して考察してみたい。
キーワード:諺;民族性格;諺の起源;諺の変遷;言語構(gòu)造
摘 要
諺語是人類語言和智慧的結(jié)晶。日本諺語也是一樣的。日本作為一個(gè)島國,其獨(dú)特的地理位置,文化底蘊(yùn)對諺語的形成,發(fā)展及內(nèi)容形式,產(chǎn)生了深遠(yuǎn)的影響。日本民族特有的民族性,文化特質(zhì)在諺語著這特殊的語言形式中得到了完美的體現(xiàn)。從語言和文化相結(jié)合的角度來看,無論是日語的起源,發(fā)展,變遷,都是極具研究和探討價(jià)值的。諺語不僅可以反映該國的文化與社會(huì),同時(shí)也反映了也反映各民族的多種多樣的價(jià)值觀,人生觀與世界觀。其中,日本作為一個(gè)獨(dú)立的民族,其民族性獨(dú)具特色。本文想對諺語中反映的日本民族性進(jìn)行探究。
關(guān)鍵詞:諺語;民族性 ;諺語起源 ;諺語意思的變遷;語言結(jié)構(gòu)
日本の諺から日本の民族性格を探求する
第一章 序論
言語と文化は密接な関係がある。どんな言語でも文化と離れて獨(dú)立して存続することが出來ない。言語は文化の中に存在すると同時(shí)に文化の基盤である。だから、言語表現(xiàn)形式として一番の寶物挙げられる諺は、世界で最も豊富で多彩な成語、諺の大寶庫を持っている。
まず、私たち知るべきのは、日本の諺が庶民から生まれるものである。諺には、人々の哀楽だけではなく、自然と人間の関係、動(dòng)物、植物までなどの內(nèi)容もふくめている。人間の生活経験から作られたさまざまな知恵は、漢字で記録されではなく、諺の形式として口で代々に伝えていく。今、私たち本で見た諺は、後輩の収集と整理したものである。これは、めいめいのながい人生経験から悟った知恵と結(jié)晶である、ただの人生の教訓(xùn)、処世の學(xué)問ではなく。日本の國民も豊かな諺を持っているが、その中に外國からの諺もすくなくない。もし、外國からの諺がないとしたら、日本人の民族性格も分からず、諺の中の借りる文化、外來文化も不自然になるだろう。もう一つ強(qiáng)調(diào)したいのは、諺がいつも変わっていくということだ。特に若者たちは現(xiàn)代の視點(diǎn)から理解と解釈している諺が新しい生命力を感じている。東洋でも西洋でも、諺が自分國の文化と社會(huì)を表すのみならず、さまざまな価値観、人生観、世界観も読まれる。その中に、日本人は獨(dú)立した民族として、獨(dú)自の文化を持ち、その中の諺も言うまでもなく獨(dú)自の民族的特色を持っている。ここで、諺の中の民族性格に対して考察してみたい。
第二章 諺と民族性格の定義
日本の辭書について次のような定義を下している?!笌谵o苑」;
古くから人い々に言い習(xí)わされてきた言葉、教訓(xùn)、風(fēng)刺、等の意を寓し短句や秀句。
「日本國語大辭典」;
昔から世間に広く言い習(xí)わされてきた言葉で、教訓(xùn)や風(fēng)刺などを含んだ短句。以上の定義が次のような諺の基本的な特徴を示していた。?諺は口頭で代々言い伝えられてきたものである。?諺は広く民間で使われている通俗な言葉である。
?諺は明快で簡潔な言い回しにより教訓(xùn)、風(fēng)刺、等の意を寓したものである。民族性格とは、ある民族が持つ性質(zhì)、心理的特質(zhì)、気風(fēng)、思潮、精神、心性のこと。私は、日本諺の起源、発展、変遷、構(gòu)造の研究に通して、日本人の特民族性格を探求する。
第三章 中國と西洋からの諺
人間健全な理性が世界的にも共通なので、國が違っても、民族が違っても、各國の諺の中に論を待たなく同じものを持っている。日本では、、仏典、漢籍、英文學(xué)、聖書、など國外の原典に由來するものが日本獨(dú)自のものとして誤解されている場合も多い。
3.1 中國からの諺
①詩からの諺
國破れて山河あり(杜甫の詩 春望)
春宵一刻値千金(蘇試の詩 春夜)
少年老い易く學(xué)成り難し(朱熹の詩 偶成)②原典からの諺
彼を知り己知れば百戦怠からず(孫子 謀攻)教うるは學(xué)ぶの半ば(禮記 學(xué)記)③熟語からの諺
行尸走肉(拾遺記 六)自暴自棄(孟子 離簍上)④伝説からの諺 絵に描いたピン
蛇に睨まれた蛙
3.2 西洋からの諺
友と酒は古いほどいい(Old friends and wine are best)
一石二鳥(to kill the two birds with one stone)
便りのないのはよい便り(No news is good news)時(shí)は金なり(Time is money)(1)(2)以上の例から、一つ事実が分かるようになった。日本は優(yōu)秀な外國の文化を吸収して、自分のものにするのが得意である。その原因といえば、日本が弧島で海に囲まれているから、日本人がずっとこの封閉な狀況から飛び出し,外界と接しようと強(qiáng)く願(yuàn)っている。したがって、日本が劣らないように、謙虛に外國文化を吸収して、世界の先進(jìn)國を超えようという民族性格も読まれる。
第四章 日本本土の諺
日本本土の諺、ある種類の教訓(xùn)、警戒、風(fēng)刺、またはその他の視察経験による知識をいいあらわしたものである。年取りたちは、めいめいのながい人生経験から悟った知恵を諺に託して若者たちに示す。島國に住んでいる日本人は、自然と共存して、謙虛で、勤勉で本気で働いていること、よく知られている。長年の労働と農(nóng)耕生活から形成した諺が多いだけじゃなく、日本人の民族性格もうまれている。
4.1 地理の影響
日本の特別の地理と環(huán)境のおかけで、さまざまな諺も生み出した。その諺から、日本人の民族性格も分かるようになった。4.1.1 自然と共存する日本人
日本が豊かな自然環(huán)境に囲まれているから、いつも自然を尊敬し、平和の共 存を求めている。
?動(dòng)植物から見た日本の生活理念
動(dòng)物;
植物; 猿も木から落ちる
柳に風(fēng)邪 蛙の子は蛙
青菜に塩 貓の手も借りたい
獨(dú)活の大木
?気象に敏感な日本人 暑さ、寒さも彼岸まで
梅の花上向きに咲く年は晩霜あり 青夕焼けは大風(fēng)邪となる
??から見たら、日本がきれいな自然環(huán)境に恵まれて、四季がはっきりと分れている。この美しい環(huán)境に住んでいる日本人が自然に特別な好感を持っている。日本人に対して、自然がき征服された対象ではない。日本の諺には、いきいきとした動(dòng)物や植物から変わった自然現(xiàn)象まで、自然と密接に関係している內(nèi)容が沢山ある。自然に守ろうとする日本人が 細(xì)かい観察を通して多くの生活観念と教訓(xùn)をまとめている。4.1.2 島國の日本人
日本は島國で、太平洋暖流と千島の影響の下で、海洋漁業(yè)が発達(dá)している。だから、日本人が海産物と接する機(jī)會(huì)が多く、海と魚に関する諺も多い。海に千年川に千年
河豚は食いたし命は惜しし 腐っても鯛 魚心あれば水心
以上の例とおり、さまざまな魚を比喩として物事及び生活道理を示す。だから、日本の飲食文化は、尚魚、愛魚の文化と言えるだろう。昔から、魚が日本社會(huì)に重要な位置を占めている。さまざまな魚に関する諺は、日本人の心理特徴と生活習(xí)慣を表し、一つの民族性と言えるだろう。
4.2 宗教の影響
日本の伝統(tǒng)社會(huì)は、その奧深くに仏教の物の考え方が流れている。仏教の中 で日本人が最も重視して受け入れたものは?無常観?である。この無常観というのは何も仏教だけがもたらしたのではなく、日本の自然そのものが教えてくれたものでもある。?宗教観
今際の念仏誰でも唱える 見ぬは極楽知らぬは仏 因果応報(bào) 死にがけの念仏 ?無常観
會(huì)うは別れのはじめ 朝顔の花一時(shí)
朝に赤顔あり夕べに白骨となる
6世紀(jì)に、仏教が中國から日本に伝えられている。そして、その後日本の文化全體に大きな影響を及ぼす。古代の日本人が儒教と仏教に影響されて、淡泊、漂泊、無常な國民性格になった。そのような性格は、運(yùn)命に面するとき、明らかに表れている.日本人は次々の困難を乗り越えるとか、目的を葉わなければならないとか、あまり好きではない。逆に、融通が利かなくて、拘る処世態(tài)度より、楽観で朗らかで天に任せるの方がもっと好きである。
それに、儒教も日本の生活、思考、行動(dòng)に大きな影響を與える。儒教の仁愛、神道の調(diào)和、仏教の自慮自醒、因果応報(bào)も日本人の生活態(tài)度に対して、ある程度の影響が出て役に立っている。
4.3 生活方式の影響
4.3.1 勤勉で辛抱強(qiáng)い日本人
日本は、農(nóng)耕な民族で、古いから「晝で働き、夜で休む」という農(nóng)耕生活を形成している。そのところから、勤勉で辛抱強(qiáng)い民族性格が現(xiàn)れている。石の上にも三年 桃栗3年、柿8年
一日作さざれば一日食らわず
稼ぐに追い付く貧乏なし
以上の諺の中に、日本人を特別に持っている勤勉で辛抱強(qiáng)い民族性も見える。それに、日本人の堅(jiān)忍不抜の精神のみならず、富と生活に追求する態(tài)度も體現(xiàn)する。この古い諺から、古代社會(huì)の勤勉な耕作の生活畫面が目の前にいきいきとしたようだ。
4.3.2 慎重な日本人
生活中の日本人がいつも言動(dòng)が慎重と言われている。なんに事に対すしても、いろいろ考えた抜いてから、決める。石橋を叩いて渡る 淺き川も深く渡れ 君子危うきに近寄らず
「石橋」でも、「淺き川」でも、以上の諺が日本人の慎重性を表れている。この人々に教訓(xùn)、警戒を與える諺は、民族性を體現(xiàn)するとともに、日本人の小心翼翼の処世態(tài)度と落ち著いた処世作風(fēng)も分かるようになる。全體から見ても、日本民族性の重要な部分となる。4.3.3 曖昧な日本人
日本人が「曖昧な人」と評価されるは、よく耳にする。その曖昧もさまざまな形で現(xiàn)れる。
開いた口に団子 足下に火がつく 足を洗う
日本語には、身振りに関する用い方が多い。諺には、體の器官を利用して表す例も少ない。昔から島國で生まれて農(nóng)耕で活きている日本人が「自然と周りの物事との接觸、融和」を重視している。言語から見ると、自然と體の各器官を通して人の行為や人生道理を暗示する傾向が明らかになる。その他、自分の気持ちをはっきりしないで、體の器官と周りの物事を通して、自分の考え、態(tài)度を表すのは日本人の特別な民族性である。4.3.4 沈黙な日本人
日本人が「沈黙好き」と言われている。彼らはが口數(shù)の少ないことを崇める。お互いに譲り合って衝突を避けるからこそ、集団の存続と個(gè)人の安定があると思う?!秆预铯踏涎预Δ藙伽搿埂ⅰ秆预铯踏匣ā工胜嗓韦瑜Δ嗜毡救摔蝿I世術(shù)は沢山の諺の中に表れる。病は口よりいづ 口は災(zāi)いの元 口は人傷付ける斧
以上はみんな長期の社會(huì)的な実踐の中で日本人によって作り出されたものである。それは「雄弁,多言」などに対する一種の軽蔑といえるだろう?!敢孕膩恍摹埂缚堡扦铯搿工趣いθ毡救摔违ぅ岍`ジが生き生きと現(xiàn)れる。
第五章 諺の意味の変遷と言語構(gòu)造
言語が社會(huì)文化の一部分として、変わらないわけにはいかない。社會(huì)発展と進(jìn)歩と共に、人の観念も言語の意味も変わっていく。言語の知恵としての諺は、時(shí)代につれて変わっていきつづけている。
5.1諺の意味の変遷
1、「一姫二太郎」は、はじめに女の子を産んでから、次に男の子を生むという意味である。この原因は、男の子が家業(yè)を受け継ぎのは期待されているが、死亡率とか、子とも育てる経験とかを考えると、はじめに女の子を産む方が育てやすい。大きくなった女の子は、家事を手伝って弟にも世話にする。その上に、男を生む戸、すべてうまくいって、一番いい選択である。
しかし、時(shí)代が変わった。少子化がますますひどくなる日本では、子ともを期待する日本人に次のように解釈される。「家族には、女の子が一人、男の子が二人、子とも三人でどんな幸せなことだなあ!」という意味に変わった。このような解釈がもとの意味から大きくずれている。それで、日本社會(huì)の変化のき傾向と人々の思いも読まれる。
2、「子を持って知る親の恩」は、親になってからはじめて親の苦労と恩を知 るということだ。しかし、いまの日本人は、もっといい説明がある。自分が子供を持ってから、自分の親たちが孫に甘えてたまらなかった。きれいな服、バック、値段が高いオモッチャ、力を盡してできるだけものを買ってあげるといってもいいだろう。はじめて親になる若者たちにとって、精神と物質(zhì)からいろいろ助けてくるる親たちは、感謝している。思わずに「子を持って知る親の恩」ということばを感嘆する。親の恩は、子を持ってから、ようやく分かるようになった。
5.2 諺の言語構(gòu)造
諺の表現(xiàn)形式が豊富多彩である。
1、古文型
時(shí)は金なり
急がば回れ
2、音韻とリズム
人は人、我は我ちんぷん かんぷん
以上の例からみると、日本の諺は 古文型を多く使われているとともに、音韻とリズムも求めている。「短期は損気」「亀の甲より年の功」のように、同音を重ねたものあるかと思えば、「聞くは一時(shí)の恥、聞かぬ一生の恥」「桜折るばか、かき折らぬばか」のようのにな対句形式のものもあり、また、「好き腹にまずいものなし」(五七音)「かわいい子に旅させよ」(七五音)「帯に短し、たしきに長し」(七七音)のように、音數(shù)の重ねかたで調(diào)子を整えたものも、少なくあらない。諺には、音韻とリズムが日本の諺の美しさを作り出す。諺には、短くて、口調(diào)がいいものが多いだ。その言語形式から、日本人の好みも分かるようになった。
第六章 結(jié)論
以上をまとめて言うと、長い歴史を経て作り出された労働人民の知恵の結(jié)晶である諺は、労働人民を主體とする文化と強(qiáng)く繋がっている。そのため、外 國文化を探求しようとする時(shí)、その國の諺を勉強(qiáng)するのもいい方法の一つであるだろう。
今の世界は、國際的に大きな環(huán)境の中にいる。もし、この國を理解したいとしたら、まず、この國の民族性、文化特色を把握しなければならない。この理由と言えば、五つがある。
1、國際化社會(huì)の中に、國と國お互いに理解できるようにになるのは、新たな要求である。
2、會(huì)の変化、発展とともに、民族性の角から國の存在を探索するのも世界の趨勢である。
3、國際社會(huì)の各國の行動(dòng)を予測と把握するため、民族性に基づいた行動(dòng)考察は、もっと充実である。
4、各國の世論の趨勢を把握しようとする時(shí)、民族性も不可欠な要素となる。
5、文化に対する研究には、民族性を參考の標(biāo)準(zhǔn)にすべく。
諺は、國の言語蕓術(shù)として、音韻とリズムを豊富に含めるだけではなく、思想的な人生哲學(xué)も伝えてくれる。だから、人々に日常行動(dòng)の指針と方向になって、その國の民族性も読まれる。文章は、さまざまな方面から日本の諺の文化的特色について觸れたが、これを機(jī)會(huì)にこれから更に理解を深めて生きたいと思う。日本語學(xué)習(xí)者として、言語についての勉強(qiáng)は確かに重要だが、言語に関する日本文化、民族性、歴史などの考察も抜いてはいけないことである。この文章の中に、不観客と足りないところまだあるので、これからの研究中に進(jìn)んで上達(dá)になりたいと思う。それに、、本章は、日本文化に関わった部分が少なくて、これからその面について研究していきたい。
參考文獻(xiàn)
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第二篇:日語系畢業(yè)論文
畢業(yè)設(shè)計(jì)(論文)
(20 屆大學(xué)本科)
題 目:
學(xué) 院:外國語學(xué)院
專 業(yè):日語
班 級:
姓 名:
學(xué) 號:
指導(dǎo)教師:
年 月
Declaration
I,(), the undersigned, hereby declare that this dissertation does not contain any material which has been accepted for the award of any other degree or diploma in any institutions of higher learning and that, to the best of my knowledge and belief, this dissertation does not contain any material previously published or written by another person, except when due reference is made in the text of the dissertation.Signed:
Date: 2009年6月
誠 信 宣 言
我,鄭重宣布:除了參考文獻(xiàn)所標(biāo)明引用的資料和內(nèi)容之外,本論文中不包含有任何已經(jīng)被其他高等教育機(jī)構(gòu)所接受的學(xué)位或?qū)W歷論文資料,也不包含有其他任何人已經(jīng)正式出版的資料內(nèi)容。
簽字:
日期:2009年6月
摘 要
動(dòng)漫產(chǎn)業(yè)作為新興的文化產(chǎn)業(yè)已受到世界各國的廣泛關(guān)注,動(dòng)漫產(chǎn)業(yè)作為能耗低、無污染、利潤高的一個(gè)新興產(chǎn)業(yè)被稱為是繼IT產(chǎn)業(yè)后的又一綠色環(huán)保產(chǎn)業(yè)。日本的動(dòng)漫產(chǎn)業(yè)則是非常的發(fā)達(dá),已經(jīng)成為日本的第三大產(chǎn)業(yè),對日本政府的財(cái)政收入做出了很大的貢獻(xiàn)。日本的漫畫和動(dòng)畫片等不僅在日本本國受到歡迎,在世界各地也很有人氣。當(dāng)然,日本現(xiàn)如今的動(dòng)漫產(chǎn)業(yè)規(guī)模并不是一朝一夕之間形成的,在它成功的背后是有許多必要因素的。本文以近兩三年來取得極大成功的《死亡筆記》為參考,分析日本動(dòng)漫產(chǎn)業(yè)的成功原因。
第一、日本動(dòng)漫在內(nèi)容上充滿人性與生活性,題材豐富、大膽。日本動(dòng)漫把漫畫定位在“國民全都可以看”的位置上,兒童、成人都可以看。
第二、日本動(dòng)漫產(chǎn)業(yè)已形成完備的產(chǎn)業(yè)鏈,產(chǎn)業(yè)的運(yùn)營方式也走在世界的前列。
第三、日本動(dòng)漫產(chǎn)業(yè)宣傳方式的多樣性與長期性。
第四、政府對動(dòng)漫產(chǎn)業(yè)大力支持,不僅僅重視,還制定了各種優(yōu)惠政策。
與之相比,中國的動(dòng)漫產(chǎn)業(yè)存在許多問題。雖然有內(nèi)容單調(diào),宣傳方式落后,沒有形成產(chǎn)業(yè)和政府的過度干預(yù)等問題,但從長遠(yuǎn)來看,中國的動(dòng)漫產(chǎn)業(yè)在市場、文化和發(fā)展空間上還是擁有很大的優(yōu)勢。中國的動(dòng)漫產(chǎn)業(yè)不斷吸取日本的先進(jìn)運(yùn)營方式及經(jīng)驗(yàn),結(jié)合本國的發(fā)展優(yōu)勢,其騰飛指日可待。
關(guān)鍵詞:動(dòng)漫產(chǎn)業(yè);宣傳方式;產(chǎn)業(yè)化經(jīng)營;《死亡筆記》
Ⅰ
要 旨
漫畫産業(yè)は新興な文化産業(yè)として、世界各國に広く注目された。漫畫産業(yè)は消耗が低く、汚染がなく、利潤が高い新興産業(yè)として、IT産業(yè)に次いでの第二番目のグリーン産業(yè)と稱される。世界範(fàn)囲から見れば、近年、漫畫産業(yè)を代表とする日本文化産業(yè)の発展は目覚しく、漫畫産業(yè)はもう日本の支柱産業(yè)になりつつあるといっていい。日本の漫畫産業(yè)の成功は文化と商業(yè)の完璧な結(jié)合から來ている。日本の漫畫は産業(yè)化が完成し、そして、完備な産業(yè)チェーンと成熟な市場が形成されている。日本では、漫畫産業(yè)は非常に発達(dá)していて、すでに一種の産業(yè)となり、國家の財(cái)政収入に大きな貢獻(xiàn)をしている。日本の漫畫は日本國內(nèi)だけではなく、世界のほかの國でも大変人気がある。もちろん、日本現(xiàn)在の漫畫産業(yè)の規(guī)模は一朝一夕で形成したものではなく、漫畫産業(yè)の成功にはいろいろな要素が要る。日本の漫畫産業(yè)の成功に以下の理由があると思われる。
第一、日本の漫畫は內(nèi)容の面で人間性と日常性に満ち、題材も豊かで、大膽である。日本の漫畫産業(yè)は漫畫を「年齢、性別を問わず、全國民のもの」に位置づける。
第二、日本漫畫産業(yè)はすでに完備した産業(yè)チェーンが形成され、運(yùn)営方式も世界の先端を走っている。
第三、日本漫畫産業(yè)の宣伝方式が多様で、長期にわたるものである。
第四、政府は漫畫産業(yè)を重視し、支持するだけではなく、様々な優(yōu)遇政策も出している。
これに対し、中國の漫畫産業(yè)はかなりの問題を抱えている。內(nèi)容の単調(diào)化、宣伝方式の立ち遅れ、産業(yè)チェーンの不備と政府の過度な介入などがあるが、將來性から見れば、中國の漫畫産業(yè)はやはり市場、文化、発展空間などの有利な面もある。中國の漫畫産業(yè)は日本の漫畫産業(yè)から先進(jìn)的理念と経験を取り入れ、わが國の漫畫産業(yè)の自立発展を目指せば、中國の漫畫産業(yè)のテークオフもそう遠(yuǎn)くはないだろう。
キーワード:漫畫産業(yè);宣伝方式;産業(yè)化経営;?デスノート?
Ⅱ
目
次
はじめに????????????????????????????1 1日本漫畫産業(yè)の現(xiàn)狀について??????????????????????1 1.1日本漫畫の発達(dá)史および國の関連政策????????????????1 1.2日本の漫畫産業(yè)の現(xiàn)狀――『デスノート』を例に??????????2 2中國の漫畫産業(yè)の現(xiàn)狀?????????????????????????4 3日本の漫畫産業(yè)発達(dá)の理由分析及び中國への示唆?????????????6 3.1日本の漫畫産業(yè)発の理由??????????????????????6 3.2 中國への示唆???????????????????????????7 終わりに?????????????????????????????????8 參考文獻(xiàn)????????????????????????????????9 引用文?????????????????????????????????10 謝辭??????????????????????????????????11
Ⅲ 日本の漫畫産業(yè)及び中國の漫畫産業(yè)への示唆について
はじめに
私は小さい頃から、ずっと漫畫が大好きである。名探偵コナン、ドラえもん、犬夜叉 など相當(dāng)の漫畫とアニメを読んだり、見たりしていた。私の読んだ、見た漫畫とアニメはほとんど日本のものである。中國のアニメも見たことがあるが、あまり好きではない。なぜ日本の漫畫産業(yè)はそんなに成功しているか。中國もアニメがあるが、なぜ中國の漫畫産業(yè)は日本に及ばないか。日本の漫畫産業(yè)の成功の教訓(xùn)を中國の漫畫産業(yè)に紹介し、中國の漫畫産業(yè)の発展に助言したいと思って、本論文を作成するわけである。日本の漫畫産業(yè)の現(xiàn)狀について
日本の漫畫産業(yè)は日本國內(nèi)にも國際にも、大きな影響力を持っている。日本の漫畫とアニメは、圧倒的な魅力でマレーシア、韓國、シンガポールなど世界各地で、はやっているが、中國では、更に大きいブームを起こしている。
1.1 日本漫畫の発達(dá)史および國の関連政策
日本の現(xiàn)代漫畫産業(yè)の発生は歴史上の特殊な事件とは密接な関係がある。第二次世界大戦後、米軍は日本の戦時(shí)の法規(guī)、法令を廃止し、日本は國民経済の非軍事化を?qū)g行すると同時(shí)に米國の文化を代表した西洋文化の影響を深く受けた。その時(shí)米國の漫畫産業(yè)はとても発達(dá)していた時(shí)期であり、これは直接日本の漫畫産業(yè)の発展を刺激し、そしてその後の日本漫畫産業(yè)の全面的な発展に強(qiáng)固な基礎(chǔ)を打ち立てた。
一方、戦後、日本は急速な発展に入り、人々は高い効率を求める社會(huì)で生きている。競爭も激しくなった。これを背景に、漫畫とアニメなどはその人間性と生活性のあるストーリー、気楽な表現(xiàn)形式と簡潔な視聴覚効果で、國民の心身をリラックスする需要に迎合し、戦後の世界平和の発展の潮流にあって、人々がより早く、よりよい情報(bào)を得ることができた。そのため、日本の漫畫などは日本社會(huì)で高い人気を得た?,F(xiàn)在では、日本の漫畫産業(yè)はすでに一種の産業(yè)チェーン、完備した産業(yè)チェーンも形成された。人材も豊富だし、技術(shù)も市場(國內(nèi)市場と國際市場)も成熟である。「デスノート」はその大きな背景において、成功と遂げた。
政府の積極的な推進(jìn):アニメーション映畫の國際上の販路を拡大して、海外で日本文化の伝播と影響を加速して、壯大するために、日本政府と東京政府はすべて日本のアニメーション産業(yè)に対して支持政策を?qū)g施する。日本政府はアニメーションを重要な輸出産業(yè)とするだけではなくて、獨(dú)立な文化として育成して、政策、資金、組織で大きく手伝う。4月10日の「朝日新聞」によって、日本外務(wù)省はまた「政府開発援助」中の24億円の「文化無償援助」資金を利用してアニメーション製作商からアニメーションの放送版権を買って、そしてこれらの買って來たアニメーションを無償で発展途中の國のテレビ放送局に提供して、巨額の資本を使ってアニメーションの放送権を買うことができない発展中國も日本のアニメーションを放送できるということを決定した。外務(wù)省はこうすれば、海外に日本のアニメーションの文化を広めるだけではないことができて、更に日本は外國の青尐年の間での影響を広げることができて、更に多くの「日本流」を育成いて、一挙に多いと思っている。
1.2 日本の漫畫産業(yè)の現(xiàn)狀――『デスノート』を例に
まず、ストーリー自身から見れば:中國の新聞「新京報(bào)」2006年11月25日の「《死亡筆記》:“灰色”也能走紅」という文章の中で「デスノート」の成功原因については、以下のように述べた。ストーリーの設(shè)定は非常にユニークである。名門校の優(yōu)等生夜神ライトは自分の方法と能力で世界に公正を獲得させようと思って、しかし彼が「私が新世界の神になる」と言い出す時(shí)、悪と正義の區(qū)分がそんなに明らかではないということになった?!阜嗓瓮猡侵撇盲蚣婴à搿工韦瑜Δ蕵O端のやり方は一方では反逆を尊ぶ青尐年を満足させ、一方も大人の観衆(zhòng)に心配と感じさせる。幸いに映畫は単に恐怖の元素を強(qiáng)調(diào)していなくて、多くの深さのある思考も加えた。陰気な灰色のストーリーはまさに「デスノート」の超人気の原因である。
それで、「ミステリーの物語として結(jié)構(gòu)トリックが効いてたりして、とても尐年誌の漫畫とは思えないところもある」と日本の小説家乙一が高く「デスノート」を評価した。
それから、漫畫を描く小畑健は非常に有名な漫畫家であって、優(yōu)れた才能を持っている。彼は「500光年の神話」で第30回手塚賞準(zhǔn)入選(1985)。2003年、手塚治蟲文化賞新生賞受賞。作者の知名度もある程度で作品の人気を高める役割を果たしている。最後、華麗な畫風(fēng)と先進(jìn)の制作
技術(shù)によって、「デスノート」の漫畫とアニメの畫面が非常にきれいである。
「デスノート」の成功から日本漫畫産業(yè)の成功原因を分析する研究が今はほとんどない。本稿では、「デスノート」の成功をきっかけに、四つの方面から、日本漫畫の成功原因を分析する。
「そのノートに名前を書かれた人間は死ぬ」という力を持つ、死神が落とした恐れるべき「デスノート」。天才的な頭脳を持ち、退屈を持て余していた高校生 夜神ライトがそれを拾った時(shí)から、すべてが始まった。デスノートを使って、世の中に溢れる犯罪者たちに次々と死の制裁を下ろしていくライトは、いつしか「キラ」と呼ばれるようになる。殺された人數(shù)の増加につれて、FBIに頼まれた天才ともいえるLが殺人事件の真実を調(diào)べ始めた。天才VS天才の戦いが始まった。果たしてライト=キラは、世界を救う救世主なのか、それとも獨(dú)裁的な殺人者なのか。キラを崇拝するもの、その行為を否定するもの。世界は大きく揺れ動(dòng)いていく…。①
第一、「デスノート」の內(nèi)容は非常に大膽で、ユニークである。まず、名前を書き、人を殺すこと自身は非常に不思議で、想像できないことだと思われる。人を殺すことはそんなに簡単なことなのかと人々に深く考えさせる。それから、被害者が犯罪者で、そういう人たちを法律外で懲罰することはいったい正義なのかと人々が読めば読むほど自然にそういう問題を考えるようになる。最後、死神の神秘的な存在も「デスノート」の高い人気の原因の一つ。
第二、內(nèi)容には殘酷と血なまぐささが満ち、ある程度で現(xiàn)代人のストレスが解消できる?,F(xiàn)代社會(huì)の速い発展のため、競爭が激しくなる。激しい競爭の中で、自分の発展を図る人々の圧力も大きくなる。毎日忙しく働いている人々が一種の重苦しい狀態(tài)の中にあり、ストレスのはけ口が尐ないといわれている?!弗钎攻惟`ト」の內(nèi)容には殘酷と血なまぐささが満ち、それを見て、ある程度で心理的には一種のストレスのはけ口となる。
第三、主人公は二人の優(yōu)秀な男を設(shè)定し、今の尐女たちの「BL情緒」に想像の空間を與える。今、「耽美」という言葉がよく見られる。「耽美」はもともと「美にふけり楽しむこと」の意味である。でも、60年代から、この語はだんだん漫畫用語となり、「耽美漫畫」つまり「BL漫畫」の意味である。そのような漫畫は尐女たちの中で非常に人気がある。インターネットで「デスノート同人」を入力し、検索したら、數(shù)ページが出てくる。「デスノート」の同人誌を売るオンラインショップも多い。Lとライトは立派な男であり、それを見ている尐女たちは二人の間の「ピンク」を探し、二人は何か曖昧な関係にあると思ってしまった。漫畫のそういうところはちょうど尐女たちの「BL情緒」に想像の空間を與え、尐女たちの目を集め、最後、作品の人気も高まってくる。
第四、ストーリーが込み入り、複雑である。警察とキラの戦い、ライトとLの頭脳戦が非常に観客の目を集めた。ライトのまとまった殺人計(jì)畫とLの殺人事件を分析する能力はみんなポイントである。Lはライトを疑ったが、証拠がないので、ライトを監(jiān)視する行動(dòng)をとった。ライトはLの監(jiān)視行動(dòng)を知ったので、Lの疑いを解消するように、対策もとった。監(jiān)視されているが、ライトはポテトチップスを取るふりをし、パッキングに手を伸ばし、その中にあるデスノートの紙に、犯人の名前を書き、人を殺した。この作品の中で、このような心理戦と頭脳戦が何回もあり、大変受けがよい。
第五、青尐年の心理問題も反映された。ライトは非常に優(yōu)れている學(xué)生で、どうしてそんなに極端な手段をとったのか。外見から前向きで、優(yōu)等生であるが、內(nèi)心は黒い。このようなアニメ 映畫を見ることによって、社會(huì)は青尐年の心理教育を考え始めた。
日本漫畫産業(yè)はすでに産業(yè)チェーンが形成された。
「デスノート」の成功から、日本漫畫の産業(yè)化経営も見られる――週刊尐年ジャンプ で連載→単行本の出版→映畫「デスノート」前編→アニメーション―映畫「デスノート」後編→文化関連商品とその二次元商品:本(漫畫、雑誌、同人誌など)、映像化商品(ビデオ、VCD*OVAなど)、キャラクター商品、カレンダー、ノート、ポスターなどの販売→「デスノート」の大成功。②
漫畫雑誌と漫畫の単行本の出版を通じ、人気のある漫畫が出てくる。そして、その過程の中で、書類の販売によって、第1ラウンドの値上がりが実現(xiàn)できる。その後、それらの人気漫畫をOVAあるいはTV版のアニメーションに改編し、成功の後でも劇場版のアニメーションを作って映畫館で放送することができる。改編する時(shí)に、広告會(huì)社は若干放送前で広告を差込みたい企業(yè)を組織して共に出資することができる。資金の一部分は広告費(fèi)として、他の部分はテレビ局がアニメーション會(huì)社に手渡して制作費(fèi)として、第2ラウンドの値上がりが実現(xiàn)できる。同時(shí)に、アニメーションの音響製品、ビデオ製品、アニメーション形象の使用権、ゲームの改編権もアニメーション製品の価値をその他の市場に連れて入り、またもう1ラウンドの値上がりができる。これが日本漫畫産業(yè)の運(yùn)営モードつまり産業(yè)チェーンである。中國の漫畫産業(yè)の現(xiàn)狀
中國の漫畫産業(yè)は完備した産業(yè)チェーンがない。人材が乏しく、漫畫を描く人材を養(yǎng)成する學(xué)校が尐ない。消費(fèi)市場が十分に開発されていない。中國では、「動(dòng)漫」(アニメ 漫畫)というと、まだまだ「子供のもの」というイメージが強(qiáng)い。
中國政府もアニメを「國の産業(yè)」と認(rèn)識し、國産アニメの保護(hù)と育成に力を入れ始めた。2004年3月31日に國家?guī)陔娋t局は各省、自治區(qū)、直轄市の広播影視局及び新疆生産建設(shè)兵団広播電視局に、「子供チャネル開設(shè)に関する通知」を出した。この中で、2004年の內(nèi)に三分の一の省級テレビ局及び副省級テレビ局が、子供チャネルを開設(shè)、そして、2005年の年末までに、更に三分の一の省級テレビ局及び副省級テレビ局が、そして2006年年末までには全國すべての省級 副省級テレビ局が子供チャネルを開設(shè)するよう目標(biāo)つけられている。③ この発表から五、六ヶ月の間に、天津、上海東方,南京,江蘇で子供チャネルがスタートし、更に湖南、北京、上海で大型のアニメ専門チャネルがすでに放送を開始した。しかし、中國では アニメは子供が安心して見られるコンテンツでなければならない ため、アニメの描寫(性的なもの、暴力的なものなど)に対して厳しく制限が設(shè)けられている。2004年の通知は、単にアニメを中心とする子供番組のコンテンツの推進(jìn)を図るだけではなく、子供が大人向けの番組を見て成長に有害な影響を受けないよう、子供向けの良質(zhì)なコンテンツを?qū)熼Tに放送するチャネルを開設(shè)する目的が大きいといえる。その結(jié)果、大人向けの市場が無視された。
海外のコンテンツを中國に輸入するためには、輸入の審査や申請が繁雑な上に時(shí)間がかかる。更にテレビ放送においては、海外コンテンツの放送はアニメ番組全體の4割以內(nèi)と規(guī)定されている。また、ソフト販売、キャラクター商品販売においては海外版問題も深刻である。海外のアニメの輸入については、その內(nèi)容審査が厳しいだけではなく、輸入できる機(jī)構(gòu)も広電総局が指定した機(jī)関、もしくは批準(zhǔn)された機(jī)構(gòu)と厳しく規(guī)定されている。そして、輸入できる量も、自社で制作している國産アニメの量を超えることができない。また、輸入だけではなく、放送に関しても、海外アニメは総アニメ放送の4割を超えてはならない、という規(guī)定があり、輸入 放送ともに厳しく制限されている。あまりにも自國の漫畫産業(yè)を保護(hù)し、あえて新しい技術(shù)、経験を?qū)Wぶチャンスがなくなる。海外からの競爭と刺激が尐ないので、発展する意欲がだんだん弱くなってくる。中國は今漫畫産業(yè)発展の必要性を認(rèn)識したが、かなりの問題點(diǎn)もある。視聴者の位置づけとか、政府の過度介入とか、自國漫畫産業(yè)の過度保護(hù)など、これらの問題を解決しないと、中國漫畫産業(yè)の十分な発展はありえない。中國では、漫畫産業(yè)があるが、産業(yè)チェーンがまだ形成されていない。日本ではまず漫畫雑誌での連載があり、単行本になり、人気の新作がアニメやドラマになり、更に映畫になり、その過程でキャラクター商品がヒットするというアニメ業(yè)界が連鎖して一つの作品に関わっているのに対し、中國ではどれでも単発的である。早く産業(yè)チェーンを形成しないと、発展はそのまま足踏みだけである。日本の漫畫産業(yè)発達(dá)の理由分析及び中國への示唆 3.1 日本の漫畫産業(yè)発達(dá)の理由
日本漫畫産業(yè)の成功には共通の原因がある。その共通の原因については、中國の研究者が以下のように分析している。
1.文化の特性:日本漫畫産業(yè)の発展は、まずその文化の単一性のおかげである。日本は単一民族とも言え、99%以上の國民が大和民族の人である。単一民族は統(tǒng)一の文化観と価値観が形成しやすく、人々により広い範(fàn)囲と高い程度で同じものを受けることができる。日本漫畫産業(yè)の発展はまさに日本國內(nèi)で広範(fàn)囲の普及度と頑丈な基礎(chǔ)を前提にしている。また日本漫畫産業(yè)の発展はその文化の開放性のおかげである。日本の漫畫などは、様々な外來文化を吸収し、その中で、中國の古典文化の影響が一番大きい。
2.強(qiáng)力な運(yùn)営モード:普通、漫畫産業(yè)チェーンはアニメ?漫畫の出版物と音響映像製品、アニメの放送あるいは上映とキャラクター商品を含んでいると思われる。
日本の漫畫産業(yè)の発展戦略はテレビ番組の広告の収入を漫畫?アニメの創(chuàng)作資金に當(dāng)て、玩具などの二次元商品の巨額利潤でテレビ局のアニメーションの番組制作に投資し、更に再度新しい漫畫?アニメのキャラクター商品の開発を動(dòng)かし、映畫、テレビ、音楽、出版、テーマパークの発展を推進(jìn)する。④
現(xiàn)在日本の漫畫産業(yè)はすでに完備した産業(yè)チェーンと熟した産業(yè)の運(yùn)営モードができた。そして巨大な経済利益を得る。
3.すばらしい製作: 漫畫の製作は秒の価値によって計(jì)算する高い投入産業(yè)である。宮崎駿、大友克洋、押井守のような漫畫大家達(dá)の投入製作した漫畫映畫はややもすれば數(shù)10億円のである。漫畫の吹き替えをした人員(日本で聲優(yōu)と稱される)も専門的な訓(xùn)練を受けて、スターとして舞臺に登る。全ての日本の漫畫は細(xì)かい點(diǎn)の処理の上でも完璧に近い。唯美的な流暢的な畫面、空いっぱいに飛び舞う桜と羽、主人公の生き生きとしている顔の表情など、いずれも人に深い印象を與える。それの外に、いいアイデアのあったシナリオも漫畫の強(qiáng)大な核心と支柱である。日本の漫畫は近年なぜそんなに人気があるか。美しい畫面という原因の外に、よいシナリオは一番重要な原因である。情熱、夢想、奮闘などいつもあり、また忠誠、裏切り、妥協(xié)、選択、愛と恨み…こもごも入り交じる?!溉共妗?、「頭文字D」、「名探偵コナン」、「EVA」などの作品は多くの中國人の好感を得ている。日本の漫畫と比べて、中國で放送された漫畫はまったく幼稚園の水準(zhǔn)で
ある。畫面が粗雑で、生気がなく、段階が鮮明ではない。青尐年にとって、魅力はぜんぜんない。政府の様々な規(guī)定があるから、中國の漫畫は多くの制限を受ける、4.漫畫のとらえかた:日本の漫畫の內(nèi)容はあらゆるものを網(wǎng)羅していて、童話、サイエンス フィクション、冒険、愛情、スポーツ、歴史、科學(xué)、経済、宗教、娯楽から文蕓小説、ノンフィクション文學(xué)、政府の文獻(xiàn)、學(xué)生の課外指導(dǎo)材料…ないものはない。日本漫畫作品の影響力の巨大さと販売量の多さは世界でも前列に並ぶ。
1990年の統(tǒng)計(jì)によれば、日本で漫畫週刊、隔週刊は78種類、月刊が2246種類、合わせて2324種類もあるという。毎月、漫畫の単行本は約300種類出版される。年間漫畫の書籍と雑誌の販売量は35,889,全部の書籍と雑誌の販売量の45%をしめる。⑤ 漫畫の読者の年齢構(gòu)造は幼児から40歳ぐらいの中年人までである。日本の出版界で有名なスローガンのひとつには「三歳から八十歳までの人にはすべて漫畫を見させる」というのがある。日本の漫畫は20世紀(jì)八、九年代から題材が三つのタイプに分けられた。それはつまり尐年のアニメ、尐女のアニメ、成人のアニメで、実際はそれは三つの視聴者の価値指向を代表しているので、非常に重要なことである。中國の漫畫はまだ説教の程度に止まり、子供の漫畫と捉えられている中國漫畫は大部分の青年、成年を含む社會(huì)主流群體の承認(rèn)を得られないのも無理がない。
3.2 中國への示唆
日本の漫畫とアニメは読者と観客によって、明確に分類されている。児童向け漫畫、尐年漫畫、尐女漫畫、青年漫畫、レディースコミックと青年向け漫畫(18禁漫畫)に分けている。⑥ 漫畫とアニメは日本では全國民が誰でも見るものである。でも、中國では、漫畫の內(nèi)容は主に神話とか寓話とかのような教育性の強(qiáng)く、子供向けのもので(《大鬧天宮》、《海爾兄弟》など)、大人はあまり見ないのである。それゆえ、中國の漫畫の対象は子供たちに限られ、內(nèi)容も狹まっている。もっと、幅広い範(fàn)囲で、すべての人に向ける漫畫を作ることが求められている。また、中國では、漫畫とアニメから改編した映畫が尐ないし、漫畫のため、わざとホームページを作ることも尐ない?!弗钎攻惟`ト」の宣伝方式から見れば、まずインターネットでの宣伝が非常に重要になった一環(huán)である。漫畫や映畫などのため、公式サイドを作ることは中國ではほとんどない。それから、日本國內(nèi)と海外香港での同時(shí)上映もポイントの一つ。日本國內(nèi)だけではなく、海外の人気も集まった。最後、「デスノート」の宣伝日記によると、「デスノート」の宣伝活動(dòng)は非常に緊密で、計(jì)畫性がある。最新情報(bào)は3月14日のことである(検索した日は3月20日である)。
2006年に上映された映畫だが、今も情報(bào)を更新している。中國の映畫の宣伝と違って(中國の映畫の宣伝活動(dòng)は主に上映直前と公開中に集中している)、長期間の宣伝である。
中國の漫畫産業(yè)はもっとインターネットを利用し、まとまった宣伝計(jì)畫を立て、自分の作品を中國全國あるいは世界に広げるべきだ。
中國の漫畫産業(yè)の発展も自分にとって有利な面もある。
1.市場の未來性:中國の漫畫産業(yè)は十分に発展していないため、発展の空間も大きいし、他の國から経験を汲み取ることもできる。マスメディアの発展はアニメーションに巨大な発展のチャンスを與え、映畫からテレビまで、また、インターネット、移動(dòng)通信まで、アニメーションはメディアの一つの內(nèi)容として巨大な需要に直面している。非常に未來性があるし、多様な可能性がある。
2.文化の奧深さ。文化の方面、中國は豊かな文化資源を持ち、アニメーションの題材の最大の基地となった。中國の文化は長い歴史の発展の中で、外來の文化の長所を吸収し、ずっと自分の獨(dú)立性も維持し、世界の獨(dú)特な文化のタイプになっている。その影響は世界の文化にも巨大な貢獻(xiàn)をもたらした。日本のアニメ?漫畫は多くの方面で中國の文化から受ける影響が見える。また、中國のアニメーションの制作者は米國のアニメーションの製作技術(shù)を中國の民族の蕓術(shù)を結(jié)合し、各種のその他の手法(水墨畫、折り紙蕓術(shù)、人形など)を試みる。これも中國のアニメーション制作の大きな優(yōu)位である。
終わりに
中國と日本は、國の事情が大いにことなっている。もちろん、漫畫産業(yè)の背景も違っている。したがって、中國はこれらの新しいメディアのプラットフォームの上に巨大な創(chuàng)作の基礎(chǔ)があり、また、巨大な市場の消費(fèi)空間があり、更に一歩一歩完備されている政策とあいまって、中國の漫畫産業(yè)のテークオフが遠(yuǎn)くないと思われる。
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私はこの拙い卒業(yè)論文の完成に當(dāng)たり、ご指導(dǎo)の海洋大學(xué)日本語學(xué)科の張秀梅先生に心から深く感謝を申し上げます。最初の論文の構(gòu)想から論文テーマーの確定、論文資料の準(zhǔn)備、疑問の解答、論文の修正まで、張先生はずっと熱心に辛抱強(qiáng)く指導(dǎo)してくださいました。この半年の長い間、張先生は何回もわざわざ時(shí)間を作って、論文についていろいろ指摘してくださいました。張先生のおかげで、私の卒業(yè)論文は計(jì)畫通りに完成いたしました。張先生のご指導(dǎo)は私にとって、大きな助けになってきました。もう一度感謝のことばを述べさせていただきます。
第三篇:本科畢業(yè)論文(日語系)
四川師范大學(xué)本科畢業(yè)論文
四川師范大學(xué)成都學(xué)院本科畢業(yè)論文
女性に関する日本語
學(xué)生姓名 學(xué) 號 所在學(xué)院 專業(yè)名稱 班 級 指導(dǎo)教師
陳靜 2011122038
外國語學(xué)院
日語
2011級國際商務(wù)班
李佳澍
四川師范大學(xué)成都學(xué)院
I
二○一五年五月
四川師范大學(xué)本科畢業(yè)論文
女性に関する日本語
要旨:みなさんご承知のように、日本語の言い表すは男女性別の差を存在した。女性語というのは、女性がよく単語や言い表すを使って、それは男性の単語の概念に対応した。日本語は男性と女性に分かれって、他の言語の特徴から區(qū)別された。この違いは、長い歴史を持った。日本語に女性語が生まれることは必然的な現(xiàn)像であって、日本當(dāng)時(shí)の社會(huì)を代表しって、使く者の社會(huì)心理を反応しって、それは使く者が社會(huì)、文化、地位の面の考え方に言語現(xiàn)像を表した。
この文章は歴史文章と會(huì)話の用例を通じって、女性に関する日本語の起源と移り変わり、男性言葉と女性言葉の區(qū)別を探求しって、その上、日本の社會(huì)、歴史と日本の考え方と心理を結(jié)びつけって、さらに日本の女性の言語に隠されたルートの言語現(xiàn)像の原因を探った。
キーワード:女性語 男女の差 起源 移り変わり
II
四川師范大學(xué)本科畢業(yè)論文
關(guān)于女性的日本用語
學(xué)生:陳靜 指導(dǎo)教師:李佳澍
摘要:眾所周知,日語的表達(dá)方式存在著男女性別上的差異。所謂女性語,即女性常用的語言及其表達(dá)方式,它是與男性所使用的語言相對應(yīng)而產(chǎn)生的概念。語言有男女性別之分,是日語有別于其他語言的明顯特點(diǎn)。這種差異由來已久。日語中女性用語的產(chǎn)生是日本的一種社會(huì)必然現(xiàn)象,代表著日本當(dāng)時(shí)的社會(huì)價(jià)值趨向,反應(yīng)出使用者的社會(huì)心理,是語言使用者處于社會(huì)、文化、地位等方面的考慮所表現(xiàn)出來的一種語言現(xiàn)象。
本文將通過歷史文獻(xiàn)以及會(huì)話例句為資料,探究日語女性用語的起源和變遷以及男性用語與女性用語的區(qū)別,并且與日本的社會(huì)、歷史和日本的思想、心里等結(jié)合,進(jìn)一步探討潛藏在日語女性用語這一語言現(xiàn)象的深刻原因。
關(guān)鍵詞:女性用語 男女差異 起源 變遷
III
四川師范大學(xué)本科畢業(yè)論文
目次
1.はじめに...................................................................................................................................1 2.女性語の由來..........................................................................................................................1 3.女性語の特徴..........................................................................................................................1 4.現(xiàn)代女性用語の特徴............................................................................................................4 4.1音聲語調(diào)...............................................................................................................................5 4.2.語彙運(yùn)用..............................................................................................................................5 4.3敬語運(yùn)用...............................................................................................................................6 4.4文末形式...............................................................................................................................6 5.女性用語と日本社會(huì)における女性..................................................................................7 6.人稱代名詞................................................................................................................................7
6.1終助詞....................................................................................................................................8 7.おわりに.....................................................................................................................................8 注釋.................................................................................................................................................9 參考文獻(xiàn)......................................................................................................................................10 謝辭...............................................................................................................................................11
IV
四川師范大學(xué)本科畢業(yè)論文
關(guān)于女性的日本用語
1、はじめに
言語は人類が交流する目的を果たすための道具で、言語を正確に理解し、使用するのは人類が順調(diào)にコミュニケーションを取るための土臺である。日本語では普段の中性語以外に、女性がよく使う表現(xiàn)方式――女性用語がある。日本社會(huì)で、特に古代において、女性には特定の言語を持っていた。これらの女性用語を研究また分析することで、より深く日本社會(huì)の女性及び日本語の特徴を理解することができる。
2、女性語の由來
女性用語、名の通り、女性が使い慣れている言語或いは表現(xiàn)方式で、男性が使用する言語とは対的なものである。女性用語は男性用語に比べて最も大きな區(qū)別はその穏やかな上品さと謙遜さである。日本における女性用語の出現(xiàn)は日本において女性が置かれている社會(huì)生活環(huán)境や社會(huì)の発展と密接な関係を持っている。平安時(shí)代まで、日本語の中には性別による用語の差はなく、女性らの言語の運(yùn)用も自由であった。日本の一冊目の和歌集《萬葉集》注1の中で、日本女性の生活の自由、奔放、情熱などの場面の記述が既にあった。つまり、當(dāng)時(shí)の女性は政治においても高い地位を持っており、言語の使用にあたっても男性との間にまったく差がない。しかし社會(huì)の発展に伴って、中國の古代文化が日本に伝わった後、日本社會(huì)における形態(tài)交代を加速させた。すなわち古代の「祭政一致」の時(shí)代から「祭政分裂」へと転換した。また、政治社會(huì)における祭祀活動(dòng)の重要性が薄くなっていくにつれて、女性の政治地位も次第に下がってきた。そして同時(shí)に、中國の文字が日本に伝わり、徐々に日本人の言語表現(xiàn)手段になって以降、日本の女性は言語活動(dòng)の外へと締め出され、言語活動(dòng)と社會(huì)地位はある程度制限されてしまった。平安時(shí)代に入ると、日本には言霊思想関連の「斎宮祭詞」が出現(xiàn)した?!笖葘m祭詞」は當(dāng)時(shí)伊勢皇大神宮の専従者らの女性達(dá)が創(chuàng)り出した語彙で、理由として、彼女達(dá)は直接神聖な物事の名前を口にすると、神様を汚し、神霊に対して不敬で、災(zāi)難をもたらせてしまうと
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四川師范大學(xué)本科畢業(yè)論文
考えているからでである。したがってこのような社會(huì)を封鎖する言語が出現(xiàn)し、「隠語」と同様である。例えば、大仏を「中子」と、修道僧を「髪長」と、病を「休息」と、経書を「染紙」と、血を「汗」と、死を「快癒」と呼んだりするなどが挙げられる。これらの「斎宮祭詞」は禁忌によって生み出された婉曲的な用語で、歴史において最も早く出現(xiàn)した女性用語とされている。禁忌心理によって女性用語が生み出されたが、その原因の元として、平安時(shí)代における女性社會(huì)が大きく制限されるようになったからである。當(dāng)時(shí)は上層社會(huì)において、男女は直接面を向かって交流することができなかった。その代わり、腰元や女中に介して意思伝達(dá)したり、カーテンを隔てて対話したりしていた。女性は「言葉を慎む」ことが求められ、才気を出すことが禁止されていたため、平安時(shí)代における男女間の地位は大きな差が開いた。そして室町時(shí)代になると、日本女性は「女房詞」と呼ばれる婉曲的な言語表現(xiàn)方式を創(chuàng)り出した。「女房」とは宮中で仕える女官で、部屋も與えられる。彼女達(dá)は物事と関連する不愉快や不潔な感じをもたらす言葉を口にすることを避けるため、食物や生活用品などにおいて、できるだけ異なる言い方を取る。即ち「女房詞」注2である。例えばあおもの、しゃもじ、さもじなどがあり、これらの言葉の一部は現(xiàn)代でも使われており、男女通用の言葉となった。しかし當(dāng)時(shí)では、女性が婉曲的に話すことが美徳で、「女らしい」上品さがあるとされていたため、人々は徐々に「女房詞」の由來を忘れるようになった。やがて社會(huì)の発展に伴って、「女房詞」は宮廷に限らず、上層社會(huì)や一般庶民の間でも流行り始め、その數(shù)や使用面においても広くなりつつあった。江戸時(shí)代において、女性が集まる業(yè)界では、例えば女中の間では「女中語」が生まれた。これらの言葉の出現(xiàn)は女中或いは蕓妓の方言訛りを隠して客への禮儀または客を楽しませるためであった。例えば、~~です。~~でございます。特に~~てよ、~~のよは表現(xiàn)方式は現(xiàn)代女性用語の土臺を打ち立てた。その本質(zhì)は日本社會(huì)の不平等な社會(huì)生活環(huán)境によって日本男女間の社會(huì)地位に差が生まれ、日本の女性の言語活動(dòng)の範(fàn)囲を束縛したのである。つまり、日本における女性用語の発展は大きく分けて二段階となっている。第一段階が平安時(shí)代と室町時(shí)代で、當(dāng)時(shí)の女性用語は上層社會(huì)で流行っていた。そして第二段階が江戸時(shí)代で、女性用語は最下層の社會(huì)で流 VI
四川師范大學(xué)本科畢業(yè)論文
行り、最下層の女性が多いため、その流行は広範(fàn)囲に渡った。
3、女性用語の特徴
現(xiàn)代社會(huì)の発展に伴い、日本における女性と男性の社會(huì)地位と思想観念などの面において差が縮めているため、男女間における言語の差も次第に縮小してきた。具體的に以下の二つの面で表されている。(1)日本女性はますます「漢語」語彙を使用し始めている。その原因は、日本社會(huì)の発展により、教育事業(yè)もそれに伴って盛んに発展できたため、ますます多くの日本女性が教育を受け、教養(yǎng)が高くなったためである。(2)男女通用の語彙や言葉が次第に増加し、これからも増加し続ける。例えば、室町時(shí)代に生まれた「女房詞」で、おいしい、おなか、おひやなど、現(xiàn)在は既に男女通用の中性詞になっており、女性限定ではなくなっている。いずれにせよ、生理的の違いや社會(huì)要素などから、現(xiàn)代女性は尐なからず自分たちの専屬言語を保ったため、十分に言語の多元化を表している。
4、現(xiàn)代女性用語の特徴
4.1音聲語調(diào)
日本女性は優(yōu)しく上品さがあって、「女らしさ」があると世界から言われている。これは日本女性の普段のふるまいの禮儀正しさだけでなく、最も重要なのが言葉を話すとき、人々を引き付ける力とその言葉の親切さに関係している。そしてこれは女性は生まれながら繊細(xì)な聲を持ち、かつ日本女性における語調(diào)の運(yùn)用慣習(xí)と離れられない関係がある。日本女性の語調(diào)は上がり調(diào)子が多く、調(diào)査によると日本女性が上がり調(diào)子を使う頻度が84%で、男性の67%を高く上回っている。おそらくこの語調(diào)のため、日本女性は話すとき濃厚な感情作用を持ち合わせているのだろう。4.2語彙運(yùn)用
日本女性はよく「和語」語彙を使用する傾向が大きく、なぜならば古代の漢語語彙が日本に伝わった頃、漢語語彙は上層社會(huì)の男性の言葉であった。その後、漢語語彙は日常生活に溶け込んだが、女性は相変わらず使用する場合が尐なく、和語を好む傾向が殘っている。なぜならば、和語を使うときは柔らかく
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四川師范大學(xué)本科畢業(yè)論文
て親しいイメージを増やせるからである。一方で日本男性は漢語語彙を使う傾向がある。なぜならば高い地位を表しやすいためである。同時(shí)に人稱代名詞の使い方においても、女性と男性はかなり異なっている。例えば、男性は「おれ、ぼく、きみ」を使うが、女性は一般的に「あたし、あたくし」などを使う。そのほか、日本女性は感嘆詞を使うのが得意である。例えば「あら、まぁ」などが挙げられる。これらの感嘆詞は感動(dòng)した場合や、意外や疑問がある時(shí)に使われることがある。例えば「あら、きれいね!あら、そうかしら?」で、そして驚いたときや感嘆する場合は例えば「まぁ、驚いた。まぁ、なんてかわいいでしょう!」として使われることがある。雑誌表紙に対するとある調(diào)査によると、感嘆詞が女性雑誌《女性自身》における出現(xiàn)率は4.2%で、《周刊新潮》《サンデー毎日》などの普通の雑誌での出現(xiàn)率はゼロである。4.3敬語運(yùn)用11.26
敬語はもともと他人を持ち上げ、自分を低くする働きを持ち、目上の人や尊敬する人に対して使用される。しかし日本のような女性が長期的に弱い立場に立たされている社會(huì)では、女性は敬語で自分を保護(hù)しなければならない。つまり、敬語は日本女性が社會(huì)における地位と密接な関係がある。日本語において、敬語は女性のみのものではないが、多くの調(diào)査から、男性が生活している中で敬語を使用する頻度は女性に比べてはるかに尐ないことを裏づけている。例えば、東京大學(xué)の男女學(xué)生における敬語の使用割合は二対三で、「だ、する」の使用頻度は三対一である。その他、女性が単語の前に「お」を付けることが多く、男女別に見ると一対二となっている。ここでわかるように、男性を主體としている日本社會(huì)において、男女の差は明らかである。4.4文末形式
女性はよく接続詞「と、ば、たら、ても」などで文章を終わらせ、伝えようとする主な內(nèi)容を省略し、相手方に話しを理解させて自分の獨(dú)斷を避け、會(huì)話に余韻を殘す。例えば:A:「何もございません」B:「どうぞおかまいなくても。」そして、女性が疑問文を使用する時(shí)、上がり調(diào)子で疑問文の助詞「か」を取って代わる場合が多い。例えば、「ちょっと、その本とってくれない?」。その他、女性が文末に「???と思います」を多用するのは會(huì)話を婉曲でいい感じにするためで、「のです、なのです」を使用するのは相手の共感を呼び起こ
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すためである。例えば:A:「お子さんは今年もうご卒業(yè)ですか?」B:「いいえ、まだ四年生なんです。」
5、女性用語と日本社會(huì)における女性
以上の日本女性用語における発展と特徴からみると、日本女性は社會(huì)生活において男性に比べて大きな差別が存在し、このような差別は決して一朝一夕によるものではなく、根深い土臺が存在するわけである。日本は明治維新後に資本主義制度を推進(jìn)したが、封権勢力と封権思想は相変わらず根深く存在しており、骨の底まで浸透しており、このような封権の尻尾を完全に切り落とすためには短期間にできるものではない。なぜならば日本は現(xiàn)在でも男性が主導(dǎo)する社會(huì)で、男性が仕事して家庭の暮らしを維持し、女性が家事などを賄うのは依然として現(xiàn)在の日本社會(huì)の主流で、これからもある程度継続的に維持し存在していくであろう。しかし一方で、日本女性は長期的に不変な伝統(tǒng)的観念と道徳観念を維持し、相手の共感を引き起こすために自ら周りの人々に協(xié)調(diào)していきたいと思っている。日本社會(huì)がますます発展していくにつれて、日本女性は世界各國の女性からの影響を深く影響され始め、教育を受けて教養(yǎng)も高く備え、政治経済などの面における地位も次第に向上してきた。アメリカ《ウォール?ストリート?ジャーナル》2010年7月14日の報(bào)道によると、日本女性は過去一ヶ月間において、多くの歴史的記録を創(chuàng)り出した:日銀128年の歴史で初の女性支店長。日本航空會(huì)社も歴史で初めての女性機(jī)長を任命した。そして東日本鉄道會(huì)社も始めて女性を東京駅の駅長に任命した。ここでわかるように、現(xiàn)在の日本は一定の範(fàn)囲內(nèi)、ある程度女性の地位も変化を見せている。それに伴うのが女性用語の変化である。例えば、ますます多くの日本女性は「漢語」語彙を使用し始めており、これまで女性専用の言葉は現(xiàn)在中性詞になっている。また、女性用語は使用年齢からも差を見せている。映畫劇本における夫妻間の會(huì)話への統(tǒng)計(jì)から、中年以上の女性が使用する敬語は56%を占め、青年女性は7.9%となっていることがわかった。よって、日本女性が自分の言語を使用する時(shí)、古いしきたりを守って改めないのではなく、絶えず変化しているのであり、しかもこの傾向はこれからも続き、最終的に女性用語が消えてしまう可能性も IX
四川師范大學(xué)本科畢業(yè)論文
ある。しかし日本語はまさしく女性用語のおかげで、優(yōu)しく上品なイメージをもたらせてくれた。これも日本語の魅力のひとつであろう。
6、人稱代名詞
女性の場合は「わたくし、わたし」以外に「あたし、うち、あて、わて」などを使用するが、男性専用の人稱代名詞としては「おたく、おまえ、きさま、てめえ」などが挙げられる。女性専用の人稱代名詞としては「あなた」が使用され男性においては特に「きみ、おまえ、きさま」などが使われる場合が多い。そして、「あんた、おまえ、きさま」は男性が使用する時(shí)に限って使われ、「さま、さん、くん」を使用する時(shí)は尐し違ってくる。例えば、職場で上司が部下を呼ぶ場合、男性には「くん」で呼び、女性には「さん」で呼ぶこととなっている。そのほか、學(xué)校においても男性學(xué)生が女性學(xué)生を呼ぶ場合は「さん」を使用する。つまり、女性に対しては男性よりも敬意の高い言葉を選択して使用する傾向がある。6.1終助詞
女性と男性がよく使う終助詞はかなり違っており、男性特有の終助詞には「ぞ、さ、な、なあ、か、だい、や、ら」などが挙げられる。女性特有の終助詞には「わ、わよ、わね、の、のよ、のね、かしら、こと、もの」などが挙げられる。(1)「わ」「わよ」「わね」 あの人とても素?cái)长坤铩?/p>
タバコ吸っちゃだめ、肺に悪いわよ。
あしたは私の番だったわね。
「わ」は上がり調(diào)子で、主張、意志、感歎を表す時(shí)によく使われ、「ね」「よ」を後接する際は確認(rèn)を求めたり、注意を促す意味が重なり合って言葉を婉曲にする効果がある。これらは女性の柔らかさを十分に表した終助詞で、若い女性がよく使っている。
(2)「の」「のよ」「のね」
かわいいのは彼女なの。
昨日ほど悪くなかったのよ。
結(jié)構(gòu)頑張ってるのね。
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四川師范大學(xué)本科畢業(yè)論文
終助詞の「の」はイントネーションを上がりにするのか、下がりにするのか、それとも強(qiáng)調(diào)するかによってそれぞれ判斷や主張、提言、解釈や命令の意味を柔らかく表わしている。男性の場合は「のだ」「のさ」を使うことで硬くて強(qiáng)い印象を與えることができる?!袱琛埂袱汀工蜥峤游菠工腚H、意味は「よ」「ね」の意味と同じ意味でも、男性場合は「だよ」「だね」を付けて「のだよ」「のだね」として表している。(3)「かしら」
そこをどかせていただけないかしら。
こうしてやるのはいいかしら。
いつかしらあそこのデパートへ買い物に行きましょう。
「かしら」は女性専用の終助詞で、「かしらん」からきたものである。場合によっては柔らかい請求や質(zhì)問、自問や不確定の意を表し、女性用語の特徴をうまく表しているものである。(4)「こと」「もの」
まったく一緒に出かけてくれないこと。
今でも美味しくてお変わりないこと。
あの人すこしも遠(yuǎn)慮しないですもの。
この間遊んだことがありますもの。
女性の會(huì)話では形式名詞「こと」「もの」が終助詞として使われることがよくある?!袱长取工洗_定や質(zhì)問などの意味を婉曲に表し、それに対して「もの」は理由や不満を柔らかく表すことができる。
いずれにしても女性は豊かな女性専門の終助詞を使うことにより、女性のたしなみと女らしさを十分に表すことができるのである。(4)1、動(dòng)詞未然形+ん
やらん
分からん
このような文型硬く、動(dòng)詞を否定するときに使用する。男性は普段よく使用しているが、女性はあまり使用することがない。2、動(dòng)詞の命令形
今すぐこい
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四川師范大學(xué)本科畢業(yè)論文
早くおきろ
3、硬く否定する文型において男性は會(huì)話でよく命令形を使用するが、女性はほとんど使うことがない。使用するとしても「早く來なさい」「早く起きてください」など、やや柔らかくて丁寧な言い方をする。
4、女性は會(huì)話で「て」「で」を使用して文を切る傾向があるが、男性はあまり切らない。
早く食べて。
彼女うれしくて、うれしくて。
このような文型は後ろの部分を省略し、相手に勝手に創(chuàng)造させ、理解させることで柔らかい感じがする。(5)漢語と和語の使用
日本語の漢語と和語において、多くは同義語で、例えば:「書物」と「本」、「悲しみ」と「悲哀」、「読む」と「読書」などが挙げられる。女性は一般的に和語を使用するのは、漢語語彙は古代において「男文字」と稱し、男性の専用言葉だと言われているからである。古代の影響を受けて、現(xiàn)代においても、漢語語彙は「硬い」とし、女性の特徴に適しないと思われているため、男性によく使用されている。一方で和語は「柔らかい」とし、女性の「柔」を表すのに適していると言われているため、女性によく使用されている。録音資料からの統(tǒng)計(jì)で、男性が漢語語彙を使用する頻度が20%で、女性は14.9%であると表している。
(6)同義語の使用
同義語の中で女性は婉曲的で、柔らかい美化語を使用している。例えば、「おなかがすく」と「はらがへる」は同じくおなかが減った意味だが、「おなか」は「はら」に比べて、「すく」は「へる」に比べて「丁寧」である。したがって、女性は後者を使用すべきである?!袱郡伽搿工先毡菊Zの中において「ごはんを食べる」と「飯を食う」の二種類の言い方があり、女性は「丁寧」の方の「ごはんを食べる」を使用すべきで、「亂暴」に「飯を食う」を使わない。同様に、「美味しい」と「うまい」は共に「美味しい」の意味だが、女性は「うまい」を使用すると他人から「亂暴」で「女らしくない」と笑われることがあ XII
四川師范大學(xué)本科畢業(yè)論文
る。「つら」と「顔」は共に「顔」だが、女性は「顔」を使用し、「つら」を使用しない。その他、女性用語の特徴として、物事の名稱及び女性の生理に関する現(xiàn)象に対する使い方に存在する。例えば:「みす」を「お冷」、「便所」を「お手洗い」、「生理中」を「さしあい」など稱するのはすべて女性専用用語である。
7.おわりに
以上が日本語における女性用語について、その起源,変遷及び男性言葉との差異を比較しながら、その形成の要因と存在の意味について研究してきた。場に適する正しい敬語を使用するのは文明や儀禮、謙虛な女性の特徴を現(xiàn)しているため、日本の女性用語は社會(huì)の発展や変化ととても重要な関わりを持っている。日本社會(huì)における男女間の地位は不平等なため、日本の女性用語はそれに伴って徐々に形成されてきた。やがて時(shí)代の進(jìn)歩に伴って、日本女性の社會(huì)的地位は絶えず高まり、日本における言葉の性別が次第に縮まり、これからも次第に縮んでいくであろう。しかし、これは女性言葉が男性言葉に従屬していくといった単なる男性言語への変化ではない。社會(huì)における民主化の発展につれて、性別観念も次第に淡泊化していく。國語研究所の調(diào)べによると、女性による敬語の使用率と女性専用の終助詞の使用率からみても、若年層においては下がる一方で女性用語がこれからやがてなくなってしまうではないかという考えもある。當(dāng)然ながら、女性用語は男性用語に比べて丁寧なため、女性が損をする恐れがあるといった主張もある。今後は日本の女性言葉の発展及び変化に対して、引き続き関心を持って、さらには中國女性の言葉とそれによって社會(huì)の言葉に対する影響を理解していきたいと思っている。
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四川師范大學(xué)本科畢業(yè)論文
注釈
注1、『萬葉集』は最初の多くの作品を集めた詩文集。
注2、「女房詞」は彼女達(dá)が物事と関連する不愉快や不潔な感じをもたらす言葉を口にすることを避けるため、食物や生活用品などにおいて、できるだけ異なる言い方を取った。
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四川師范大學(xué)本科畢業(yè)論文
參考文獻(xiàn)
國田百合子(1964)『女房詞の研究』巖波新書 林大他(1988)『日本語大事典』大修館
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劉宗和等:《日語與日本文化》。湖南:湖南教育出版社,1999年 劉耀武:《日語詞匯學(xué)》。黑龍江:黑龍江出版社,1990年
楊曼:日語女性用語淺析。廣東,廣東職業(yè)技術(shù)師范學(xué)院學(xué)報(bào),2002年 張怡:日語中的女性用語。外語教學(xué),1998年。
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四川師范大學(xué)本科畢業(yè)論文
謝辭
この論文の完成にあたり、李加澍先生には感謝の意を述べる。李加澍先生は私の大學(xué)での最終段階――卒業(yè)プロジェクトにおいて私に指導(dǎo)をしてくれた。最初のテーマ選びから資料の収集、そして作成、修正、論文が決まるまで、先生達(dá)は私に辛抱強(qiáng)い指導(dǎo)と私心のない助けをしてくれた。私達(dá)の卒業(yè)論文のために、先生達(dá)は自分の休み時(shí)間をも犠牲にした。このような自己を顧みずに人に盡くす精神には深く感服させられ、ここで彼らに私からの感謝の意を述べる。同時(shí)に、すべての先生とクラスメートが私に対する四年間の指導(dǎo)と援助に感謝する。彼らは私に専門知識のみならず、勉強(qiáng)の仕方や人間のあり方などいろいろ教えてくれて、彼らのおかげで、私はあらゆる面で進(jìn)歩した。ここで私の心からの感謝の意を述べる。最後にすべての先生の方々がこれからも多くの優(yōu)秀な人材を育て上げるように心から願(yuàn)っている。
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四川師范大學(xué)本科畢業(yè)論文
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第四篇:2013屆日語系畢業(yè)論文進(jìn)度安排
2013屆外語學(xué)院日語專業(yè)畢業(yè)論文計(jì)劃進(jìn)度
畢業(yè)論文是本科教學(xué)中的一個(gè)非常重要的實(shí)踐環(huán)節(jié),對提高學(xué)生綜合實(shí)踐能力、培養(yǎng)創(chuàng)新意識與能力方面起著舉足輕重的作用。根據(jù)《寧波大學(xué)2010版本科教學(xué)培養(yǎng)方案》,畢業(yè)論文為一門必修課,共8個(gè)學(xué)分。為了更好地做好本次畢業(yè)論文工作,提高畢業(yè)論文質(zhì)量,確保工作規(guī)范,日語系參考學(xué)校教務(wù)處制定的“關(guān)于做好2011屆本科生畢業(yè)設(shè)計(jì)(論文)工作的通知”,并結(jié)合往年的慣例,制定了“2013屆日語本科畢業(yè)論文工作計(jì)劃進(jìn)度”,具體如下:
第一階段:啟動(dòng)階段(2012年7月3日—23日)
1、班長匯總本班畢業(yè)生信息,學(xué)院教務(wù)辦負(fù)責(zé)將畢業(yè)生初始信息上傳至畢業(yè)論文網(wǎng)絡(luò)平臺(bysj.nbu.edu.cn),學(xué)生需登陸平臺,完善個(gè)人信息;
2、確定指導(dǎo)教師,與導(dǎo)師商量擬定畢業(yè)論文題目。教師出題,學(xué)生選題;教師出題截至日期為(2012/07/22)
3、4、日語系選題集中審核時(shí)間2012年7月25日。
指導(dǎo)教師下達(dá)任務(wù)書,指導(dǎo)學(xué)生查閱文獻(xiàn),做好開題前期工作;
5、任務(wù)書上傳截止時(shí)間為2012年10月21日
第二階段:開題階段(2012年9月10日—11月25日)
1、學(xué)生撰寫開題報(bào)告,并上傳(10月28日截止),導(dǎo)師審核寫出審核意見;
2、學(xué)生查閱文獻(xiàn)資料,寫出文獻(xiàn)綜述;
3、學(xué)生上傳文獻(xiàn)綜述(11月11日截止);
4、導(dǎo)師修改文獻(xiàn)綜述,給出評論和建議,供學(xué)生修改;
5、導(dǎo)師根據(jù)學(xué)生提交的文獻(xiàn)終稿寫出評語,按百分制給定分?jǐn)?shù);
6、學(xué)生開始翻譯文獻(xiàn),并上傳(11月25日截止);
7、導(dǎo)師評閱文獻(xiàn)翻譯,寫出評語,按照百分制給出分?jǐn)?shù);
第三階段:論文撰寫階段(2012年11月26日—2012年3月30日)
1、導(dǎo)師指導(dǎo),學(xué)生撰寫論文初稿;
2、上傳論文初稿(2013年2月28日);
3、論文修改第一稿,需面批;
4、論文修改第二稿,需面批;
5、論文修改第三稿,需面批;
6、畢業(yè)論文定稿,并上傳(2013年4月13日截止);
7、導(dǎo)師評閱論文,寫出不少于200字的評語,給定分?jǐn)?shù)。
第四階段:答辯階段(2013年4月13日—5月26日)
1、畢業(yè)論文答辯資格審查,由教務(wù)辦完成;
2、答辯分組,由日語系主管領(lǐng)導(dǎo)完成;
3、論文交叉評閱,由答辯組長分配交叉名單,評閱教師寫出評語,并給定分?jǐn)?shù)(2013年4月25日截止); 4、2013年5月12日,第一次論文答辯;
5、答辯組長輸入一辯成績以及答辯記錄; 6、2013年5月19日,第二次論文答辯;
7、答辯組長輸入二辯成績以及答辯記錄;
第五階段:評價(jià)階段(2013年6月1日—6月16日)
1、畢業(yè)論文總結(jié)、評估、評優(yōu);
2、材料歸檔。說明:
1、各位同學(xué)務(wù)必在規(guī)定時(shí)間內(nèi)登陸“高校畢業(yè)論文網(wǎng)絡(luò)平臺”,提交相關(guān)材料,指導(dǎo)教師按時(shí)反饋。由于未能在指定時(shí)間段上傳材料,系統(tǒng)關(guān)閉后無法上傳,責(zé)任由行為人自己負(fù)責(zé);
2、本安排可能根據(jù)具體情況做出臨時(shí)調(diào)整。聯(lián)系人:丁愛俠(教務(wù)辦641114/87600334)
郭勇(英語系87600022)
外語學(xué)院日語系 2012年7月1日
第五篇:肇慶學(xué)院日語系畢業(yè)論文體例及格式要求
肇慶學(xué)院日語系畢業(yè)論文體例及格式要求
1、論文的構(gòu)成
論文各組成部分依次為:①封面(學(xué)校統(tǒng)一印制)、②扉頁(日文)、③日文內(nèi)容提要(要旨)、④中文內(nèi)容提要、⑤目錄頁(目次)、⑥正文、⑦注釋(注,尾注)和參考文獻(xiàn)(日文及中文)、⑧致謝頁(謝辭)。
2、各部分具體格式要求
(1)頁面設(shè)置:論文(包括各部分)用標(biāo)準(zhǔn)A4電腦打印紙單面打印,頁邊距要求:上下左均為2.5cm,右邊為2.0cm。論文扉頁無頁碼;日文內(nèi)容提要、中文內(nèi)容提要、目錄頁用連續(xù)的羅馬數(shù)字頁碼,置于頁面底部居中;正文、注釋和參考文獻(xiàn)致謝用連續(xù)的阿拉伯?dāng)?shù)字頁碼,置于頁面底部居中;開題報(bào)告申請表和開題報(bào)告獨(dú)立編頁碼,用阿拉伯?dāng)?shù)字置于頁面底部居中。除扉頁外,論文其余部分均需加頁眉,頁眉內(nèi)容為“個(gè)人論文日語題目”,小五號字,ms mincho字體。
(2)字體和行距:論文各部分字體,除特殊要求外,日文全部采用MS Mincho字體,漢語用宋體,數(shù)字使用arial字體,半角,英語使用Times New Roman字體,半角;各部分均采用1.5倍行距。日文標(biāo)點(diǎn)逗號使用“、”,引號使用「 」。
(3)封面:由學(xué)校統(tǒng)一印制發(fā)給學(xué)生,各項(xiàng)目均用中文填寫。
(4)扉頁:全部用日文打印,全部使用1.5倍行距,標(biāo)題上面空兩行。標(biāo)題用MS Mincho二號字,加粗,可分為兩行;作者信息部分用MS Mincho小三號字,加粗。
(5)內(nèi)容提要和關(guān)鍵詞:日文內(nèi)容摘要部分的名稱為“要旨”,MS Mincho小三,加粗。日文內(nèi)容提要字?jǐn)?shù)約為500字,MS Mincho小四號字,1.5倍行距,首行縮進(jìn)1字符。關(guān)鍵詞(キーワード)與內(nèi)容摘要之間空一行(不縮進(jìn))。日語各關(guān)鍵詞之間空一個(gè)日文字符。中文內(nèi)容摘要部分的名稱為“內(nèi)容摘要”,標(biāo)題為宋體小三,加粗,中文內(nèi)容提要應(yīng)與日文內(nèi)容提要內(nèi)容一致,使用小四號字,宋體,首行縮進(jìn)2字符。關(guān)鍵詞與內(nèi)容摘要之間空一行,不縮進(jìn)。中文各關(guān)鍵詞之間空兩個(gè)中文字符。
(6)目錄頁(目次):目錄頁全頁1.5倍行距,使用MS Mincho字體,“目次”兩字為MS Mincho小三,加粗,居中。其他項(xiàng)目,MS Mincho小四號,不加粗。目錄中的頁碼前導(dǎo)符(??)垂直居中。
(7)正文部分:
所有正文頁面均采用1.5倍行距。
論文正文各部分(章)結(jié)束后,下一部分(章)不需另起一頁。論文正文第一頁無需再出現(xiàn)論文標(biāo)題;第一級章標(biāo)題(包括“はじめに”與“おわりに”)采用“第1章(含一個(gè)日文字符)××××”,使用MS Mincho小三號字并加粗,居中,頂上空一行(“はじめに”頂上無需空行,“おわりに”頂上需要);第二級標(biāo)題節(jié)標(biāo)題采用“1.1(含一個(gè)日文字符)××××”,用MS Mincho四號字并加粗,不居中;第三級條標(biāo)題采用“1.1.1(含一個(gè)日文字符)××××”,用MS Mincho小四號字加粗,不居中;其余內(nèi)容部分全部采用MS Mincho小四號字不加粗。
正文各段落全部采用首行縮進(jìn)1字符(各級標(biāo)題除外)。
(8)圖示與表格的標(biāo)注方法:圖示與表格采用獨(dú)立的排列順序。不能出現(xiàn)“圖1,表2,表3,圖4”的混合排列。
A:圖示。圖示居中,并在圖示下方居中標(biāo)出圖示順序及圖表名稱,即,“図x(含一個(gè)日文字符)圖示名稱”,使用MS Mincho五號字加粗,居中;隔一行標(biāo)注出“資料來源”(資料出所),使用五號字不加粗,不居中。
B:表格。表格居中,并在表格上方居中標(biāo)出表格順序及表格名稱,即,“表x(含一個(gè)日文字符)表格名稱”,使用MS Mincho五號字加粗,居中;表格下方標(biāo)注出“資料來源”(資料出所),使用五號字不加粗,不居中。
(8)引文與注釋:文章引用別人的觀點(diǎn)或材料必須用注釋注明出處;引文總量不得超過論文總長度的30%。論文中所有引文統(tǒng)一標(biāo)號,在引文最后采用阿拉伯?dāng)?shù)字上標(biāo)。
如:実は「山椒魚」は井伏がチェホフの「賭」1を読んで感激して書いた文章で、「賭」の主人公の法學(xué)者である人間の絶望から悟りへの過程を書こうと思ったので、「もっとも悟って行くところは書こうとすると、自分に裏づけがないからどうしても説明になるのでやめた」2という狀況で書いた作品である。
所有的注釋采用尾注形式,即置于論文正文之后,注意序號要與文中引文所用序號一致。注釋列于正文之后,需另起一頁,其中“注釈”單獨(dú)占一行,用MS Mincho小三號字加粗居中,其余用五號字不加粗。注釋所需標(biāo)注內(nèi)容為:①作者姓名、②引用文章(或書)名、③引用文章出處類型(期刊、書籍、網(wǎng)絡(luò)等)④期刊名或出版社名、⑤發(fā)表或發(fā)表(書籍需涉及出版年份、期刊需涉及出版年份及期數(shù),互聯(lián)網(wǎng)資料需涉及網(wǎng)頁日期)
引用出處為同一資料時(shí),可用“同x”表示。
(9)參考文獻(xiàn):參考文獻(xiàn)包括寫論文時(shí)參考過的正式出版的書籍、文章及網(wǎng)絡(luò)資料等。總數(shù)量應(yīng)不少于十種。參考文獻(xiàn)應(yīng)另起一頁。其中“參考文獻(xiàn)”四個(gè)字用MS Mincho小三
號字加粗居中。中日文參考文獻(xiàn)分別列出,日文在前(按引用順序排列),中文在后(按引用順序排列)。日文參考文獻(xiàn)正文用MSMincho五號字,中文用五號宋體五號字。按照①作者姓名、②參考文章(或書)名、③參考文章出處類型(期刊、書籍、網(wǎng)絡(luò)等)④期刊名或出版社名、⑤發(fā)表或發(fā)表(書籍需涉及出版年份、期刊需涉及出版年份及期數(shù),互聯(lián)網(wǎng)資料需涉及網(wǎng)頁日期)等順序排列。注:需標(biāo)識參考文獻(xiàn)類型,專著需標(biāo)注引用頁碼。注釋及參考文獻(xiàn)類型符號:專著:[M]
論文集:[C]
報(bào)紙文章 [N]
期刊文章 [J] 學(xué)術(shù)論文 [D] 互聯(lián)網(wǎng)資料 [OL]
(10)致謝頁(謝辭):長度約200—300字,用以簡要說明自己寫作論文的體會(huì)并對幫助你完成論文的人(如指導(dǎo)教師、同學(xué)、父母等)表示感謝,說明他們在哪些方面對你提供了幫助。全頁使用1.5倍行距,標(biāo)題“謝辭”為MS Mincho小三并加粗居中,正文使用MS Mincho小四號字,不加粗。